THE STORY
イーロン・マスクの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01本の向こうのアメリカ
プレトリアの長男
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。
イーロン・マスクは1971年6月28日、南アフリカ北東部の行政首都プレトリアで生まれた。父エロールは技術者。母メイは栄養士として働き、モデルの仕事もしていた。弟キンバル、妹トスカが続く3人きょうだいの長男である。家にいたのは、本を次々に読んでしまう少年だった。物語だけでは物足りず、百科事典も開く。母の記憶では、8歳か9歳で読んだ項目を覚えていた。ページの向こうには、学校の人間関係とは別の、知れば知るほど広がる世界があった。[1][2]
漫画ならBatmanもSupermanも読んだ。SFを読めば宇宙へ行けるし、技術の本を読めば機械の仕組みが分かる。そして新しい発明の話には、何度も同じ国が出てきた。アメリカだった。子どものころに訪れたこともあるその国へ、いつか移りたい。後にマスクが語ったのは、面白い技術が生まれる場所へ行きたかったということだ。読んできた技術の話に、自分も関わる。その場所へ渡る道を探した。[3]
ゲームを自分で作る
店に並ぶ家庭用コンピュータCommodore VIC-20に出会うと、本の中で広がっていた世界に、自分の手で入り込めるようになった。プログラムを書けば画面が動く。誰かが作ったゲームを遊ぶだけでなく、遊ぶ仕組みそのものを作れる。マスクはプログラミングを覚え、12歳で自作のゲームを売った。原稿として雑誌に載るほどのコードを、南アフリカの少年が自分で書いたのだ。宇宙へ機体を送るよりずっと前に、頭の中の仕掛けを動くものにして、他人へ渡していた。[4][1]
だが、コンピュータの中へ入るのと、外国で暮らし始めるのは違う。両親は離婚し、父は南アフリカに生活の基盤を置いていた。アメリカへ行きたいという希望だけで、家族の予定も学費もそろうわけではない。そこで使える手掛かりが1つあった。母メイが生まれた国は、南アフリカではなかった。[4]
02カナダの旅券を手に入れる
1人分の旅券
母の出生地はカナダだった。マスクは旅券に必要な書類を集め、北米へ渡る道を開いた。南アフリカの白人男性には当時、アパルトヘイト体制下の軍務が課されていた。その国を出ることには、軍務を避ける意味もあった。両親の意向に反して1人で出発したと、本人は後に語っている。アメリカへ直行する条件がそろわないなら、まずはカナダへ。目的地を変えず、そこへ近づくための入口を変えた。[4][1]
カナダには親類がいた。それでも大学の費用まで自然に用意されることはなく、父も国外の大学へ通う学費を出さなかった。マスクは進学の道を自分でつなぐ。向かったのは、カナダ東部・オンタリオ州の湖畔の大学都市キングストンにあるQueen's University。その後、奨学金を得てアメリカのUniversity of Pennsylvaniaへ移った。旅券を取って終わりではない。外国で暮らし、学び続けられる条件を1つずつそろえ、ようやく本で読んできた国へ入った。[4]
物理と経済を学ぶ
大学で選んだのは物理学と経済学だった。宇宙へ行くにも、エネルギーの使い方を変えるにも、物理法則は避けられない。一方で、設備や人を集めるには資金が要る。マスクは片方を捨てて専門を1つに絞らず、両方を学んだ。やがてロケットの設計と会社の残高を同じ日に見ることになるが、この時点ではまだ、大学で2つの分野に取り組む学生である。[5]
将来取り組みたい分野も見えてきた。インターネット、持続可能なエネルギー、宇宙。どれも大きい。ただし学生の手元から始めるなら、ロケットの工場とソフトウェアでは必要な金額が違いすぎる。まずインターネットに入る。その仕事で得た資金があれば、いまは手を出せないことにも取り組めるかもしれない。後のTeslaとSpaceXに直結する道が、最初から用意されていたわけではなかった。[6]
03就職できず会社を作る
Netscapeのロビー
1995年、マスクはカリフォルニアへ来た。Stanford Universityの大学院で研究する予定があり、電気自動車に使う蓄電技術にも関心を持っていた。ところが、目の前でインターネットが商売になり始めている。研究を終えるまで待つのか。それとも、広がり始めたばかりの市場へ今入るのか。彼は進学を延期した。大学へ戻る余地を残しながら、教室へ行かない生活を始めた。[7]
まず応募したのは、ウェブを見るためのソフトで急成長していたNetscapeだった。返事は来ない。ならばと会社のロビーまで行ったものの、誰に声を掛ければよいか分からず、そのまま帰った。後年のマスクは大企業にも政府にも正面から意見をぶつける。その男が、このときは採用の話を切り出せなかった。就職は決まらない。そこで弟キンバルらと、自分たちのソフトウェアを売る仕事に入った。[3]
昼は営業中 夜は開発中
借りたのは小さなオフィスだった。別に家を借りる費用は出さず、ソファで眠った。シャワーを浴びるときはYMCAへ行く。コンピュータは1台しかない。昼間は顧客が使うウェブサイトを動かし、夜になるとマスクがプログラムを書く。営業時間中の機械は開発に使えない。だから開発する人間の方が夜へ回る。キンバルと始めた会社には、生活と仕事をきれいに分ける境目がほとんどなかった。[8]
兄弟が持ち寄れたのは、それぞれ数千ドル(円換算では数十万〜100万円台の規模)ほど。オフィスの家賃は月400〜500ドル(約6万3040円〜7万8800円)だった。アパートより安い場所を選んだという。寝室を諦めれば、その分だけ会社を長く動かせる。昼に使った部屋で横になり、また同じ機械へ戻る。後に巨額の取引を動かす人物の最初の資金繰りは、毎月の家賃をどこまで抑えられるかという、ごく身近な支払いだった。[6]
この事業がZip2になった。街の店や地図などの情報を、新聞社がインターネットで提供するためのソフトウェアだ。地域の店を知る新聞社と、画面上で情報を探す読者をつなぐ。紙で読まれていた案内を、検索できるサービスへ移していく。兄弟がオフィスで作っていたものに、大きな新聞社が顧客として付くようになった。1台の機械で昼夜を分けていた仕事が、外から資金を集める会社へ育ち始めた。[9]
04自分の会社で席を失う
外からCEOが来た
Zip2へ投資家が入ると、会社には金だけでなく、新しい経営者もやって来た。経験のある人物に任せる方が成功しやすい。マスクはその考えを受け入れ、CEOの座を譲って技術と製品に力を注いだ。自分が作ったものをもっと大きくするための選択だった。ところが、その後の経営には強く不満を持つようになる。成長した会社で、自分が正しいと思う方向へそのまま進めなくなっていた。[3]
キンバルと小さな部屋を借りていたころは、何を作るかを自分たちで決められた。今は取締役と投資家がいて、新聞社という大口の顧客もいる。Zip2の販売先は広がったが、マスクの発言だけで経営方針は決まらない。自分たちでコードを書いて始めた青年は、会社が大きくなるにつれ、経営の主導権を失う経験をした。やがて会社の行き先は、買収によって決まる。[7][9]
オフィスに買い手が付く
1999年2月、PCメーカーCompaqがZip2の買収を発表した。同社は検索サービスAltaVistaをインターネットの入口へ育てようとしていた。そこに、Zip2が持つ地域情報や広告の仕組みが必要になった。新聞社へ売っていたソフトウェアは、大企業のネット戦略に組み込まれる。ソファを寝床にしていた会社へ、買い手から巨額の価格が提示された。[9]
4月に買収が完了した。Compaqの開示では現金3億700万ドル(約483億円)、従業員向けのオプションなども含めた取得対価は3億4100万ドル(約537億円)に上る。マスクはCEOの座を取り戻す代わりに、株式の価値を資金へ変える機会を得た。その金を守って暮らす道もある。彼が選んだのは、また会社を作ることだった。今度は街の案内ではない。インターネット上で、お金そのものを動かそうとした。[10]
05銀行をネットへ持ち込む
X.comを始める
1999年3月、マスクはX.comを設立した。狙ったのは、銀行や送金のサービスをネット上でまとめることだ。街の店を検索するのと同じ手軽さで、自分のお金を扱えるようにする。短い社名の中に、金融の大きな構想を詰め込んだ。Zip2で売っていたのは新聞社向けの道具だったが、今度は利用者が自分の財産を預ける場所になる。便利そうだという関心を、金を任せてもよいという信用へ変えなければならなかった。[11]
ところが、構想を説明しても人々の反応は鈍かった。手応えが違ったのは、機能の1つとして用意した電子メール送金だ。銀行の仕組みを丸ごと変える話より、相手のメールアドレスへお金を送れるという実演に人は反応した。自分が力を入れて説明した部分より、脇に置いていた機能が欲しがられる。マスクたちはその反応を見て、事業の力点を動かしていった。[5]
ライバルを仲間にする
相手のメールアドレスへ送金する世界には、すでに別の会社もいた。ピーター・ティールとマックス・レヴチンらのConfinityである。同社のPayPalはネットオークションの利用者に広がっていた。客を増やそうと登録や紹介に現金を配れば、人数は伸びるが会社の資金も減る。不正な取引まで増えれば、さらに損失が出る。競争相手を追い抜くために、互いが金を燃やすような状況だった。[12]
