NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

前澤友作

Yusaku Maezawa

バンドのドラマーが、六畳の部屋で始めたレコード通販をZOZOTOWNへ変えた。採寸スーツのつまずき、1500億円規模の株売却、宇宙旅行、そして新しい会社へ。後継経営下のZOZOは年間2283億7300万円を売り上げる。

1975年生まれ / 日本出身 / アパレル

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前澤友作(2021年12月11日、国際宇宙ステーション)。集合写真の前列左。
前澤友作(2021年12月11日、国際宇宙ステーション)。集合写真の前列左。
写真の出典写真:Mark Vande Hei (see EXIF data)/出典/Public domain。表示用にサイズ調整・切り抜き。

とにかく、いま自分が使える限界まで使う。

Use as much as you can afford to use.

2018年、新R25の本人インタビューで語った、自分自身のお金の使い方。 原文 · 英語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定資産

15億ドル

約2,364億円

主な保有資産

  • カブ&ピース株

主な取得・売却の記録

  • ZOZO株の売却代金
  • バスキア作品《Untitled》

ZOZO

創業者・元代表取締役社長(2019年退任)

ZOZOTOWNで衣料品を販売し、WEARなどのファッション関連サービスや採寸技術を展開する。

年間売上

2,283億円

カブ&ピース

創業者・代表取締役社長

電気・ガス・通信などの生活サービスを提供し、利用者が株主になる仕組みをつくる。サービス名はKABU&(カブアンド)。

年間売上

80億円

前澤ファンド

設立者

起業家や新しい事業へ投資する会社。ZOZOを離れた後の前澤の投資活動を担う。

年間売上

公表値未確認

出典・詳しい補足

個人の推定資産と会社売上は別の指標。現在のZOZOの規模には退任後の経営による成長を含む。

商品取扱高はZOZO自身の売上とは異なる。2019年の株式売却代金も、税金・借入返済後の現金や現在の個人資産と同じではない。新たに創業したカブ&ピースの規模を、このZOZOの数字と混同しない。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • ZOZO — 年間売上 / 2026年3月期・通期売上高 / 会社公表(決算表)
  • カブ&ピース — 年間売上 / 2026年1月期・連結売上高 / 会社公表(有価証券届出書)
  • 前澤ファンド — 年間売上 / 2026年11月1日確認 / 売上・評価額・調達額の公表金額を確認できず

主な保有資産・持分の出典

掲載する割合は、会社の株式に対する各開示基準での保有比率です。本人の資産全体に占める割合ではなく、議決権比率とも異なります。家族・信託・報酬株・オプションなどの算入範囲は各出典に記載しています。生前の持分は当時の時点を示し、現在の遺族・財団の財産とは区別します。

関連事業の確認日:2026-10-31。財務数値の確認日:2026-10-31。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +92 / 100

1975年の千葉で育つ間には、安定した生活基盤、学校、首都圏の交通、商店と音楽の市場があった。世界で安全な通学や家計の継続が難しかった境遇と比べ、好きなことを試す土台は非常に強い。家庭の個別の所得と、社会全体の基盤は分けて評価する。

成人後は国際渡航、輸入、宅配と決済、ネット通販、株式市場を利用できた。衣料通販の仕組みや本人の富そのものを、社会環境の得点へ逆算していない。人生前半80%・その後20%で評価した。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +84 / 100

早稲田実業へ進む教育の道と、音楽へ傾いた後にも高校卒業を願う家族の支えがあった。起業初期には実家を仕事場にし、本人がバンドで不在の間、両親が注文電話を受けた。学び、住居、商売を試せる場がない同時代の若者と比べ、明確に有利な実益があった。

当時の恋人や弟も初期の仕事に加わった。アルバイトで稼いだ渡航費、本人の演奏やプログラミングで得たものは、親の贈与とはしない。父母の純資産額がわからないことを減点理由にせず、確認できる支えを同時代世界80%・共通尺度20%に当てはめた。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

前澤友作の物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

01黒い学生服に赤いスニーカー

皆と同じ服ではつまらない

千葉から、画面の中へ街を作る。全体図と、海・湖・主な河川・市街地を示す拡大図
千葉から、画面の中へ街を作る。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。

1975年11月22日、前澤友作は生まれた。育ったのは千葉県鎌ケ谷市。父は経理や財務の仕事をする会社員で、家に最初から大きな商売があったわけではない。父が好むクラシック、母が聴くTHE ALFEE。コンサートへ連れていってもらう家庭で、音楽と服が早くから身近にあった。[1][2]

小学生の友作少年は古着のLevi’sを履いた。周りの子は半ズボン。それでも、皆と同じ格好にはしたくなかった。服は体を覆うだけでなく、自分がどんな人間なのかを見せるものだった。[2]

その気持ちは高校の入学式にも持ち込んだ。早稲田実業の黒い学生服に、真っ赤なスニーカー。本人も、服の組み合わせとして似合っていたとは思っていない。おしゃれの完成度より、周囲に合わせない意思を足元へ出す方が大切だった。[2]

その前澤にも、親を喜ばせた瞬間がある。合格を知った後、公衆電話から家へ知らせた時だ。受話器の向こうで母が喜んだ。その声を聞き、親孝行ができたと感じた。受験を勝ち抜いた先には大学への道がある。しかし彼がそこで抱いたのは、競争をもっと続けたいという意欲ではなかった。もう同じ競争には加わりたくない。後に本人が話したのは、そんな思いだった。[3]

皆勤賞からライブハウスへ

1年生の時は皆勤賞だった。千葉から東京まで片道1時間半。毎日電車に乗り、学校へ通う。ところが2年生になると、その時間がバンドの練習やライブへ移っていく。建築関係のアルバイトでスタジオ代を稼ぎ、都内のライブハウスを回った。大学へ続く道が目の前にあっても、日々を使いたい場所は学校の外にあった。[1]

担任は、学校へ来なくなった生徒とのつながりを切らなかった。アルバイトの日には連絡するよう求め、退学せず卒業するよう支えた。両親も、大学進学への期待を下げながら、高校だけは出てほしいと願った。前澤は卒業した。早稲田大学へは進まない。両親と教師に何とかつないでもらった高校生活の後、音楽の方へ歩き出した。[1]

仲間とバンドを組み、欲しいレコードを集め、ライブへ出る。この時点で、後の巨大通販サイトの設計図があったわけではない。前澤がなりたかったのは、会社を経営する人より、好きな音楽に囲まれて暮らす人だった。[2]

02海の向こうで見つけた売り場

演奏が終わっても仕事は続く

高校卒業後、アルバイトで貯めたお金を持ってアメリカへ渡った。拠点はアメリカ西部・カリフォルニア州の海辺の街サンタモニカ。半年ほど滞在し、ライブハウスを巡った。大きな音の鳴る舞台の周りで、バンドのメンバーが別の仕事もしていた。食事を用意し、仲間のレコードやTシャツを売る。演奏する人が、自分たちの場を自分たちで支えていた。[4]