2000年3月30日、X.comとConfinityは合併した。戦っていた相手と同じ会社に入れば、競争に使っていた金と人をまとめられる。ただし、同じ看板の下に入ったからといって、作りたいものまでそろったわけではない。広い金融サービスを目指すのか、伸びている決済へ集中するのか。技術の土台をどうするのか。そして誰が決めるのか。利用者が増える裏で、会社を動かす人たちの間に亀裂が広がっていった。[11][13]
06新婚旅行中の解任
またCEOではなくなった
マスクは2000年5月、合併後の会社のCEOになった。そして9月には、その席を失った。後任はティール。就任から数か月で、取締役会は別の人物へ経営を任せると決めた。Zip2で起きたことが、次の会社でも起きたのである。今度は自分の金も投じ、広い金融サービスの構想を抱えていた。その中心から、また外された。[11]
交代が進んだのは、妻ジャスティンと新婚旅行へ向かう時期だった。幹部たちは、事業を複雑にしすぎることや、その運営方法に反発していた。会社を始め、合併をまとめた本人が不在の間に、経営陣は別のCEOを選んだ。旅行へ向かっていたマスクは戻って対応することになった。会社の成長を諦めたくなくても、周囲が自分の方針で働き続けることまでは決められなかった。[14][11]
役職より長く残った株式
マスクは経営の中心から退いた後も、取締役や助言をする立場で会社と関わり、株式を持ち続けた。2001年、社名はPayPalへ変わる。銀行や送金をまとめるX.comの名前より、顧客に広がった決済サービスの名前が残った。自分の当初の構想とは違う会社が成長していく。マスクはその会社の大株主だった。[11]
2002年、eBayがPayPalを買収した。マスクの持分は約1億8000万ドル(約283億円)規模の資金源になった。2つの会社で経営の主導権を失いながら、2つの売却で次に使える資金を得たのである。ここでまたネット企業を始めれば、すでに経験した市場で勝負できた。彼が向かったのは、故障すれば画面の更新では済まない世界だった。現物のロケットを買い、宇宙へ送る。学生のころから残っていた構想に、ようやく自分の資金で手を伸ばせるようになった。[14]
07ロケットが高すぎる
火星へ温室を送りたい
最初に考えたのは、ロケット会社ではなかった。火星へ小さな温室を送り、植物を育てる「Mars Oasis」だった。赤い惑星で緑が育つ映像を見せれば、人々が宇宙へ目を向ける。NASAの予算を増やすきっかけにもなる。壮大な会社の設立計画より、まずは人が驚く実演をやろうとした。その荷物を運ぶため、マスクはロシアへ行き、退役した大陸間弾道ミサイルの購入を探った。[5]
ロシアへは3度足を運んだ。それでも欲しい条件のロケットは買えなかった。温室より、それを運ぶものの方が問題になった。ここで計画を諦めず、マスクは値札の内側を調べ始める。材料は何か。部品はいくらか。どこで誰が作っているのか。完成したロケットを買うのが高すぎるなら、安く作る会社が必要になる。火星に植物を送る計画は、地球上でロケットを製造する仕事へ変わっていった。[5][15]
エンジンを作る人を集める
2002年、SpaceXを設立した。目標は宇宙輸送を安くし、やがて生命を地球の外へ広げること。そこへロケットエンジンの技術者トム・ミューラーらが加わった。ネット企業を売って得た資金が、エンジンや燃料タンク、試験設備になっていく。マスクは金を出して完成を待つ側に収まらず、設計の議論にも入った。宇宙の仕事をしてきた技術者と、ネット企業を売ってきた創業者が、同じロケットを前に仕事を始めた。[15]

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
主要な部分は自社で設計し、製造し、試験した。外から買うものを減らせば原価や納期を自分たちで変えられる。その代わり、不具合が出たときに頼る完成品もない。エンジン、タンク、制御を組み合わせ、本当に飛ぶものへ仕上げていく。最初の機体Falcon 1は小型だったが、背負っていたのは大きな約束だ。安く作れたとしても、軌道へ届かなければ輸送会社にはなれない。[16]
08Teslaの助手席
電気自動車の加速を見せる
2003年、マーティン・エバーハードとマーク・ターペニングがTesla Motorsを起こした。手掛かりはAC Propulsionという会社の電気スポーツカーtZeroだった。エバーハードは投資家を助手席へ乗せると、ダッシュボードに触るよう促した。相手が手を伸ばしたところで加速する。体が押し戻され、指先が届かない。電気自動車を説明するより、その速さを体に覚えさせる試乗だった。[17]
それでも出資は簡単には集まらない。2003年12月、アメリカ西部・カリフォルニア州の住宅地ウッドサイドにある店Buck'sへ車を持ち込んでも、大半の投資家は金を出さなかった。翌2004年1月、AC Propulsionのトム・ゲージからマスクへ、tZeroを試乗しないかというメールが届く。速い車を好み、会社売却で資金を得た人物だ。Teslaの創業者たちが探していた相手が、ロケット会社を始めたばかりのマスクへつながった。[17]
出資だけでは終わらない
マスクは2004年の初期資金調達を主導し、4月に会長となった。Roadsterという最初の製品の開発にも深く入り、求める車の形へ口を出した。ただ資金を置くだけの投資家ではない。製品の出来も会社の方向も、自分の仕事として動かそうとする。その関与は次第に強まり、2008年10月にはCEOへ就任する。出資者として入った会社の経営を、自分で背負うところまで進んでいった。[18]

写真:Brian Solis www.briansolis.com / bub.blicio.us/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
エバーハードとターペニング、電池や駆動系を担う技術者J・B・ストラウベル、そしてマスク。車が出来上がるまでに必要なものを、それぞれが持ち寄った。だが投資家を驚かせる試乗車と、客に売って利益を残せる量産車の間は遠い。速く走ることは証明できた。その車を何台も同じ品質で作り、代金で次の生産費を払えるのか。工場へ近づくほど、会社の中でその責任をめぐる対立が強くなった。[17][18]
09売るほど金が減る車
2006年のマスタープラン

写真:Rutger van der Maar/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2006年8月、マスクはTeslaの「秘密のマスタープラン」を公表した。最初は高価なスポーツカーを少量売る。その資金で、もっと手頃な車を作る。さらに安い車へ進み、持続可能なエネルギーへの転換を広げる。Roadsterはその最初の1台だった。高い車を売って終わる会社ではなく、その先に普通の人が買える車を置いていた。まだ生産を始める前のTeslaが、次の製品、その次の製品まで約束する計画だった。[19]
初めから安い車を大量に作るには、巨額の工場と大量の顧客が要る。どちらも持たないTeslaは、少量でも高く売れる車から入ろうとした。まずはRoadsterを完成させる。客へ渡す。代金を次へ回す。壮大な計画も、入口の車でつまずけば先へ進めない。ところがその入口で、使えるはずの技術が使えないという問題が次々に現れた。[19][17]
近道のはずが遠回り
既存のスポーツカーの車体に、使える電動技術を載せれば早い。そう考えた道は、実際に作り込むと行き詰まった。モーターの制御も駆動系も、借りてきた技術をそのまま移せない。つなぐために直し、直した部分に合わせてまた変える。マスクも後に、最初から設計するより悪い道になったと認めた。完成に近づくはずの作業を進めるほど、必要な手直しが増えていた。[17]
2007年、エバーハードがCEOを退いた。車をここまで持ってきた創業者と、その開発に資金を入れたマスクが責任をめぐって衝突する。争いは2009年に訴訟となり、同年9月に非公開の和解で終わる。肝心の車も苦しかった。2008年初めには、Roadsterを1台追加で作る費用が、その1台の売上を上回る状態に陥っていた。売れば次の車を作る金がたまる。そのはずが、売るほど手元の金が減っていく。Teslaが資金を必要としているころ、SpaceXでも機体が失われていた。[20][18]
103機とも消えた
島で積み重なった失敗
2006年、Falcon 1の初飛行は失敗した。2007年、次も軌道へ届かなかった。そして2008年8月、3機目を打ち上げる。場所は太平洋中部・マーシャル諸島の小島オメレク島だ。SpaceXはこの島を拠点に試験を重ねていた。機体は上昇し、1段目と2段目が離れる。ところが、その後でまた失敗した。運んでいた衛星も失った。創業から約6年。自分たちで作ったロケットを3機飛ばし、成功した機体はまだ1機もない。[21]
原因は、新しくしたエンジンにあった。燃焼を止めても推力が予想より長く残り、切り離した1段目が2段目へ追いついてしまったのだ。よくするために変えた部品が、以前のタイミングでは使えなくなっていた。分離した2つの機体が再び接触する。エンジンのわずかな違いが、飛行全体を終わらせた。[22]
あと1回を用意する
修正すべき点は見つかった。エンジン停止から分離まで、もっと待てばよい。しかし答えが分かっても、失ったロケットは戻らない。次の機体を用意し、島へ運び、組み立て、試験をやり直す。その費用が必要だった。失敗の理由を突き止めた技術者たちに、もう1度試す機会を渡せるのか。マスクはまた資金の問題に向き合った。[22][23]
本人が後に語ったところでは、資金を出せる打ち上げは次が最後だった。すでに外部の投資も入っていたが、成功例のない会社に何度も金を託してもらえる保証はない。火星へ行くという説明を続ける前に、まず地球の周りを回ること。それだけを、今度こそ実現しなければならなかった。3機目から2か月もたたないうちに、SpaceXはまた同じ島で機体を組み上げた。[21][23]
114機目が地球を回った
本物の衛星をいったん降ろす

写真:SpaceX/出典/CC0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2008年9月28日、Falcon 1は4度目の飛行へ向かった。載せたのはRatsatという約165キログラムのアルミの模擬衛星だ。予定していた顧客の衛星を運ぶ前に、まずロケットそのものを成功させる。先月失ったのは本物の衛星だった。今回運ぶアルミの塊に、SpaceXが次も仕事を受けられるかが懸かっていた。[16]
今度は1段目が離れた後も、2段目が飛び続けた。模擬衛星は軌道に入り、2段目のエンジンの再始動も成功した。Falcon 1が初めて、打ち上げ前に約束した場所へ荷物を届けた。6年かけて作ってきたロケットが、ついに地球を回る。3機の失敗で終わるはずだった記録に、成功した4機目が加わった。[16]
喜びより先に来た安堵
マスクが会見で語ったのは、歓喜以上の安堵だった。ここまでに自分で投じた資金は約1億ドル(約157億円)。アメリカ西部・カリフォルニア州の航空宇宙産業が集まるホーソーンの本社では、機体を作ってきた社員たちが結果を見守っていた。彼はその社員たちの仕事をたたえた。ネット企業を売った資金は、ただ消えたのではなかった。設計し、作り、失敗を直した人々の手で、ようやく軌道へ届いた。[16]
SpaceXが次に運ぼうとしていたのは、宇宙ステーションの貨物だった。Falcon 1より大きなFalcon 9と、荷物を積むDragon宇宙船を開発している。成功した小型機をそのまま使って済む仕事ではない。それでも今度は、机上の計画に飛行の実績を添えて話せる。会社を続けるために、マスクたちはその実績を次の契約へつなごうとした。[24]
12クリスマスまでの資金繰り
顧客として現れたNASA

写真:Renee Bouchard/出典/Public domain。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2008年12月23日、NASAがSpaceXとの補給契約を発表した。12回の輸送で約16億ドル(約2521億円)。退役を控えるスペースシャトルに代わり、国際宇宙ステーションへ荷物を届ける仕事だ。SpaceXと並んでOrbitalも契約を得た。荷物を運び、地上へ戻す能力を、NASAが民間企業から買う。4機目の成功から約3か月後、SpaceXには次に何を作り、誰のために飛ばすのかが具体的に示された。[25][24]
NASAは2006年からCOTSという制度で民間の開発を支えていた。到達すべき技術の段階を決め、それを達成すれば支払う。SpaceXも自己資金を出し、NASAの助言を受けながら開発を進めてきた。その先に、実際の輸送を買う契約が付いた。機体を作るための支援を受ける会社から、NASAの仕事を請け負う会社へ進む。年末の発表は、積み上げてきた開発に顧客が付く瞬間だった。[24]
契約を得たという電話を受けたとき、マスクは「君たちが大好きだ」と口にした。後のテレビ取材では、そのときは電話を持つのも難しいほどだったと振り返っている。先の仕事がある。次の開発を続けられる。だが、年末を越えなければならない会社はもう1つあった。[26]
Teslaには別の請求書がある
Teslaも現金が尽きかけていた。マスクは10月にCEOへ就いたばかり。金融危機でGMやChryslerの経営まで揺らぐ中、まだ少量の高級電気自動車を作る会社へ、追加の金を出してくれる相手を探していた。片方へ資金を集中すれば、もう片方を失うかもしれない。両方へ分ければ、両方とも足りないかもしれない。後に本人が振り返ったのは、どちらか1社を救うか、2社とも失う危険を引き受けるかという選択だった。[23]
仕事の外でもジャスティンとの離婚が重なった。クリスマス前の日曜日には、目を覚ましたときに神経が持たなくなる寸前だと感じたという。ロケットは軌道へ届いた。それでも、経営者の危機は終わっていなかった。次の支払いが迫るTeslaと、開発を続けるSpaceX。成功した打ち上げの映像が何度流れても、足りない現金は埋まらない。[26]
Teslaの資金調達がまとまったのは、クリスマス・イブだった。前日にはNASAの補給契約。その翌日にはTeslaの資金がつながった。別々の相手と交渉し続けた2つの会社が、同じ年末を越えられることになった。後に巨大企業へ育つTeslaとSpaceXは、2008年の最後には、どちらもまだ次の資金を必要とする会社だった。マスクは会社売却で得た金を守り切る代わりに、2つの事業を残した。[23][25]
13トヨタと朝食を取る
次の車を作る資金
年末を越えたTeslaには、次の車を量産する仕事が待っていた。2010年1月、米エネルギー省から約4億6500万ドル(約732億円)の融資が成立する。対象はModel Sと電動駆動装置の製造。スポーツカーの先に置いていた、もっと広い層が乗れる車を実物にするための金だった。設計が進んでも、その車を何台も作る場所が要る。[27]
3月、マスクは自宅でトヨタ社長の豊田章男と朝食を取った。話のきっかけはRoadsterへの関心だった。その面会が、出資、工場取得への協力、電動技術の共同開発へ広がっていく。世界中で車を作ってきたトヨタと、まだ小さなTeslaが結びついた。マスクは既存メーカーに挑もうとしていたが、そのメーカーとの関係から、大量生産へ踏み出す足場を得た。[28]
NUMMIの跡地へ入る

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2010年、Teslaは株式を公開し、直後にはトヨタから5000万ドル(約78億円)の出資を受けた。10月には、カリフォルニア州のサンフランシスコ湾東岸にある工業都市フリーモントで、旧NUMMI工場と敷地を4200万ドル(約66億円)で取得した。トヨタとGMが共同で車を作っていた場所だ。大手メーカーが閉じた工場に、電気自動車の新興企業が入る。工場と土地のほかに、設備や部品にも金を投じた。使わなくなった大きな生産拠点が、Teslaの次の車を作る場所へ変わり始めた。[29]
プレス機、塗装設備、組み立てライン。土地を手に入れた後も、車が出てくるまでにそろえるものは山ほどあった。Model Sの設計を、毎日動く工場へつないでいく。マスクは、売却のために会社を育てているのではなく、大きな自動車メーカーを作るのだと説明した。Zip2やPayPalでは買い手が現れた。今度は自分たちが工場を買い、その先を経営する側に回った。[29][28]
14宇宙船とセダンを届ける
2012年5月25日の結合

写真:NASA/出典/Public domain。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2012年5月25日、宇宙飛行士ドン・ペティットが国際宇宙ステーションのロボットアームを操作し、Dragonをつかんだ。地球から打ち上げた民間企業の宇宙船が、人の暮らすステーションへ到着した。アームで引き寄せ、結合する。今度運んできたのはアルミの模擬衛星ではない。中には受け取る人が待っていた貨物がある。小さなFalcon 1で軌道を目指していた会社が、NASAから請け負った輸送を形にした。[30]
この到着を支えた開発に、NASAはCOTSを通じて約3億9600万ドル(約624億円)を支払った。SpaceX側も約4億5000万ドル(約709億円)を投じた。技術の節目を確かめて資金を出すNASAと、自己資金を入れて機体を作るSpaceX。その組み合わせで、ロケットと宇宙船を開発してきた。ステーションのアームがDragonをつかんだとき、地上で組んできた契約と試験も、初めての到着という結果になった。[31]
翌月、Model Sを顧客へ渡す

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
翌6月、地上でも納品が始まる。TeslaのModel Sだった。家族で使える4ドアのセダンは、Roadsterより広い市場へ向けた車だ。年初には数台の試作車だったものを、年末には週400台規模で作れるようになった。年間2万台に相当する生産ペースが見えてきた。少量のスポーツカーから、工場で繰り返し作る乗用車へ。買ったばかりの工場が、Teslaの車を出す場所として動き始めた。[32]