好きな音楽を続ける。そのために物を売り、人に集まってもらう。商売は音楽の外側にある無関係な仕事ではなかった。帰国した前澤は、自分たちのライブ会場にも、海外から集めたレコードやCDを持っていった。パンクやハードコアの輸入盤だ。日本では手に入りにくい音源を選んで並べると、買いたい人がいた。[4][2]

演奏を聴いてもらうだけだった相手が、選んできたレコードにもお金を払う。自分の好みが、誰かの欲しいものになる。輸入盤を集めていた青年は、少しずつ売り手にもなっていった。[2]

6畳の部屋に電話が鳴る

1995年頃には、A4の紙へ商品名を並べたカタログを作った。音楽雑誌『DOLL』の無料広告欄で知らせると、全国から問い合わせが来た。会場で手渡せる相手より、ずっと遠くの人が同じレコードを欲しがっている。自宅の6畳間で電話を受け、注文された商品を送った。[1][2]

バンドで家を空けると、両親も電話で注文を受けた。客が送ってきた現金書留を確かめてから発送する。会社の受付も商品代金の入金確認も、最初は実家の暮らしの中にあった。[5]

最初は自分が好きで集めていたものだ。だが注文が増えれば、好きだという気持ちだけでは荷物を送り切れない。当時の恋人やバンド仲間、友人に手を借りた。電話の向こうの客が待っている。レコードを選ぶ楽しさの後ろに、注文を受け、間違えずに届ける仕事が積み上がっていった。[2]

1998年5月、22歳で有限会社スタート・トゥデイを設立した。名前をつけたのは、創業を手伝っていた当時の恋人だった。ニューヨークのハードコアバンドGorilla Biscuitsの曲名でもあるStart Today。好きな音楽を売る仕事に、音楽の言葉が掲げられた。[6][7][5]

03夢がかなった場所を降りる

メジャーの仕事より面白いもの

同じ1998年、ドラムを担当していたSWITCH STYLEもメジャーデビューを果たした。学校より音楽を選び、スタジオ代を自分で稼いできた青年が、大手のレーベルから作品を出すところまで来た。通販の会社と音楽活動。前澤は両方を続けた。[8]

ところが、目標に届いた後の毎日は想像と違った。曲を作る。アルバムを出す。ツアーを回る。終われば次のアルバムへ向かう。前澤は、好きなことをしているはずの活動に、決まった仕事をこなす感覚を抱くようになった。インディーズの頃には自分たちで決めていた価格や発売時期、ジャケット、売り方にも、別の人の仕事が加わっていた。[9][2]

一方、会社では違うことが起きていた。仲間が増える。扱う商品が変わる。自分たちが動くと注文が増え、その結果が数字に表れる。既に用意された次の予定を待つより、自分で次の仕事を作る方が面白くなった。前澤は2000年代初めにバンド活動を休止し、経営へ専念した。[9][1]

メジャーで活動できる場所にいながら、自分で決められる範囲の大きい仕事を選び直した。まだ小さな通販会社が、長く目指してきた舞台から彼を連れ出した。[9]

CDの隣に服を置く

2000年1月、レコードとCDの輸入販売サイトSTMonlineを開いた。同年4月には株式会社へ組織を変え、10月には服のオンラインショップEPROZEを始めた。音楽を聴く人が着たい服を、自分たちの店で扱う。好きなレコードを選んで届ける仕事は、好きなブランドを選んで届ける仕事へ広がった。[6]

だが、仕入れたい服があるからといって、ブランドがすぐに預けてくれるわけではなかった。服は店へ来てもらい、触り、試着して買ってもらうもの。まだ信用の薄いネット通販へ商品を出す営業は、門前払いから始まった。[10]

客が欲しがる商品を集めるには、まず売る側に信用してもらわなければならない。音楽の趣味が合う友人へ売るだけだった頃より、前澤たちの前にいる相手は増え、遠くなっていた。

04画面より先に裏側が壊れる

給料日は銀行へ行った日

ネットショップを外部へ頼んだことがあった。客に見える画面はきれいにできた。ところが注文の伝票を出す、倉庫から商品を選ぶ、残りの在庫を管理する。その後ろ側がうまく動かない。[5]

前澤は専門書を買い、自分で仕組みを作り始めた。サーバーやネットワーク、データベースまで手を入れる。服を好きな客と、服を好きな売り手をつなぐために、服とは違う分野へ潜り込んだ。売り場を開いてからも、仕事は画面の外側でつまずく。[5]

当時の仲間は弟を含めて5人ほどだった。給料日も、きちんと決められた日に自動で払うような運営ではない。前澤が銀行へ行った日が給料日だった。後に1億円の採用条件を掲げる会社の出発点は、社長が自分で店の仕組みを直し、銀行へ出向いて仲間へ給料を渡す規模にあった。[5]

15人いた仲間が3人になる

会社とバンドを両立させていた頃、スタッフが次々と辞めた。15人ほどいたのに、半年ほどで3人になった。前澤が全国へツアーに出れば、残る人たちが仕事を進める。その人たちも自分と同じように好きで集まり、楽しんでいるはずだと考えていた。だが社員は、社長が不在でも安心して働ける会社を必要としていた。[1]

ネット化で仕事量が減り、手持ち無沙汰になったこともあった。楽になる仕組みを作れば、残る人が次に何をするのかも考えなければならない。会社をバンドのように考えていた前澤は、自分の経営に問題があったと受け止めた。音楽から経営へ専念する選択の裏には、会社の方が面白いという理由だけでなく、任せていた仲間が去った経験もあった。[1]

その後、社員が増えるにつれ、紙と鉛筆で組織図を作り、チームを分け、誰へ責任を渡すかを決めるようになった。さらに理念を文章にする。集まって飲みに行けば共有できていたことも、人数が増えれば伝わらなくなる。自分の面白いことへ仲間を誘う人から、その仲間が働き続けられる会社を作る人へ、仕事を変えていった。[1]

まだ1億円でも100億円を頼む

2003年末、前澤は別の会社のエンジニア、大蔵峰樹へ開発を相談した。店の規模はまだ1億円ほどだったという。それでも依頼したのは、100億円を扱えるシステムだった。今の注文が通ればよいのではない。これから作る大きな売り場を動かす仕組みが欲しかった。[11]

大蔵は本業の合間に開発を進めた。最初は自分を含めて2人。まだ来ていない注文をさばけるように、先に作る。2007年3月期、商品取扱高は112億円へ達した。前澤が求めた大きさに、実際の商売が追いついた。[11]

その数字の土台にあったのが、ブランドから商品を預かり、写真撮影や採寸、注文の受付、配送をまとめて担う受託販売だった。ブランドは全部を自前で用意しなくても、ネットへ服を並べられる。前澤たちが、表の売り場と裏の仕事を引き受ける。取引から得る手数料が主な収益となり、多くのブランドを1つの場所へ集める余地が広がった。[7]