2013年5月、Teslaはエネルギー省の融資を利息とともに完済した。最後に送ったのは4億5180万ドル(約712億円)。原資の一部は、株式と転換社債を合わせて約10億ドル(約1576億円)を調達した資金だった。その増資にはマスクも参加し、1億ドル(約157億円)の普通株を買った。車を作り、客へ渡し、投資家から次の資金を得る。会社を続けるために交渉した金が、少しずつ工場と実績へ変わっていた。[33]
15ロケットを立てて戻す
打ち上げの後も飛ばす

写真:Ben Brockert/出典/CC BY-SA 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
Falcon 9が衛星を送り出した後、1段目にはもう1つ仕事があった。エンジンを再点火して速度を落とし、姿勢を整え、地上や船へ戻るのだ。それまでなら海へ落としていた高価な機体を、もう1度使いたい。SpaceXは着陸の試験を続けた。荷物を軌道へ届けても、戻る機体が壊れれば再使用はできない。上昇を成功させた後、逆向きの飛行を成功させる必要があった。[34]
2015年12月21日、Falcon 9の1段目が、アメリカ南東部・フロリダ州の着陸場へ戻った。衛星を送り出した機体が降下し、足で地面に立った。使い捨てにしていたロケットが、その形を残して帰ってきた。ここから整備し、また飛ばす仕事へ進める。安いロケットを作るというマスクの構想が、帰還する巨大な機体として見えるようになった。[34]
帰還の前に失った貨物
その半年ほど前、宇宙ステーション向け補給便CRS-7は打ち上げ後に失われていた。NASAの貨物の損失は1億1800万ドル(約185億円)。中には、将来の有人宇宙船を結合させるための装置もあった。機内の支柱の破損が問題となり、NASAも調査を進めた。ステーションはほかの輸送手段でも物資を補う必要があった。12月の着陸は、この事故からの飛行再開でもある。帰還の映像が生まれるまでには、失った顧客の荷物と、調べ直すべき部品があった。[35]
2016年9月には、地上試験の準備中にAMOS-6の機体と衛星を失った。人を乗せるまでには、こうした失敗を調べ、改良を重ねなければならなかった。2020年5月、NASAのロバート・ベンケンとダグラス・ハーリーがCrew Dragonに乗り込んだ。2人を載せた機体が飛び立つ。スペースシャトルの退役以来、アメリカの地上からアメリカのロケットで宇宙飛行士を送る飛行だった。今度は機内に、到着を待つ荷物だけでなく、家族のいる2人がいた。[36][37]
16親族の会社を買う
SolarCityをTeslaへ入れる
太陽の光で発電し、電池へ蓄え、車を走らせる。マスクが描く未来の中で、太陽光発電のSolarCityとTeslaはつながっていた。SolarCityを経営していたのはいとこたちで、本人も会長と大株主だった。2016年11月21日、Teslaは同社を株式交換で買収した。別々に関わってきた事業を、1つの会社にまとめたのである。[38]
その買収へ異議を唱えたのは、Teslaの株主たちだった。財務の苦しいSolarCityを救うため、Teslaに高すぎる代金を払わせたのではないか。マスクは売る会社にも買う会社にも深く関わっていた。太陽光と車をつなぐ構想があっても、この価格で買うことがTeslaの株主に公正だったのかは、別に答えなければならない。企業を横につなごうとした取引は、何年も続く裁判になった。[39]
裁判所が値段を審査する
2022年、デラウェア州衡平法裁判所は、取引全体が公正だったとしてマスク側の勝訴とした。2023年には州最高裁もその判断を維持した。株主から問われた買収は、公正性の審査を経て認められた。大きな将来像を掲げて複数の会社を動かす一方で、資金を負担するそれぞれの株主へ説明する。マスクの事業の広がりは、こうした争いも連れてきた。[39]
そのころTesla本体でも、次の車をめぐる難題が迫っていた。高級スポーツカーから始める計画を、いよいよ広い市場へ進める。そのためには、これまで以上の数を作らなければならない。発電と車を会社の中でつないだ後は、工場の中で部品をつなぐ仕事が、マスクを待っていた。[40]
17ロボットを減らす
Model 3の生産地獄

写真:Alexander Migl/出典/CC BY-SA 4.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
Model 3には、多くの客が予約を入れていた。普及価格帯へ進むTeslaの次の車である。作れれば売れる。だが工場から出てこない。2017年から2018年、マスクは増産に苦しむ状態を「生産地獄」と呼んだ。最初のマスタープランで描いた、広い層へ車を届ける段階まで来た。その入口で、生産が追いつかなくなった。[40]
Teslaはロボットを使い、工場の速度を上げようとしていた。部品を運ぶ昇降装置も多数並べた。ところが密集した装置のどこかが止まると、ラインの邪魔になる。部品を早く届けるために入れた機械が、部品の流れを妨げていた。自動化を進めるほどよくなるという前提が、目の前の生産台数と合わなくなっていた。[41]
マスクは工場で寝泊まりし、工程の見直しに入った。機械で進めていた作業を人へ戻す。テントの中にも組み立てラインを設ける。最先端の工場を目指していた会社が、屋外の構造物の中で、人の手を使って車を出すことになった。見栄えのよい理想を守るより、客へ渡せる車を作る。強く進めてきた自動化を、自分で引き戻した。[42][41]
5031台を作った1週間
2018年6月末の7日間、TeslaはModel 3を5031台作った。新設したGA4のラインが約2割を担った。四半期全体では2万8578台だった生産のうち、大きな部分が最後の1週間に集中していた。会社は週5000台という目標へ、ようやく届いた。ただ、その週を終えれば、また次の週が来る。同じ量を繰り返し出す仕事が始まった。[40]
待っている予約は約42万件あった。しかも6月末には、1万1166台のModel 3が顧客へ向かう輸送中だった。工場から出せるようになれば、今度は運ぶ仕事が増える。売り先がないのではない。約束した人たちへ実物を届ける速度が足りない。マスクが工場の詰まりを直している間も、受け取る日を待つ顧客は増産の先に並んでいた。[40]
工場で積み上がった車は、長く待つ顧客のもとへ運ばれていった。Teslaはその勢いで増産を続ける一方、マスクはもう1つ大きな変更を公にする。今度変えようとしたのは、生産工程ではなく、会社を上場させておくかどうかだった。[40][43]
18投稿で会長職を失う
「資金は確保した」
2018年8月7日、マスクはTwitterへ投稿した。Teslaを1株420ドル(約6万6192円)で非公開化することを検討しており、資金は確保したという内容だった。工場の数字を見守っていた投資家へ、今度は会社の所有そのものを変える話が届く。SECは、価格を含む具体的な条件を資金提供者と詰めておらず、投稿には十分な根拠がなかったとして提訴した。製造の現場で工程を変えるのとは違い、この発言は株を売買する人々へ直接届いた。[43]
マスクは資金調達の見通しを信じていたという立場だった。しかし投資家が読んだのは、期待があるという表現ではなく、すでに確保したという言葉だ。Teslaは彼のアカウントを重要情報の発信に使っていたのに、投稿の正確さを確認する仕組みが不十分だったとSECは指摘した。会社を応援する人へ直接声を届けていた同じアカウントが、今度は会社統治の問題になった。[43]
会長から退く
9月、マスクとTeslaは、当局の主張を認めも否定もせずSECと民事和解した。制裁金はそれぞれ2000万ドル(約31億円)。マスクはCEOに留まる一方、会長から退き、3年間は再選できない。会社は独立取締役を2人増やし、経営者の発信を監督することになった。長く握ってきたTeslaの会長職を、今度は取締役会の反乱ではなく、自らの投稿を発端とする和解で手放した。[43]
その後、投稿の事前承認という条件を外そうと争ったが、2024年4月には連邦最高裁も不服申し立ての審理を受け入れなかった。工場であれば、不要だと考える工程を削れる。だが自分が結んだ和解の条件は、その判断だけでは消せない。顧客や投資家へ直接話す発信力に、外からの確認が付く状態が続いた。[44]
19初めての通年黒字
量産メーカーになる
Teslaは中国の上海にも工場を広げ、世界の顧客へ車を出すようになった。そして2020年、初めて1年を通して最終黒字を計上する。普通株主に帰属する純利益は7億2100万ドル(約1136億円)。クリスマス・イブの資金を待った2008年から12年がたっていた。Roadsterを作るたびに金が減っていた会社は、複数の工場で量産し、年間の利益を報告する自動車メーカーになった。[45]
利益を支えたのは車だけではない。排出規制に対応するため、ほかの自動車メーカーがTeslaから買うクレジットの売却収入も寄与した。電気自動車を売る事業に、環境政策が生む収入が重なっていた。マスクが自己資金を入れた後、投資家、政府融資、既存メーカーとの提携、顧客からの代金が加わった。その組み合わせで、Teslaは量産の壁を越えてきた。[45]
売上が伸びない年
2025年の連結売上は948億2700万ドル(約14兆9447億円)。前年の976億9000万ドル(約15兆3959億円)を下回った。新しい車や自動運転への期待を集めながら、当年の売上は減ったのである。かつての課題は、予約された車を十分に作れないことだった。世界規模に育ったTeslaには、工場の外で次の顧客に選ばれ続ける仕事があった。[46]
車を買うのは、アメリカだけでなく、中国やほかの国々の人々だ。一方のマスクは、政治についても強い発信をするようになっていた。会社の顔として注目を集める本人の言動が、製品を知る入口にもなる。そこから離れる理由になる人もいる。世界へ事業を広げた経営者は、今度は自分の声が届く相手の広さに向き合うことになった。[46][2]
20工場と公道の責任
運転を任せられる範囲
Teslaの車は、販売した後もソフトウェアの更新で変わっていく。AutopilotやAutosteerといった運転支援は、その象徴だった。だが2023年12月、アメリカで約203万台を対象とするリコールが届けられた。運転者の誤使用を防ぐ表示や制御が、一定の条件で不十分になるおそれがあった。対策は無料のソフトウェア更新。走行中の操作を機械へ任せられる範囲が広がるほど、人の注意をどう保つかが問われた。[47]
NHTSAの記録が扱ったのは、人間の継続的な監督を必要とするレベル2の運転支援だ。名前にAutopilotとあっても、その時点の車が人の監督なしで走れることを意味しない。将来の自動運転を約束するマスクと、今すでに公道にいる顧客。その間を、実際の機能と警告の仕組みでつながなければならなかった。[47]
工場から上がった訴え
同じ2023年9月には、米雇用機会均等委員会EEOCがTeslaを提訴した。フリーモント工場の黒人従業員が継続的な人種的嫌がらせを受け、異議を唱えると不利益を被ったという訴えだ。当局は、侮辱的な呼びかけや落書き、訴えた後の配置変更や解雇などを挙げた。大量の車を作る工場で、働く人がどう扱われていたのか。生産台数とは別の記録が、法廷へ持ち込まれた。[48]
別に争っていた元作業員オーウェン・ディアスの事件では、再審の陪審が約320万ドル(約5億円)の賠償を認め、その後2024年に非公開の和解が成立した。EEOCによる訴えと、この個別事件の評決・和解は区別して見る必要がある。Teslaが変えたのは、道路を走る車だけではなかった。その急成長を日々支えた作業員には、会社が語る未来とは別に、自分の職場で経験した現実があった。[49][48]
21宇宙から通信を売る
Starlinkというもう1つの収入源

写真:jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2019年5月、SpaceXはStarlinkの衛星60機を打ち上げた。低い軌道に多数の衛星を並べ、地上の端末と通信する。ケーブルが届きにくい地域でもネットを使えるようにする仕組みだ。衛星を運んだFalcon 9の1段目は、3度目の飛行だった。戻して使うロケットが、自社の通信網を作る輸送手段になった。[50]
これまでは他社の衛星を預かって飛ばしていた。今度は自分たちで作り、自分たちで運び、地上の利用者へ通信を売る。ロケットを飛ばす仕事の先に、毎月サービスを使う顧客ができる。火星へ進む資金源としても期待された事業は、地球上で接続を必要とする人々へ広がっていった。やがて、その通信を必要とする場所に、戦争で壊された地域が加わる。[50][51]
戦争の中でつながる端末
2022年、ロシアの全面侵攻を受けたウクライナへStarlink端末が入った。USAIDが関わった5175台のうち、1508台は同機関が購入し、3667台はSpaceXが寄贈した。行政や救急、住民の通信を支える端末は、戦場の通信や無人機にも使われるようになった。地上の回線が壊れてもつながる。その特徴が、攻撃される国で切実な意味を持った。[51]
2023年には、米国防総省もウクライナ支援のためStarlinkのサービスを契約したと認めた。一方、2025年のUSAID監察報告は、配布した端末の使用条件や追跡が不十分だったと指摘した。寄贈した機器、政府が買ったサービス、軍事にも使われる通信網。会社が提供する1つの接続に、それぞれの立場の思惑が重なる。マスクが率いる民間企業は、国家の安全保障へ深く組み込まれていた。[52][51]
22440億ドル(約6兆9344億円)の買い物
Twitterへ向かう

写真:Runner1928/出典/CC BY-SA 4.0。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2022年4月、Twitterはマスクが支配する会社による買収に合意した。1株54ドル20セント(約8,541円)、総額約440億ドル(約6兆9344億円)。政治家も企業も報道機関も使う、巨大な発信の場だった。マスクは自由な言論の重要性を掲げ、Twitterを公共の広場と呼んだ。自分の意見を投稿していた場所を、今度は自分で所有しようとしたのである。[53]
ロケットなら、目指す軌道へ届いたかを測れる。Twitterでは、ある人が喜ぶ投稿を別の人が嫌い、そのそばに広告を出す企業にも判断がある。マスクが変えようとしたのは、その人々が集まる場のルールだった。自分が大事だと考える発言を残せば、それを理由に離れる人もいる。買収額を用意する仕事の先に、製造業とは違う経営が待っていた。[53]
買うと約束した後に争う
ところが7月8日、マスク側は契約を終了すると通知した。買収を発表した本人が、今度は取引から降りようとした。Twitter側は無効だと反論し、7月12日に契約の履行を求めて提訴する。買うために始まった交渉は、約束どおり買わせるための裁判へ変わった。経営方針を実行する以前に、会社の外から相手と争う時間が続いた。[54]
2022年10月27日、買収は完了した。Twitterは、マスクが多数を所有し支配する親会社の傘下へ入った。自分の投稿に反応する企業を外から批判する立場から、その企業の従業員へ指示を出す立場へ変わる。莫大な代金で買った会社には、給与と広告収入と運営の仕事が付いてきた。最初に大きく変えたのは、人員だった。[55]
23広告主を突き放す
仕事のアカウントが消える
買収から約1週間後、Twitterは従業員の約半数に当たる約3700人を削減した。正式な通知より先に、仕事用メールや社内ツールへ入れなくなった人もいた。人権や機械学習の倫理、コンテンツの整理などを担うチームも削られた。マスクの説明では、会社は1日に400万ドル(約6億円)以上を失っていた。大きな損失を止めるため、組織を一気に小さくした。従業員にとっては、自分が働く場所を突然失う変更だった。[56]
安全を担当するヨエル・ロスは、自分の部門の削減は約15%で、主要な監視能力は残っていると説明した。だが広告主は、部門の人数だけで安心するわけではない。自社の商品が何の隣に表示されるのか。会社を買った経営者は、どの発言を支持しているのか。運営を変えるほど、広告を売る相手にも新しい説明が必要になった。費用を削る速さと、収入を保つ難しさが、同じ会社の中でぶつかった。[56]
壇上で顧客へ背を向ける
2023年11月、サービス名がXへ変わった後、マスクはニューヨークのDealBookイベントの壇上にいた。広告を止めた企業へ、罵倒を交えて、広告を出さなくてよいと言い放った。発端には、反ユダヤ的と批判された投稿へ本人が同意したことなどがあった。彼は広告撤退を金による圧力と捉え、突き放した。同じインタビューの中で、その広告撤退が会社を殺すかもしれないとも認めた。収入を握る相手へ、収入はいらないと宣言するような場面だった。[57]
Twitterを買うまで、マスクは発信力の大きな利用者だった。買った後は、発信の自由を掲げる経営者として、広告収入を失う結果も引き受けることになった。自分の考えを曲げずに済む権限は手に入れた。しかし、同じ考えで広告を出せと企業へ命じることはできない。440億ドル(約6兆9344億円)で買った場所は、持ち主の意志だけでは売上を取り戻せなかった。[53][57]
24脳から動かすカーソル
手を使わずに画面を動かす
マスクが関わる別の会社Neuralinkは、脳の信号を読み取り、体を動かしにくい人が機器を操作する技術を開発していた。2024年、最初の臨床試験参加者ノーランド・アーボーが、埋め込んだ装置を使ってコンピュータを操作した。自分の手で触れなくても画面へ指示を出せる。一方で、脳に入れた細い糸の一部が後退し、性能が落ちる問題も生じた。会社は調整を進め、2人目では対策を変えた。[58]
2人目の参加者アレックスは、従来の操作補助装置とNeuralinkを組み合わせてゲームをした。設計ソフトCADを使い、自分の充電器を支える部品も作った。脳と機械をつなぐという大きな言葉の先に、画面を動かす、遊ぶ、自分の道具を設計するという変化があった。技術が生活の自由へつながる一方で、まだ臨床試験の段階でもある。体に入れる装置だからこそ、使えるという実演と、安全に使い続けられることの両方を確かめている。[58]
地下では車を走らせる