05ネットの中に街を建てる

17の店を歩けるようにする

2004年12月、17の通販サイトを集めてZOZOTOWNを開いた。想像と創造。2つの言葉のZOを重ね、その後ろへTOWNをつけた。画面にはCGの街が広がり、建物の中にショップが入っている。商品名を入れて最安値だけを探す売り場とは違う、自分の好きな店へ立ち寄る場所を作ろうとした。[6][10]

大きな転機の1つが、セレクトショップUNITED ARROWSの出店だった。営業を担う武藤貴宣の妻が同社で働いていた縁から、創業者の重松理に会う機会ができた。千葉のオフィスまで来てもらい、商品を扱う棚や倉庫を見せ、取締役会でも説明した。画面だけで信用してもらえなければ、裏側の仕事も見てもらう。2005年に出店が実現した。[10]

どのブランドを隣へ置くか。どう見せるか。出店する順番にも気を配った。自分たちの服が、安売りの商品に埋もれて見えなくなる場所では困る。ブランドが守りたい世界観を、ネットの店でも崩さない。その信用が、別のブランドを招く力になった。[12]

Mと書いてあっても測り直す

客が画面へ来ても、試着はできない。そこで倉庫へ届いた服を1着ずつ測り直した。着丈、袖丈、身幅。ブランドがMやLとつけた表示をそのまま並べるだけにはしなかった。同じMでも、メーカーが違えば大きさが違う。いつものサイズで注文した客に合わなければ、きれいな写真が何枚あっても、次の買い物は不安になる。[13]

服を預かり、撮り、測り、発送する。画面の中の街が広がるにつれ、現実の倉庫へ入る服も、出ていく荷物も増えた。2006年8月、東京湾に面した千葉県習志野市に物流拠点ZOZOBASEを開いた。[6]

上場の鐘と増えていく荷物

2007年12月、東証マザーズへ上場した。自宅で電話を取っていたレコード通販が、株式市場から事業を評価される会社になった。前澤は、好きなことを続けてきた生き方を認めてもらったと受け止めた。[6][1]

ただ、客が増えれば、全員を昔の常連客のようには知れなくなる。2009年末に初のテレビCMを展開し、利用者が広がる中で、会社は顧客との距離を問題にした。清水俊明らが顧客との関係を担う部門を整え、購買や行動のデータを使った案内に取り組む。注文が入った時に対応するだけでなく、相手が何を好み、何を探しているかを考える仕事が必要になった。[14]

前澤自身も、会社を知らない記者へ話すことを仕事と考えていた。最初に取材されたのはバンド時代の『DOLL』。相手を楽しませ、その先の読者へ届くように話す。知らないなら勉強してこいと突き放すより、初めて聞く人へどう伝えるかを工夫した。[13]

06会社の外へも名前を広げる

幕張で暮らす社員へ手当を出す

大きくなっても、本社は東京の流行発信地へ移らなかった。千葉市西部の東京湾に面した幕張。会社の近くで社員が暮らすことにも、お金を使った。2010年の会社資料にある幕張手当は、近隣へ住むスタッフに月3万円ほどを支給するものだった。[15]

毎日の長い通勤時間を減らし、同じ街で暮らす人を増やす。服を全国へ届ける会社が、拠点のある街との距離は縮めていく。同年11月には、千葉マリンスタジアムの命名権へ手を挙げた。顧客に署名してもらい、新しい球場名の案も募った。だが、1度目の挑戦では取得できなかった。[15][16]

背中に680ブランドを載せる

2011年3月、東日本大震災が起きた。ZOZOTOWNは15日から支援用Tシャツの予約を受け付けた。税込2100円のうち2000円を寄付し、製造費、送料、代引き手数料は会社が持つ。胸にはSTART TODAYの言葉。背中には協力するブランドの名前を載せた。[17]

3月末までに集まったブランドは680。予約は17万6988枚となり、寄付金は3億5397万6000円に達した。日本赤十字社など4団体へ届ける金額だった。普段は別々の服を売るブランドが、同じTシャツの背中へ並んだ。小さな会社では持てなかった顧客への連絡手段と、ブランドとのつながりが、そのまま支援を集める力になった。[18]

午後3時に帰っても給料を下げない

2012年5月には、会社の中の時間を変えた。1日6時間労働を掲げる、通称ろくじろう。朝9時から昼休憩を挟まず働き、午後3時に帰ることを勧めた。給料を減らして短くするのではない。同じ仕事を、本当に必要な時間へ縮められないかという試みだった。[19]

長い会議、用途の曖昧な資料、人数の多い打ち合わせ。そのまま6時間の中へ押し込めれば、仕事が終わらない。働く側も仕事のやり方を変えなければならなかった。会社は、人事部を人自部と呼んだ。会社の成長だけでなく、そこで働く人がどんな時間を過ごすかにも、社長の好みが強く反映されていた。[19][14]

給料や賞与にも独自の考えを入れた。同じ役職では基本給をそろえ、賞与は全社員で同額にする。自分の営業成績が他の人よりよかったと考える社員には、不満も出る。前澤は、成果の後ろには仲間の仕事があると考えた。1人の功績へ大きく差をつけるより、会社の結果を分けたかった。全員が賛成する制度ではなかったが、競争のさせ方を自分たちで選ぼうとした。[20]

07客へ言い返した社長

送料の一言が燃え広がる

2012年10月、送料について不満を述べた客へ、前澤はTwitterで強く言い返した。配送する会社への感謝や、運ぶ仕事にかかる手間を説き、理解できないなら買わなくてもよいという趣旨の言葉を返した。[21]

発信したのは、1人の利用者ではない。商品を売る会社の社長だった。客を突き放す言い方だと批判が広がり、前澤は謝罪した。ネットで全国へ服を売るようになった会社の経営者が、同じネットで顧客との関係を傷つけた。思ったことをすぐ口に出す勢いは、この時には会社へ火をつける側へ回った。[21]

その後、11月1日からZOZOTOWNは全品送料無料にした。ポイント還元率も1%から10%へ上げた。運ぶ人の仕事を理解してほしいと訴えた直後、会社は客から送料を取らない方法へ進んだ。前澤の発言と、客が使うサービス。その両方が世間の目にさらされる出来事だった。[22]

0円を選んだ注文は43%

5年後、送料を決める相手を客へ移してみた。2017年10月の1か月間、支払いたい送料を自由に設定できるようにする。0円でも注文を受ける。会社が取るか取らないかを一方的に決めるのでなく、客がいくら払うかを試した。[23]

結果は平均96円。43%の注文が0円だった。全員が無料を選んだわけではない。それでも、配送費を任せる仕組みをそのまま続けることにはしなかった。翌11月から一律200円へ変更する。前澤の会社は、思い切った方法を打ち出し、実際の利用で得た数字を見て、また変えた。[23]

08売り場の外へ手を伸ばす

新しい服の隣に古着を並べる

新品を売るZOZOTOWNへ、着終えた服の売り場が加わった。2012年11月に始めたZOZOUSED。傘下に入ったCROWN JEWELの中古衣料事業を土台に、ブランド古着を扱う店を開いた。元はファッションのオークションサイトから育った事業だった。[24]