地上の渋滞に対しては、地下を使おうとした。The Boring Companyがアメリカ西部・ネバダ州の観光都市ラスベガスで作ったのは、展示場を結ぶトンネル交通システムだ。最初の区間は3駅、約1.7マイル、建設費約4700万ドル(約74億円)。2021年4月からTesla車で人を運び、2024年には5駅、約2.1マイルへ広がった。都市全体を変える大構想の最初の顧客は、広い展示場を移動する人々だった。[59]
2023年7月にはAI企業xAIを発表し、対話AIのGrokを作る競争にも入った。車、ロケット、衛星通信、脳の装置、トンネル、AI。1社の課題を片付ければ経営者の1日が終わるような規模ではなくなった。しかもAIの競争相手には、かつて本人が共同で立ち上げた組織がいる。マスクは新しい製品を作る一方で、古い仲間との争いにも向かっていった。[60][61]
25今度は政治へ金を投じる
支援相手が変わった
2017年、マスクはトランプ政権の企業諮問組織から辞任していた。理由はパリ協定からの離脱への抗議。温暖化は現実で、協定離脱はアメリカにも世界にもよくないという立場だった。その7年後、同じトランプを選挙で支える側へ回る。会社の将来に関わる政策へ意見を言うだけでなく、政権の誕生へ自分の資金と発信力を使うようになった。[2]
2024年の大統領選では、マスクが設けたAmerica PACが共和党候補を支援した。その選挙サイクルの支出は約2億6120万ドル(約411億円)で、半分以上がトランプの当選支援へ向かった。これは政治組織全体の支出であり、本人の寄付の総額とは異なる。それでも、製品の開発や企業の買収へ動かしてきた規模の資金が、今度は選挙を支える組織で動くようになった。[62][63]
政府は以前から、マスクの事業のすぐ近くにいた。NASAはロケットを支えた顧客であり、エネルギー省はTeslaへ融資していた。今度は、その政府をどう変えるかという側へ踏み込む。事業で得た富と、Xで届く声が、政治のための力になった。トランプが大統領へ返り咲くと、マスク自身も政府改革の中心的な顔になる。[25][27][64]
DOGEが入る

写真:The White House/出典/Public domain。表示用にサイズ・圧縮を調整。
2025年1月20日、トランプ大統領は「政府効率化省」と呼ばれるDOGEの仕組みを大統領令で設けた。既存のUnited States Digital Serviceを改称し、各省庁にチームを置く形だ。議会が新しい法定の省を設けたのではない。大統領府の組織と各機関の権限を使い、政府の支出や仕事の仕方を急速に変えようとした。そこへ、工場の工程や企業の人員を大胆に見直してきたマスクが入った。[64]
対象は民間企業の生産ラインではなく、国民へサービスを届ける政府だった。大統領令にも、各省庁の権限を損なわず、法令と予算の範囲で実施するという条件がある。削ったと発表した金額が、実際には何の支払いだったのか。仕事をやめてもよい権限はどこにあるのか。改革の速さとともに、その根拠が問われることになった。[64][65]
26削減額の中身を問われる
政権を離れる
2025年5月、マスクは特別政府職員として働く期間を終えると発表した。政府へ向けていた時間を、企業へ戻す時期が来た。[66]
同年末の対談では、DOGEは「ある程度は成功した」としつつ、同じことはもう1度しないと述べた。事業に使えたはずの時間を政府へ使ったことも振り返った。政権に入る前の大きな期待と、仕事を終えた後の自己評価には距離があった。そして、彼が離れた後も、DOGEの成果を示す数字は残った。[67]
2026年の監査で残った数字
2026年8月、米会計検査院GAOはDOGEが公開する削減実績を検証した。7月時点で掲げていた節約総額は2150億ドル(約33兆8840億円)。そのうち契約、助成、賃貸契約の一覧に示した分は約1103億ドル(約17兆3832億円)だった。ところが計算方法に不明点があり、誤りや裏付け不足も見つかった。助成については、主張された節約額の約96%で、算出方法を確かめる情報が足りなかった。[65]
17億ドル(約2679億円)を節約したと記された国防関連のIT契約では、結局、解除も業務の縮小もされていなかった。GAOによれば、その契約で節約は生じていない。支出を減らすという発表と、実際に払わずに済んだ金額が食い違っていたのだ。GAOは一部の潜在的な節約を認めながらも、一覧の透明性と信頼性を問題にした。大きな数字を掲げた改革は、その数字の中身を調べられる段階へ入った。[65]
離任しても政治との関わりは終わらなかった。2026年6月末までの次の選挙サイクルに、America PACは5000万ドル(約78億円)超を集めた。そのほとんどをマスクや関連会社が提供していた。本人が政府の役職を離れ、会社へ時間を戻した後も、資金は政治へ流れ続けていた。[63]
27友人とAIの未来で決裂する
ペイジの家で交わした議論
マスクとGoogle共同創業者ラリー・ペイジは、かつて親しい友人だった。相手の家に泊まり、夜遅くまでAIについて話す。その議論がOpenAIを作る動機になったと、マスクは2023年の対談で語っている。人間より賢いAIが生まれたとき、人類の安全をどう守るのか。マスクには、ペイジがその危険を十分に重く見ていないように映った。[68]
そこでペイジから言われたというのが「種差別主義者」だった。人間をAIより優先するのか、という意味だ。マスクは自分が人類の側に立っていると応じた。GoogleはAI研究企業DeepMindを買収し、人材も計算資源も集めていた。その中心にいる友人と、AIを何のために作るのかで折り合わない。マスクはGoogleの外に、対抗できる組織を求めるようになった。[68]
同じ側にいたアルトマン
そこへ加わったのが、起業家を支援するY Combinatorを率いていたサム・アルトマンだ。2015年11月に交わしたメールでは、非営利のAI組織を設け、危険な技術の公開には取締役会の同意を必要とする案を送っている。マスクは、Y Combinatorの子会社のようにせず独立させることや、通常の会社と非営利を併設する構造を提案した。後にOpenAIが公開した設立前のやり取りには、2人が組織の形から相談する姿が残っている。[69]
2015年12月、OpenAIが非営利のAI研究組織として公表された。共同議長はアルトマンとマスク。研究を率いるのはイリヤ・サツケバー、技術責任者は決済企業StripeでCTOを務めたグレッグ・ブロックマンだった。創設時に発表した支援の約束は、関係者を合わせて10億ドル(約1576億円)。ただちに全額を使うという話ではなく、その一部から研究を始める計画だった。Googleへ対抗する構想に、人と組織と支援者の名前が付いた。[61]
そのサツケバーもGoogleから移った研究者だった。マスクは後の対談で、採用をめぐりDeepMindのデミス・ハサビスと競い、サツケバーがGoogleへ残るかOpenAIへ行くか何度も揺れたと振り返った。ペイジとの友情が壊れた核心も、この採用にあったという。新しい仲間を得ることが、古い友人との関係を失うことにつながっていた。[68]
誰が最後に決めるのか
AIの研究を進めるにつれ、必要な計算資源は膨らんだ。寄付で始めた組織へ、さらに大きな資金をどう入れるのか。OpenAIが公開した2017年のメールでは、営利組織を作った場合の株式や取締役の構成が議論されている。マスクは当初の支配権を持つ案を示した。これにサツケバーとブロックマンは、強力なAIを1人が支配できる構造への懸念を伝えた。[69]
Googleへ力が集中することを恐れて集まった人々が、今度は自分たちの組織でも、誰にどこまで力を渡すかでぶつかった。2018年には、マスクがTeslaとの統合を提案する。OpenAI側が公開した資料によれば、彼はGoogleに対抗する道としてTeslaを挙げたが、合意には至らなかった。同年2月、マスクは共同議長を退いた。[70]
OpenAIは2019年、非営利が支配する営利組織OpenAI LPを設けた。投資家や従業員への利益に上限を設け、研究に必要な資金を集める形だ。マスクが組織を離れた後も、アルトマンらは別の仕組みで開発を続けた。やがてChatGPTが広がると、かつて支援していた研究組織は、マスクが外から批判し、自分のAI企業で競う相手になった。[71][72][60]
訴状と公開メールが飛び交う
2024年、マスクはOpenAIとアルトマンらを訴えた。非営利として始めた使命を裏切り、利益を優先するようになったという主張だった。OpenAI側は否定し、営利組織や支配権をめぐる過去のメールを公表した。自分たちが何を約束したか、その約束を誰が変えたのか。設立時には同じ側で交わしたやり取りが、今度は相手の主張へ反論する材料になった。[72][70]
974億ドル(約15兆3502億円)とSNSの応酬
2025年2月10日、対立はさらに大きな金額を伴う。マスクらの投資家グループが、OpenAIの非営利法人の資産を974億ドル(約15兆3502億円)で取得する提案を出した。かつて共同議長だった組織の支配を、外から取りに行く動きだった。アルトマンはXで拒否し、それならTwitterを97億4000万ドル(約1兆5350億円)で買う、と返した。マスク側の提示額の10分の1。440億ドル(約6兆9344億円)でTwitterを買った本人へ、小数点をずらすように値段を返した。[73][74]
マスクも応酬した。アルトマンの昔の映像を投稿し、「Scam Altman」と添える。Samを、詐欺を意味するscamへ置き換えた呼び名だ。Googleへ対抗するため同じ組織を作った2人が、今は片方の所有するSNSで、公然と相手を挑発していた。2月14日、OpenAIの取締役会は提案を全会一致で拒否した。買収は成立しなかった。[74][75]
法廷の決着は時効だった
2026年5月18日、9人の諮問陪審は、マスクが請求するのは遅すぎ、時効に阻まれると判断した。イヴォンヌ・ゴンザレス・ロジャース判事はその判断を採用し、請求を退けた。3週間の審理ではマスクやアルトマンらが証言したが、結論を決めたのは提訴期限だった。創設時の使命をめぐる主張すべての正否を、全面的に判定した結末ではなかった。[72]
ペイジと話していたころ、マスクが問題にしたのは、AIの力がどこへ集まるかだった。OpenAIで争ったのも、資金と決定権だった。組織を離れた後には自らxAIを作り、かつての仲間の会社を訴え、買収まで提案した。AIを人類のために使う。その目標を掲げる人々の間でも、誰がその進路を決めるのかでは一致しなかった。[68][70][73]
28巨大な機体を塔でつかむ
Starshipの帰り道

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用サイズ・圧縮調整。
2024年10月13日、SpaceXはStarshipの5回目の飛行試験を行った。下段の巨大なブースターSuper Heavyが上空で分離し、再びエンジンを燃やして発射場へ戻る。打ち上げから約7分後、塔の2本の腕が降下してきた機体を受け止めた。Falcon 9は足で地面に立った。今度は、巨大な機体を塔でつかんだのである。再使用へ向けた仕組みが、また違う形で実物になった。[76]
上段の宇宙船は飛行を続け、インド洋へ着水した。前の試験で傷んだ耐熱タイルや操縦翼には改良が入っていた。飛ばして結果を見て、次の機体を変える。Falcon 1で繰り返していた仕事は、はるかに大きな機体で続いていた。火星への飛行はまだ先にある。この日にはまず、戻ってきたブースターを塔で受け止めるという、次の飛行につながる結果が残った。[76]
SpaceXの中へ会社が集まる
2025年3月にxAIがXを取得し、2026年2月2日にはSpaceXがxAIを取得した。AIとソーシャルメディアが、ロケットと衛星通信の企業へ入った。最初は別々の会社として始めた事業が、所有の上でもまとまっていく。宇宙へ運ぶ力、地球をつなぐ通信、情報を扱うAI。その結びつきが、マスクの構想から会社の組織図へ移った。[77]
同時に、AIへ必要な資金もSpaceXの中へ入ってきた。衛星通信の利用者が増えても、計算資源や研究開発に大きな費用が掛かれば、連結した会社の利益は変わる。投資家が買うのは、もはやロケットと通信だけの企業ではない。マスクがまとめた複数事業を持つ会社として、SpaceXは市場へ出る準備を進めた。[77]
29SpaceXを市場へ出す
750億ドル(約11兆8200億円)規模の入口
2026年6月11日、SpaceXは新規公開の価格を1株135ドル(約2万1276円)に決めた。新株5億5555万5555株、基本となる調達規模は約750億ドル(約11兆8200億円)。翌12日、上場した。4機目のFalcon 1でアルミの模擬衛星を運んだ会社が、今度は世界の投資家から巨額の資金を集める。2008年には次の打ち上げを続けるための結果が要った。2026年には、その後に育てた事業の価値を市場へ提示した。[78][79]
開示された2025年の連結売上は186億7400万ドル(約2兆9430億円)だった。統合したxAIとXの過去実績も含めた数字で、宇宙事業が40億8600万ドル(約6439億円)、衛星通信が113億8700万ドル(約1兆7945億円)、AI部門が32億100万ドル(約5044億円)。連結の営業損失は25億8900万ドル(約4080億円)だった。打ち上げと通信だけなら売上154億7300万ドル(約2兆4385億円)。投資家の前に出たのは、宇宙企業の成功だけでなく、AI事業の収入と費用まで抱えた会社だった。[77]
持ち続けた株式の価値
Forbesは2026年11月1日時点のマスクの純資産を8685億ドル(約136兆8756億円)と推計した。主な会社の株式などの評価を含む額だ。会社を売って次の事業へ金を入れていた若いころから、巨大企業の株式を持つことで、その評価とともに個人の富も動く立場へ変わった。かつて1台のコンピュータを昼夜で分けていた起業家が、世界有数の企業の価値と結びつく人物になった。[80]
その株を買う人々は、事業の数字と同時に、マスクが次に何へ時間と資金を使うかを見る。工場なのか、宇宙船なのか、AIなのか、政治なのか。複数の事業を結びつけた本人の判断が、今度は投資家にとって大きな期待にも不安にもなる。自分で始めた会社を動かしたいという望みは、会社が巨大になっても消えていない。そこへ託される金と、判断の届く範囲が変わっていた。[77][80]
30自分で仕組みを作る
子どもの学校まで作る
マスクの家族は、事業の外側にいるだけではなかった。最初の会社は弟キンバルと作り、母のカナダ国籍が北米への道を開いた。自分が父親になると、2014年には子どもたちと従業員の子どものために、小さな学校まで設けた。学校のやり方に満足できないなら、別の仕組みを作る。ロケットや車の前提を変えようとした行動は、教育にも向かった。[8][4][81]
その学校Ad Astraでは、学年で一律に分けるより、子どもの得意なことや能力に合わせることを目指した。工具の名前を順に覚えさせるより、エンジンを見せ、どう分解するかという問題から入る。本人は、既存の学校が必要だと考えることをしていなかったため、自分で作ったと説明した。自分の子どもをどこへ通わせるかという選択が、新しい学校の運営にまで広がった。[81]
ただし、会社を増やしても1日の時間は増えない。2010年の時点で、マスクは時間の確保を最も大きな課題に挙げ、経営を助ける人を増やしていた。2014年の卒業式では若者へ大胆な挑戦を勧めながら、家族ができればリスクは自分だけのものではなくなるとも語っている。自分が金を失うだけなら引き受けられる賭けも、家族や会社の人々を連れていると意味が変わる。そのことを、彼は助言の中で認めていた。[28][8]
1億ドル(約157億円)の賞金を出す
マスク財団が資金を出した炭素除去コンテストには、総額1億ドル(約157億円)の賞金が付いた。2025年、大賞5000万ドル(約78億円)を受け取ったのはMati Carbon。農地に砕いた岩石をまき、二酸化炭素を取り込む技術に取り組む組織だ。資金を使う方法は、自分で会社を経営することだけではない。実際に除去した成果を競わせ、その結果へ金を渡す形でも、技術へ関わっていた。[82]
マスクの歩みをたどると、同じ大胆さが違う結果を生んでいる。3機の失敗の後にもロケットを作り、軌道へ届けた。工場の自動化を進め、行き詰まると人の作業へ戻した。一方で、投稿を発端に会長職を失い、広告主を突き放して会社の収入を危うくした。社員へ感謝した経営者と、顧客へ罵倒を浴びせた経営者は、どちらも彼だ。うまくいった出来事だけを並べても、この人生にはならない。[16][41][43][57]
南アフリカで本を読んでいた少年は、技術が生まれる場所へ行きたかった。北米へ渡り、職を得られず会社を作り、会社を売った金で車とロケットへ入った。今ではその判断を待つ人が、工場にも発射場にも、画面の向こうにもいる。次の機体を飛ばすたび、会社を組み替えるたび、彼はまた世界を動かそうとする。その結果を引き受ける人々も、もはや彼1人ではない。[3][4][77]
参考文献・出典 82件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
- Queen's Alumni Review:Rocket man ↩ 本文
- CNN Editorial Research:Elon Musk Fast Facts(WRAL転載) ↩ 本文
- Foundation with Kevin Rose:Elon Musk interview transcript ↩ 本文
- Computer History Museum:An Evening with Elon Musk, January 22, 2013 ↩ 本文
- Caltech commencement address:Elon Musk transcript ↩ 本文
- Knowledge at Wharton:Why It's Important to Pinch Pennies ↩ 本文
- Stanford eCorner:Career Development/2003 lecture ↩ 本文
- USC:Marshall Undergraduate Commencement, Elon Musk ↩ 本文
- WIRED:Compaq Buys Zip2 ↩ 本文