同じ客でも、新品を買う日と、持っている服を手放したい日がある。服を売って終わりにせず、その後にも接点を作る。2016年11月には買い替え割を導入した。新しい服を注文する際、過去に買った商品から下取りする服を選ぶ。その場で値引きが決まり、新品と一緒に届く袋へ古着を入れて返す。集まった服はZOZOUSEDで販売した。[25]

店のバーコードを読み取る

2013年10月にはWEARを始めた。人の着こなしを見つけ、投稿し、気になる服を保存できるアプリだ。商品の正面写真だけではわからない組み合わせを、店員や一般の利用者が見せる。買う前の迷いまで、会社のサービスへ取り込んだ。[26]

当初は、店頭の商品のバーコードを読み取る機能もあった。目の前の服の情報や着こなしへ、スマートフォンから入れる。だが店側から見れば、客に商品を見せるのは自分たち、買う場所はネットになりかねない。LUMINEや三越伊勢丹が店内利用へ慎重な姿勢を取り、認められた施設で使う形へ調整された。[27]

客にとって便利なら、売る側にも歓迎される。そう簡単にはいかなかった。2014年4月、一般利用者向けのバーコードスキャンをやめると発表した。一方で、着こなしを投稿するサービスは残った。開始から約半年で1つの機能を取り下げながら、WEAR自体は育ち、2023年の10周年には投稿が1400万件を超えた。[28][29]

09手数料をなくした店も閉じる

中国へ渡った店が閉じる

2011年、SoftBankとの合弁会社を設け、中国でもZOZOTOWNを展開した。日本で集めたブランドと、撮影、受注、配送の仕組みを、大きな海外市場へ持っていく。しかしサービスは2013年1月に終了する。[30]

国内でネットの店を育てた経験があっても、別の国で同じように客を集められるとは限らなかった。会社は2019年に別の体制で再進出するが、後の現地法人経営者は、その間に消費者の購買力や日本の服への関心、使われる販売経路が変わったと説明している。前澤時代のZOZOTOWNには、国内での成功と並行して、海外で早くも店を閉じた経験があった。[31]

1年半で終わったフリマ

2015年12月、個人同士で服を売買するZOZOフリマを始めた。過去の購入履歴やWEARへ登録した服から、出品するものを選べる。商品の写真や説明を全部自分で作らなくても、既にある情報を使える。出品された服はZOZOTOWNにも表示した。服を買う客がいる場所に、売りたい人も集めようとした。[32]

翌年3月、販売手数料10%を期間限定で0にした。売れた代金から会社が受け取る分を、いったんなくす。公式アカウントから毎日100点以上を販売するセールも始めた。利用を促すため、既存の顧客や商品情報に加え、料金でも踏み込んだ。[33]

それでも2017年6月末に終了した。開始から1年半。会社は、古着事業全体をやめるのでなく、ZOZOUSEDへ人や資金を集めると説明した。個人同士の売買を仲介するアプリは閉じ、会社が集めて販売する店を残す。同じ服でも、同じようには育たなかった。[34]

支払いを2か月先へ送る

別の方向では、買うためのお金を払う時期にも手を伸ばした。2016年11月のツケ払いだ。商品を受け取ってから、最大2か月後までに払う。導入時の利用限度額は5万4000円、手数料は324円だった。クレジットカードのない客も、届いた服を確かめてから、コンビニや銀行で支払える。[35]

売り場を大きくするだけでなく、見つけ方、着方、手放し方、支払い方まで変える。そのたびに会社が扱う仕事は増えていた。服を売る画面の裏に、以前はなかったサービスと費用が重なっていった。

101億ドル(約157億円)の絵を買う

取り逃がした球場へ戻る

2016年、6年前には取れなかった球場の命名権を取得した。12月からZOZOマリンスタジアム。10年間の契約で、税別の年額は3億1000万円だった。慣れ親しんだマリンの名を残し、その前へZOZOを入れる。ネット上の架空の街から始まった名前が、試合のニュースや観客の会話の中で使われるようになった。[16]

この時の幕張手当は月5万円。前澤個人も、球場の改修などに使う基金へ1億円を寄付した。会社の広告と、自分たちが暮らす街への関わりが重なった。会社の規模が大きくなれば、その名前を置ける場所も、出せる金額も変わる。[16]

絵の前で暮らす

前澤個人の買い物も、その桁が変わっていた。2016年に『GQ』が訪ねた自宅のリビングには、幅4メートルほどのロイ・リキテンスタインの作品があった。漫画のような線や色使いでも知られるアメリカの画家だ。集めた作品は家の中へ置き、毎日見る。廊下にも部屋にも作品があった。[36]

現金をため込むより、好きなものへ使う。ただし、欲しい物なら際限なく競り上げるわけでもなかった。作家や市場への影響を考え、入札から降りる場合もあった。買うこと自体が楽しみであり、その後で作品と暮らす時間も楽しみだった。[36]

6800万ドル(約107億円)の後に手が上がる

2017年5月、アメリカ東部・ニューヨークのオークション会社Sotheby’sで、ジャン=ミシェル・バスキアの絵が売りに出た。若くして亡くなった画家が1982年に描いた《Untitled》。前澤は東京の自宅から中継を見て、電話で入札していた。[37]

開始額は5700万ドル(約89億円)。価格は6800万ドル(約107億円)へ上がった。そろそろ決まる。競売人がハンマーを下ろそうとするところで、会場にいた別の買い手が札を上げた。そこから競りが再び続いた。前澤と、会場の買い手。最後に前澤が入れた額は9800万ドル(約154億円)だった。手数料を含む公表額は1億1050万ドル(約174億円)。[37]

前年にも、別のバスキアを5730万ドル(約90億円)で買っていた。その記録を、自分の次の買い物で大きく越えた。かつて輸入盤を選び、同じ音楽を好きな客へ届けていた男が、今は1枚の絵で世界中から注目される買い手になった。[37]

物を買うと人にも会える

前澤は、バスキアを好きな俳優レオナルド・ディカプリオから連絡を受け、自宅へ招かれたと話している。高級車を買えば、作っている工場へ行き、作り手と会う機会も生まれる。手に入るのは物だけではない。普通には入れなかった場所へ入り、知り合えなかった相手と話す。その経験も含めて、大金を使っていた。[20]

買ったバスキアは2018年、画家の故郷にあるBrooklyn Museumへ貸し出した。1つの作品を中心とする展示で、個人が買った絵を他の人も見られるようにした。自宅で毎日眺める楽しみを持ちながら、自分の家の外へも出す。前澤の収集は、その両方へ向かっていた。[38]

11世界中の体を測りたい

決算説明会にエリンギが立つ

大きな会社になっても、前澤たちは堅い顔だけで数字を説明することにはしなかった。2017年4月の決算説明会では、CFOの柳澤孝旨が全身タイツで登場した。2010年に前澤が着たエリンギの衣装を引き継いだのだ。姿はエリンギでも、説明する中身は商品取扱高や利益、次の計画だった。[34]

その年の11月22日、前澤の42歳の誕生日に、新しい黒い服が発表された。ZOZOSUIT。全身を測るためのボディースーツだ。上下を着てスマートフォンにつなぐと、伸縮するセンサーで体の寸法を測れる。無料で配り、送料だけを受け取る計画だった。[39]

サイズを選ぶ側を変える

MかLか。近い方を選び、合わない部分は我慢する。前澤が変えたかったのは、その服の買い方だった。複数の測定方法を調べ、ニュージーランドで素材の伸びを電気的な情報へ変える技術を持つStretchSenseと開発を進めた。服の寸法を測って客へ知らせる会社が、今度は客の体を測ろうとした。[40]

その先には自社ブランドZOZOがあった。体に近い服を探してもらうのでなく、測った体へ合う服を作る。従来のブランドの服を集める売り場から、自分たちで体型の情報を持ち、商品まで作る会社へ変わる構想だった。採寸が各地でできれば、日本の服を海外へ送る以上のことができる。世界中の体を、同じ仕組みで扱えるかもしれない。[41]

ところが、最初に必要な採寸用のスーツが届かなかった。予約が集まっても、配る物を大量に作れない。世界の服の選び方を変える構想は、まず1着を製造して発送するところで止まった。[42]

12白い水玉へ作り替える

予約は集まっても作れない

伸縮するセンサーを組み込んだ製品を、安定して大量生産する。そこには会社にも開発パートナーにも十分な経験がなかった。2018年4月の決算説明会で、会社は当初型の大量生産が困難だったと認めた。発表の映像を見て申し込んだ客は、現物を待たされていた。[42]

センサーを白い水玉へ替える

カメラで測る方式のZOZOSUITを着用した利用者(2018年10月撮影)。
カメラで測る方式のZOZOSUITを着用した利用者(2018年10月撮影)。
写真:Steve Rainwater from Irving, US/出典/CC BY-SA 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

4月27日、別の方式のZOZOSUITを発表した。黒い生地に白い丸いマーカーを配置し、スマートフォンのカメラで体を撮る。最初のセンサー入りスーツから、外見も測り方も変わった。電子部品へ頼る方法をやめ、作りやすいスーツとカメラを組み合わせた。[43]

前澤が示した配布計画は、年度内に最低600万着、可能なら1000万着。待たせた客へ順に届けるだけでなく、その先へさらに大きく広げようとした。新型の白い水玉は目立った。だが会社が回収しなければならないのは、注目だけではない。無料で作って送った後、本当に服を買ってもらう必要があった。[44]

天才へ年収1億円を掲げる

同じ4月には、グループの技術会社3社を統合し、スタートトゥデイテクノロジーズを発足させた。久保田竜弥と金山裕樹が代表として並び、既存サービスの開発だけでなく、新しい事業や研究も扱う。博士やエンジニア、デザイナーへ、服を技術で変える仕事に加わってほしいと呼びかけた。[45]

掲げた募集の言葉は天才や逸材。年収1億円の採用も打ち出した。6月の株主総会では、実際に採ったのかと質問される。数名を採用した。ただし実際の年収は非公表。大きな条件で関心を集め、人を社内へ入れるところまでは動いた。[46]

13服を選ばない買い物まで作る

箱で届く5〜10着

体の寸法に加えて、客が何を着たいかという迷いも引き受けようとした。2018年2月に始めたおまかせ定期便だ。好きな雰囲気、避けたい色や柄、気になる体形、予算を答える。注文履歴などと組み合わせて分析し、服の販売を経験してきたスタッフが選ぶ。[47]

箱に入るのは5〜10点。着こなしの助言もつく。家で試し、気に入った服だけを買えばよい。残りは無料で返せる。毎月、2か月ごと、3か月ごとに届ける頻度も選べた。店へ来て選んでもらう会社が、選んだ服を家へ送るところまで踏み込んだ。[47]

ただし、そのサービスは長く続かなかった。2019年3月、終了を知らせ、4月から新規の受付を止めた。既存の客にも次回の便を最後にすると案内する。服選びの手間を取り除こうとした仕事も、1年余りで終わりへ向かった。[48]

72の国と地域へ出る

ZOZOTOWNの配送箱(2018年9月撮影)。
ZOZOTOWNの配送箱(2018年9月撮影)。
写真:kobakou/出典/CC BY 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

2018年7月、自社ブランドZOZOを72の国と地域へ広げた。海外の10万人へ、ZOZOSUITとTシャツ、デニムを配るキャンペーンも始める。国内ではビジネススーツへも進んだ。採寸用の服を配り、体の情報を集め、その人に合う商品を届ける。自分たちで費用を先に出し、新しい客を作る勝負だった。[49]

だが2019年3月期、売上高は1184億500万円へ伸びた一方、営業利益は256億5400万円となり、前期から21.5%減った。自社ブランドの海外事業は撤退へ進む。減損や在庫の評価、事業整理などに伴う特別損失は16億1100万円だった。[50]

無料で配ったスーツの数を増やしても、その数だけ服が売れるわけではない。先に出した費用を、続く注文で取り戻す必要があった。ブランドから服を預かって育てた商売と、自分たちで服を作り世界へ売る商売。その難しさの違いが、決算の数字へ表れた。[50][51]

14絵を買う人から作品を生む人へ

芸術家を月へ招待する

2018年9月、会社が大きな新事業へ踏み込む中、前澤は個人でも別の計画を発表した。イーロン・マスクが率いるSpaceXと進めるdearMoon。宇宙船で月を周回して地球へ帰る旅だ。[52]

自分だけの旅行にはしない。画家や音楽家、映像を作る人たちを招待し、同じ景色を見てもらう。月を間近に見た芸術家は、地球へ帰った後で何を作るのか。前澤が買っていたのは既に完成した作品だったが、この計画では、まだ作られていない作品の出発点へお金を使おうとした。[52]

発表時の目標は2023年。SpaceXが開発する大型宇宙船に乗る予定だった。2021年には同行者の公募へ進む。宇宙旅行を自分だけで完結させず、別の人の表現や、地上で見ている人の体験へ広げたい。その意図を本人は取材でも説明していた。[53]

ただ、招く人を募る間も、宇宙船の開発は続いていた。旅行へ払う資金を用意することと、予定の日に飛べること。その間には、前澤の会社の外側で進む、もう1つの大きな仕事があった。[52]

15ありがとうの値引きが反発を呼ぶ

客の得がブランドの悩みになる

2018年12月、ZOZOARIGATOメンバーシップを始めた。会費を払うと割引価格で買え、その分を寄付やショップへの支援にも回せる。安く買うだけでなく、感謝を渡す仕組みも組み合わせた会員サービスだった。[54][55]

しかし、商品を出すブランドには喜べない事情があった。自分たちの服の横に、いつも割引価格が表示される。値引き分をZOZOが負担しても、定価で売る実店舗やブランド自身の売り場には影響が出る。どこで買っても大切に扱われるようにしてきた商品が、ある売り場では常時安く見える。[55]

ブランドとの信用を積み、出店してもらって育った店だった。買う客が得をする方法を押し出した時、今度は商品を預ける相手との関係が揺れた。[55]

5か月で終わりを決める

2019年4月、終了を発表した。会社は、入会者数が想定へ届かなかったことなどを挙げ、総合的な判断と説明する。5月30日で終え、年会費を払った客には残る分を月割りで返すことになった。[54]

採寸用のスーツを作り替え、自社ブランドの海外展開を整理し、始めたばかりの会員サービスも閉じる。新しいことを打ち出す速さと、やめると決めなければならない速さが、同じ時期に重なった。売上が伸びても利益が減る中、前澤の会社は、次へ持っていく仕事と残さない仕事を選び直していた。[50][54]

16自分で作った会社を手放す

4000億円を超える買い付け

2019年9月12日、ZOZOはYahoo! JAPANによる株式公開買い付けへ賛同し、資本業務提携を結ぶと発表した。1株2620円。過半数の取得へ向け、買い付け総額は4000億円を超える規模となった。大きな利用者基盤や決済サービスを持つ相手と組み、服の通販をさらに広げる。[56]

前澤も保有株の大部分を応募する契約を結び、同日、社長を退いた。後任は澤田宏太郎だった。自宅で始め、自分でシステムまで作り、友人や弟と回してきた会社の先頭を、別の人へ渡した。[57]

実際に売れたのは5767万1700株。1株2620円を掛けると、売却代金は1510億9985万4000円となる。応募した全株がそのまま売れたわけではなく、買い付け後も17.9%が残った。創業して得た株式の一部が、手元で使える巨額の現金へ変わった。[58][56]

1000億円をATMで記帳する

11月、前澤はYouTubeチャンネルを始めた。第1弾は、1000億円を通帳へ記帳する企画だった。本人の説明では、株を売って入った約1500億円のうち、約500億円を借金の返済へ回した。残った1000億円近くを、銀行へ行って確かめる。[59]

通帳をATMへ入れる。ところが1度では受け付けてもらえない。普段はスタッフが銀行へ行くため、自分では久しぶりだった。入れ直すと印字できた。見せた通帳には1000億円を超える振り込みがあり、その後にも巨額の引き落としがあった。[59]

手元へ入る桁も、出ていく桁も普通ではない。それを、通帳の入れ方でつまずく場面と一緒に見せる。売却の会見で終わらせず、現金になった後まで映像にした。前澤は新しい仕事を、まず自分自身の暮らしを見せるところから始めた。[59]

次の会社へまたお金を渡す

退任後は、起業家への出資や新しい事業へ進んだ。2021年に説明した計画には、養育費の保証、健康、ペット、動画、海の中の体験などが並ぶ。投じる予定の額は約100億円。資金を出すだけでなく、経営にも関わる考えを示した。[60]

会社を売って得たお金を、もう仕事をしなくてよい残高として置くのでなく、次の仕事へ使う。前澤は2022年の取材でも、お金を稼いで社会へ戻し続ける考えを話した。服の通販で得た財産を、服の外側へも運んでいった。[61]

171億円を配ると声が変わった

545万回を超えて広がる

時間を少し戻す。まだZOZOの社長だった2019年1月5日、前澤は100人へ100万円ずつ渡す企画をTwitterへ投稿した。合計1億円。ZOZOの初売りを盛り上げる狙いもあった。応募のためにフォローし、投稿を広める人が集まる。[62]

同月8日付でGuinness World Recordsが確認したリツイート数は545万5411回だった。会社の服の広告以上に、創業者がお金を配る投稿が広がった。翌2020年には1000人へ100万円ずつ、総額10億円へ企画を大きくした。[63][60]

集まったものは数字だけではない。以前は会社への要望が多かったコメントに、お金に困っている、挑戦したいが資金がない、といった声が入るようになった。前澤は数時間かけて読み、最初の企画では、やりたいことを書いた人を選ぶこともあった。渡した後に何を始めたのか、相手の投稿も追った。[62]

会社へ出資すれば、その後の事業を見る。個人へお金を渡した場合にも、受け取った先で何が起こるかに関心があった。後には生活に困る人や芸術家など、対象を変えながら続けた。派手な買い物をする人として知られた名前が、今度は自分にもお金が届くかもしれない相手として見られるようになった。[61]

短期売買で44億円を失う

使えるお金が大きくなっても、すべての使い方でうまくいったわけではない。2020年9月、前澤は株の短期売買で44億円の損失を出したと公表した。感染症の流行で値が激しく動く中、慣れない売買を繰り返した結果だった。[64]

その額があれば何人へお金を渡せたか。前澤が投稿で悔やんだのは、失った金額の別の使い道だった。事業で取り返すと表明した。100万円を配る人が、自分では44億円を失う。お金を手にして何でもできるようになった人物の隣に、そのお金を扱い損ねた姿も出た。[64]

18宇宙へ行く前に学校へ戻る

回転する椅子に座る

前澤が着用したSokol-KV2宇宙服の展示(2023年12月撮影)。
前澤が着用したSokol-KV2宇宙服の展示(2023年12月撮影)。
写真:SuFlyer/出典/CC0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

dearMoonの準備を進める一方、前澤は別の宇宙旅行へ動いた。国際宇宙ステーション、ISSだ。地球を周回し、宇宙飛行士たちが仕事をしながら暮らす施設へ滞在する。2021年、まずは飛べる体かどうかを確かめる試験を受けた。[65]

本人が想像していたのは人間ドックほどのものだった。待っていたのは回転する椅子や、強い重力をかける検査。検査を受け、体が打ち上げに耐えられるかを確かめる。旅行代金を支払った後も、飛ぶための準備を1つずつこなす必要があった。[65]

ロシアでの訓練は、平日に授業を受ける学校のような日々になった。会社では自分で次の方針を決めてきた人が、今度は習う側へ座る。機器の扱いも、非常時の動きも、初めから教わる。高額な旅行を買った後に、長い準備が始まった。[65]

秘書も一緒に地球を離れる

前澤友作(2021年12月11日、国際宇宙ステーション)。集合写真の前列左。
前澤友作(2021年12月11日、国際宇宙ステーション)。集合写真の前列左。
写真:Mark Vande Hei (see EXIF data)/出典/Public domain。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

同行したのは平野陽三。前澤の仕事を支えてきた人物で、宇宙では映像を記録する役も担った。撮影機材の重さには制限がある。大人数のスタッフを連れていく撮影ではない。限られた機材で、旅行者が何を見せれば面白いかを考えた。[66]

2021年12月8日、前澤と平野は、ロシアの宇宙飛行士アレクサンダー・ミシュルキンとSoyuz MS-20で出発した。到着先は月ではなくISS。2人は、地球を離れた後の日常を地上へ見せ始めた。[67]

19宇宙のトイレまで公開する

地上と同じには眠れない

展示された宇宙服の、前澤・ミシュルキン・平野の名が入るミッションパッチ(2023年撮影)。
展示された宇宙服の、前澤・ミシュルキン・平野の名が入るミッションパッチ(2023年撮影)。
写真:SuFlyer/出典/CC0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

窓から見える地球だけなら、既にたくさんの宇宙の映像があった。前澤は生活の方へもカメラを向けた。宇宙でトイレを使うにはどうするのか。尿を吸い込むホースと、地上の物より小さな便器。体をどこへ固定し、何を使うのかを、自分が使う場所で紹介した。[68]

観光名所を巡って終わる旅とは違い、そこで毎日を過ごさなければならない。事前に集めた宇宙でやってほしい100のことは、帰還後の説明では70〜80ほど実現した。慣れるまで3〜4日かかり、ようやくわかってきた時には残りの日程が少なくなっていた。特に苦労したのは睡眠だった。[69]

何もかもが初めての場所で、企画を撮り、体を慣らし、眠る。壮大な景色のすぐ隣で、小さな生活の問題が続く。それも地上へ届けた。

12日後に重力へ戻る

12月20日、3人はカザフスタンへ帰還した。12月8日の打ち上げから12日後。無重力で過ごした日々が終わった。[67]

帰国後の会見で前澤は、重力の重さを改めて感じたと話した。地球を外から眺めると国の境目は見えない。国を動かす人たちにも同じ景色を見てほしいと考えた。一方、次の夢を聞かれれば月の旅があった。ISSへ行った経験をもとに、さらに遠くへ行く計画を進めるつもりだった。[70]

レコードの物販から始まり、服を売る街を作り、会社を売却し、宇宙へ行った。普通なら終着点に見える出来事の後に、前澤はまた別の行き先を置いた。その月の旅にも、同行する人たちが加わっていた。[71]

201円を求めて訴える

本人の名前で別人が呼びかける

お金を配る発信には、前澤の名を使う偽物も現れた。本人が勧めているように見せた投資広告や、似せたアカウント。著名人への信用を入口に、別の相手が金を集めようとする。自分の名前と顔が、関わっていない広告へ使われた。[72]

2024年5月15日、前澤はMetaとFacebook Japanを提訴したと発表した。求めた損害賠償は1円。大金を得るための請求ではなく、広告の扱いが違法かどうかを明らかにしたいという説明だった。名前や肖像を広告へ掲載しないことも求めた。[72]

個人で発信して人を集めることはできても、集まった信用を誰にどう使われるかまでは決められない。今回は自分で新しい企画を打ち出すのでなく、プラットフォーム側の責任を問う方へ動いた。自分の名を使った広告への対策を求め、法廷にも訴えを持ち込んだ。[72]

21月へ招いた人たちを待たせる

100万人から8人を選ぶ

2022年、dearMoonの同行者を発表した。世界中から100万人が応募し、選ばれた8人には音楽家スティーヴ・アオキやT.O.Pもいた。自分1人なら決め直せる旅行が、別の人たちも予定を空け、準備を進めるプロジェクトになった。[71]

目指していたのは2023年の打ち上げだった。しかし、その年には飛べなかった。ISSへ行く時には、既に人を運んでいるSoyuzへ乗った。月の計画で待っていたのは、開発中のSpaceXの大型宇宙船Starshipだった。準備する人がそろっても、乗る船が予定へ追いつかない。[73][52]

終わりを知らせる側になる

2024年6月1日、dearMoonは中止を発表した。2023年中の打ち上げが実現せず、近い将来の見通しも不明瞭なためだと説明し、楽しみにしていた人たちへ謝罪した。[73]

前澤には、作品を買うだけでなく、新しい作品を生む旅を作る構想があった。そのための資金を出し、仲間を選び、世界へ発表した。それでも実現できず、自分が終わりを知らせる側へ回った。まだないものへ早くから参加する楽しさには、できあがった物を買う時にはない待ち時間と、終わらせる判断がついてきた。[52][73]

22電気代を会社の株に変える

今度は客を株主へ招く

2024年11月20日、カブアンドを始めた。電気、ガス、モバイル通信、インターネット回線、ウォーターサーバー、ふるさと納税。服を買う日だけでなく、毎月支払う暮らしの費用を扱う。利用額に応じて株引換券を受け取り、申し込むと運営会社カブ&ピースの未公開株へ交換できる仕組みだった。[74]

ポイントを受け取って次の買い物へ使う客から、自分たちの会社の株を持つ人へ。前澤が掲げたのは国民総株主だった。会社を成長させ、その株の価値を高めることに、客にも参加してもらう。ZOZOの株を売って巨額の現金を得た人が、今度は株を渡す会社を作った。[74]

ただし、受け取った株を、その場で現金に換えられるわけではない。会社の案内では、上場するまでは売却できず、上場後もロックアップが解除されるのを待つ必要がある。上場自体も時期も約束されていない。前澤がかつて得た株式売却の結果と、これから利用者へ渡す未公開株の将来は同じではない。株主を増やした後、その期待へ事業で応える仕事が残る。[75][76]

6畳の部屋から続く仕事

2026年3月期、ZOZOの年間売上高は2283億7300万円になった。前澤が去った後も、澤田らの経営と社員の仕事で、服の売り場は育ち続けている。商品が売れた総額とは別に、受託販売の手数料などを積み上げた会社自身の売上高だ。[77]

最初に全国へ届けていたのは、選んできたレコードだった。やがて服を預かり、人の体を測ろうとし、作品を買い、芸術家を宇宙へ招こうとした。送料で客へ言い返し、スーツを届けられず、利益を減らし、月の計画も中止した。派手な発表の後には、完成させ、届け、続ける仕事がいつも残った。

今は毎月の支払いを入口に、また人を集めている。6畳間で注文の電話を取っていた頃から、渡す物も使う金額も変わった。客が自分の選んだものに興味を持ち、参加してくれる。その先に何を届けられるか。前澤の次の事業も、そこを問われる場所から始まっている。

参考文献・出典 77件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. 前澤友作インタビュー — ドリームゲート ↩ 本文
  2. 前澤友作インタビュー — ベンチャー通信42号、2010年12月 ↩ 本文
  3. 成功のヒミツ──前澤友作(起業家) ↩ 本文
  4. EY Entrepreneur Of The Year Japan 2009 Fact Book — 前澤友作 ↩ 本文
  5. 前澤友作×齋藤宏 対談、2014年2月 ↩ 本文
  6. ZOZO — 会社沿革 ↩ 本文
  7. ポーター賞2014年受賞企業・事業レポート — スタートトゥデイ ↩ 本文
  8. 前澤友作が民間人初の月周回へ — Space Today公式発表・本人プロフィール(2018年9月18日) ↩ 本文
  9. 前澤友作インタビュー — BusinessPlus、2011年 ↩ 本文
  10. 武藤貴宣・松田健対談、ゾゾタウンの20年 — WWDJAPAN、PR取材、2025年 ↩ 本文
  11. ZOZOTOWNを支える「縁の下」のシステム開発 ↩ 本文
  12. 前澤友作×田原総一朗 対談 — PRESIDENT、2014年 ↩ 本文
  13. 自己ブランディングをしないと、重要な意見も伝わらない ↩ 本文
  14. 清水俊明対談:顧客と社員に向き合うZOZOTOWN — ITmedia Executive、2014年、IBM提供記事 ↩ 本文
  15. 千葉マリンスタジアム命名権取得に向けた署名活動を開始 ↩ 本文
  16. 千葉マリンスタジアムの命名権取得、「ZOZOマリンスタジアム」に決定 ↩ 本文
  17. ZOZOTOWNチャリティーTシャツ、1枚2000円を寄付へ ↩ 本文
  18. 東北地方太平洋沖地震災害支援チャリティーTシャツ 集計結果 ↩ 本文
  19. スタートトゥデイの六時間労働 — J-CAST会社ウォッチ、2012年6月6日 ↩ 本文
  20. 前澤友作「お金を増やす方法」インタビュー — 新R25、2018年 ↩ 本文
  21. 送料発言についての謝罪 — 流通ニュース、2012年10月23日 ↩ 本文
  22. ZOZO — 全品送料無料とポイント10%還元、2012年10月31日 ↩ 本文
  23. ZOZO — 送料自由の結果と200円への変更、2017年10月30日 ↩ 本文
  24. 循環型ファッションを楽しもう!「ZOZOUSED」なら、誰かの不要な一着が自分のお気に入りに ↩ 本文
  25. 着ない洋服をいつでもポイントに交換できる「いつでも買い替え割」を本日開始 ↩ 本文
  26. WEAR — 初期アプリの開発実績・機能 ↩ 本文
  27. WEARと店頭利用への反発 — 東洋経済、2013年 ↩ 本文
  28. WEARバーコードスキャン終了 — WWDJAPAN、2014年4月8日 ↩ 本文
  29. ZOZO — WEAR十周年、2023年10月31日 ↩ 本文
  30. ZOZO — 中国版ZOZOTOWN再開、初回2011–13年の経緯 ↩ 本文
  31. 中国現地法人CEOインタビュー — FASHIONSNAP / SEVENTIE TWO、2021年 ↩ 本文
  32. ファッションフリマアプリ「ZOZOフリマ」を本日提供開始 ↩ 本文
  33. ZOZOフリマ販売手数料10%を無料化 ↩ 本文
  34. スタートトゥデイ2017年3月期通期決算説明会 ↩ 本文
  35. ZOZO — ツケ払い開始、2016年11月1日 ↩ 本文
  36. アートと暮らし、アートをシェアする前澤友作さんに訊く ↩ 本文
  37. 前澤友作とバスキアの競り — Sotheby’s本人取材、2017年8月 ↩ 本文
  38. ブルックリン美術館でのバスキア公開 — The Art Newspaper、2018年1月11日 ↩ 本文
  39. ZOZO — ZOZOSUIT無料配布の予約、2017年11月22日 ↩ 本文
  40. 前澤友作、ZOZOSUITを語る — ITmedia NEWS本人取材、2018年3月20日 ↩ 本文
  41. 前澤友作、PB構想を語る — Business Insider Japan本人取材、2018年 ↩ 本文
  42. ZOZO — 2018年3月期通期決算説明会Q&A、2018年4月27日 ↩ 本文
  43. ZOZOSUITの仕様変更 — ケータイWatch、2018年4月27日 ↩ 本文
  44. 新型ZOZOSUITの発表と旧型の配送 — ITmedia NEWS、2018年4月27日 ↩ 本文
  45. 技術力を集約した新会社スタートトゥデイテクノロジーズを発足 ↩ 本文
  46. 第20回定時株主総会 質疑・応答集 ↩ 本文
  47. ZOZOTOWN、「おまかせ定期便」を本日より開始 ↩ 本文
  48. “ZOZO流”服のサブスク「おまかせ定期便」、1年でサービス終了 ↩ 本文
  49. ZOZOの72か国・地域展開発表 — 通販通信、2018年7月3日 ↩ 本文
  50. ZOZO — 2019年3月期決算短信 ↩ 本文
  51. ZOZOの2018年 — FASHIONSNAP、2018年 ↩ 本文
  52. ZOZO — dearMoon発表、2018年9月18日 ↩ 本文
  53. Business Insider — 前澤友作本人への月旅行インタビュー、2021年 ↩ 本文
  54. ZOZO — ZOZOARIGATO終了、2019年4月25日 ↩ 本文
  55. ZOZOARIGATO終了とブランド側の反応 — ITmedia NEWS、2019年4月25日 ↩ 本文
  56. ソフトバンク — ヤフーによるZOZO株式公開買付けの予定、2019年9月12日 ↩ 本文
  57. ZOZO — ヤフーによる公開買付けへの賛同と資本業務提携、2019年9月12日 ↩ 本文
  58. ZOZO — 2020年3月期第3四半期決算説明会資料、TOBの結果 ↩ 本文
  59. 日刊スポーツ — 本人公開の通帳記帳映像、2019年11月29日 ↩ 本文
  60. 前澤友作「僕のお金の哲学」本人寄稿 — 文藝春秋、2021年1月11日公開 ↩ 本文
  61. 前澤友作独占インタビュー — Forbes JAPAN、2022年 ↩ 本文
  62. 今後のお金贈りとフォロワー全員お金贈りについて ↩ 本文
  63. Most reposted message on X (formerly Twitter) ↩ 本文
  64. ライブドアニュース — 前澤友作本人の2020年9月6日投稿 ↩ 本文
  65. RBB TODAY — 宇宙飛行士試験についての本人発言、2021年5月23日 ↩ 本文
  66. スポーツニッポン — 平野陽三監督インタビュー、2023年11月15日 ↩ 本文
  67. NASA — Trio of Russian, Japanese Station Visitors Back on Earth、2021年12月19日 ↩ 本文
  68. ユーチュラ — 前澤友作の宇宙でのトイレ紹介映像、2021年 ↩ 本文
  69. ナビコン — 帰還報告記者会見オフィシャルレポート、2021年12月23日 ↩ 本文
  70. ENCOUNT — 帰国後会見の本人一問一答、2022年1月7日 ↩ 本文
  71. AP — Japan billionaire Maezawa cancels moon trip、2024年6月1日 ↩ 本文
  72. ITmedia NEWS — 前澤友作がMetaとFacebook Japanを提訴、2024年5月15日 ↩ 本文
  73. dearMoon — プロジェクト中止のお知らせ、2024年6月1日 ↩ 本文
  74. カブ&ピース — カブアンド開始、2024年11月20日 ↩ 本文
  75. もらった株を売るにはどうすればよい? — KABU&公式FAQ ↩ 本文
  76. カブアンド — サービス内容・未公開株と発行価格の説明、2026年10月確認 ↩ 本文
  77. ZOZO — 2026年3月期決算短信 ↩ 本文

写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。

※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD

本文更新:2026-11-02

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