- Compaq:Form 10-Q, September 1999 ↩ 本文
- PayPal:Form S-1/A, February 11, 2002 ↩ 本文
- WIRED:The Money Shot ↩ 本文
- TIME:PayPal創業期と2000年の新婚旅行中のCEO交代(2022年) ↩ 本文
- PBS:In Their Own Words, Elon Musk, transcript ↩ 本文
- Smithsonian:The Rocket Man With a Sweet Ride ↩ 本文
- Spaceflight Now:Sweet success at last for Falcon 1 rocket ↩ 本文
- IEEE Spectrum:The Mind-bending Joyrides That Gave Rise to Tesla ↩ 本文
- Tesla Motors:Form S-1 January 2010 ↩ 本文
- Tesla:The Secret Tesla Motors Master Plan ↩ 本文
- Los Angeles Times:Tesla founders end bitter legal fight ↩ 本文
- Spaceflight Now:Falcon 1 suffers another setback ↩ 本文
- NASA:Historical review of launch vehicle failures ↩ 本文
- Stanford:Overcoming Setbacks and Saving Tesla transcript ↩ 本文
- GAO:Commercial Partners Are Making Progress, GAO-09-618 ↩ 本文
- Office of Space Commerce:Commercial ISS Resupply Contracts Awarded ↩ 本文
- SpaceNews/Space.com:Why 2008 Was His Worst Year ↩ 本文
- Department of Energy:Timeline of Events 2010 ↩ 本文
- Wharton Magazine:He Won't Back Down ↩ 本文
- Tesla:Fremont purchase Form 8-K ↩ 本文
- NASA:Administrator Calls Station Following SpaceX Historic Feat ↩ 本文
- NASA:International Space Station Transition Report ↩ 本文
- Tesla:Q4 and Full Year 2012 Shareholder Letter ↩ 本文
- Tesla:Repays Department of Energy Loan Nine Years Early ↩ 本文
- NASA APOD:Falcon 9 First Stage Landing ↩ 本文
- NASA OIG:Response to SpaceX's June 2015 Launch Failure, IG-16-025 ↩ 本文
- Spaceflight Now:FAA signs off on SpaceX mishap investigation ↩ 本文
- NASA:Launch of NASA-SpaceX Demo-2 Mission ↩ 本文
- Tesla:SolarCity acquisition Form8-K ↩ 本文
- Delaware Supreme Court:In Re Tesla Stockholder Litigation ↩ 本文
- Tesla:Q2 2018 Vehicle Production and Deliveries ↩ 本文
- Tesla:Second Quarter 2018 Update Letter ↩ 本文
- CBS:The 2018 60 Minutes Interview ↩ 本文
- SEC:Musk Settles Fraud Charges; Tesla Resolves Charge ↩ 本文
- AP:Supreme Court rejects Musk appeal over social media posts ↩ 本文
- Tesla:Form 10-K FY2020 ↩ 本文
- Tesla:Form10-K FY2025 ↩ 本文
- NHTSA:Recall 23V-838 acknowledgment ↩ 本文
- EEOC:Sues Tesla for Racial Harassment and Retaliation ↩ 本文
- AP:Former Tesla worker settles discrimination case ↩ 本文
- Space.com:Launches 60 Starlink Satellites on Thrice-Flown Rocket ↩ 本文
- USAID OIG:Starlink Terminals Delivered to Ukraine ↩ 本文
- Department of Defense:Pat Ryder Press Briefing ↩ 本文
- Twitter:Elon Musk to Acquire Twitter, SEC exhibit ↩ 本文
- Twitter:Second Quarter 2022 Results, SEC Form8-K ↩ 本文
- Musk:Schedule13D Amendment13, Twitter acquisition ↩ 本文
- Reuters:Twitter lays off staff as Musk blames activists ↩ 本文
- WIRED:Elon Musk Just Told Advertisers, Go Fuck Yourself ↩ 本文
- Neuralink:PRIME Study Update, Second Participant(Phoenix Bioscience Core転載) ↩ 本文
- The Boring Company:Las Vegas Convention Center Loop ↩ 本文
- xAI:Company history and mission ↩ 本文
- OpenAI:Introducing OpenAI ↩ 本文
- FEC:America PAC committee overview 2024 ↩ 本文
- FactCheck.org:America PAC ↩ 本文
- White House:Executive Order Establishing DOGE ↩ 本文
- GAO:DOGE Wall of Receipts, GAO-26-108615 ↩ 本文
- Axios:Musk confirms exit from Trump administration ↩ 本文
- The Katie Miller Podcast:Elon Musk interview transcript ↩ 本文
- Lex Fridman Podcast #400:マスク本人の対談・AIとペイジ、サツケバー採用の回想(2023年、1:24:53〜1:28:27) ↩ 本文
- OpenAI:Elon Musk wanted an OpenAI for-profit ↩ 本文
- OpenAI:OpenAI and Elon Musk(2024年3月、当事者による説明・公開メール) ↩ 本文
- OpenAI:OpenAI LP(2019年3月11日、営利組織と非営利の構造) ↩ 本文
- ABC News:Court dismisses Elon Musk's case against Sam Altman and OpenAI ↩ 本文
- AP:マスクらの974億ドル提案とアルトマンの返答(2025年2月10日) ↩ 本文
- NDTV:2025年2月10日の買収提案とX上の投稿(原投稿へのリンク・埋め込み付き) ↩ 本文
- AP:OpenAI取締役会が提案を全会一致で拒否(2025年2月14日) ↩ 本文
- Spaceflight Now:SpaceX pulls off mid-air booster capture ↩ 本文
- SpaceX:FormS-1 May20,2026 ↩ 本文
- SpaceX:Pricing of Initial Public Offering ↩ 本文
- SpaceX:FAQs and Contact ↩ 本文
- Forbes:Elon Musk real-time profile ↩ 本文
- GeekWire:Elon Musk has created a new grade school ↩ 本文
- XPRIZE:Awards $100M Carbon Removal ↩ 本文
写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD
本文更新:2026-11-02



