NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

雷軍

Lei Jun

ソフトウェアを作っても売れず、辞表を出した技術者が、40歳でXiaomiを始めた。1999元のスマートフォン、供給不足、売上の賭け、そしてSU7。もう1度起業するたびに、新しい壁へぶつかった人生。

1969年– / 中国出身 / テクノロジー

物語を読む
2024年9月、小米のEV工場を訪れたWIPOのダレン・タン事務局長と雷軍(左)。
2024年9月、小米のEV工場を訪れたWIPOのダレン・タン事務局長と雷軍(左)。
写真の出典写真:World Intellectual Property Organization (WIPO)/出典/CC BY 2.0。表示用に縮小・カードでは切り抜き。

すばらしいことは、これから起きると信じ続けよう。

永远相信美好的事情即将发生。

本人の発言・代表的な理念。日本語訳・英訳は編集部訳。 原文 · 日本語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定資産

213億ドル

約3兆3,568億円

主な保有資産

  • Xiaomi株

Xiaomi Corporation

Xiaomi創業者・会長兼CEO

スマートフォン、家電、ネットサービス、SU7などの電気自動車を開発・販売。

年間売上

4,572億元

約10兆8,285億円

Kingsoft Corporation

非執行会長・元CEO

WPS Officeを含む業務ソフトとオンラインゲーム。Xiaomiとは別の会社。

年間売上

96億元

約2,292億円

Kingsoft Cloud Holdings

元会長(2026年3月退任)

企業向けのクラウドサービスを提供。Kingsoftの関連会社でXiaomiの売上とは別。

年間売上

95億元

約2,263億円

出典・詳しい補足

個人資産と企業の通期売上は異なる対象。関連企業の売上は合算しない。

役職・財務期間・株式の範囲は各出典の時点。企業時価総額を本人の純資産に代用しない。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1インドルピー=1.656円、1香港ドル=20.09円、1人民元=23.68円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • Xiaomi Corporation — 年間売上 / 2025 / 会社公表
  • Kingsoft Corporation — 年間売上 / 2025年12月期 /
  • Kingsoft Cloud Holdings — 年間売上 / 2025年12月期 /

主な保有資産・持分の出典

  • Xiaomi株:Xiaomi 2025 Annual Report ↗ — 信託・家族によるA種・B種の開示を確認。株式区分内の割合や議決権割合を会社全体の経済持分へ置き換えない。

保有比率は会社の株式に対する開示上の割合です。個人資産全体に占める割合ではありません。議決権とは区別し、算入する株式やオプションの範囲は各出典で示します。

関連事業の確認日:2026-11-01。財務数値の確認日:2026-11-01。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +56 / 100

1960〜80年代の中国の生活・医療・情報環境には制約が大きかった。大学進学期以降の改革と技術産業の拡大を評価しつつ、経済の大きさと行動・表現の自由を同じ点数にはしない。

本人の暮らした時代と場所を対象に、0〜24歳を80%、25歳以降を20%として合成。治安・医療・教育・市場・自由を分け、家族の資産や本人の成功を重ねて加点しない。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +80 / 100

教師の家庭で育ち、父はラジオや機材に触れる好奇心を支えた。大学教育を受ける条件と、初期に得たソフトウェア分野の接点が後も残る。本人が後に作った富は家族支援に含めず、親の資産を未確認のまま大富豪扱いしない。

同時代の世界全体との比較を80%、時代を超えた共通の生活・支援条件を20%で組み合わせる。確認できる事実を基に各軸へ当てはめ、情報がないことを0点として扱わない。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

雷軍の物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

01紙のキーボードから始まった

仙桃の少年

1969年、雷軍は中国中部・湖北省の川と湖が広がる平野にある仙桃で生まれた。ラジオやテレビを分解しては仕組みを確かめた。家の電気製品を開けてしまう少年に、父は高価な機材を買い与えた。好奇心を満たすには道具が要る。その道具を手の届くところへ置いてくれる大人がいた。[1][2]

雷軍の出発点。全体図と拡大図。
雷軍の出発点。湖北省仙桃に生まれ、武漢大学で学んだ。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。

1987年、雷は同じ湖北省にある学術都市・武漢の武漢大学へ進んだ。専攻はコンピュータ。図書館で読んだ『硅谷之火』という本が、進む先を大きく変えた。コンピュータに夢中になった若者たちが会社を作り、産業そのものを動かしている。技術を学んで就職するだけではなく、自分で何かを始める人生がある。雷は学生のうちから起業を考えるようになった。[3]

ただし、目の前にはもっと切実な問題があった。肝心のコンピュータが自由に使えない。

大学で割り当てられる実習時間だけでは足りなかった。雷は紙にキーボードを描いた。実機の前で迷わないよう、機械がない時間にも指を動かした。プログラムの仕事を引き受けることもあった。報酬だけが目的ではない。依頼主のコンピュータを使える。それが欲しかった。[3][4]

窓から入る学生

雷は4年分の単位を2年で取り切ろうとした。上級生を訪ね、授業や教材の情報を集める。先へ進めるところは独学で進んだ。正式な卒業は1991年7月だが、それまでの時間を授業だけに使うつもりはなかった。[3][5]

夜には友人と窓から計算機室へ入り、徹夜でコンピュータを使ったこともある。後年、母校の講演では当時の行動をよくないことだったと認めた。触れられる時間を少しでも増やしたい。そのために規則を踏み越えた学生でもあった。[6]

まだ機械を買い揃えて会社を作れる身分ではない。それでも書いたプログラムは、大学の中だけにとどまらなかった。雷が開発したメモリー管理ソフトRIは外へ公開され、技術者としての足場になっていく。自分のコードが他人のコンピュータで動く。起業の本を読んでいた学生は、少しずつ作り手の側へ回っていた。[6]

024人とも社長になりたかった

全員25%の会社

学生時代、雷は仲間と三色公司という会社を作った。4人の持分は25%ずつ。社長は3か月ごとに選び直す。最初から絶対的なリーダーがいる会社ではなく、技術を持つ若者が同じ立場で集まった会社だった。[7]

仕事と寝泊まりを兼ねる部屋は狭かった。全員が同時に横になる場所がない。1人が机に残っていれば、そのぶんほかの人が眠れる。交代で働き、交代で寝る。起業の夢を語るには十分でも、事業を安定して回すには心もとない出発だった。[7]

この会社はうまくいかなかった。4人が同じだけ株を持ち、社長の席も順番に回る。優秀なプログラマーが集まっても、商売の行き先を決める仕組みまで出来上がるわけではなかった。雷は学生時代の会社を失い、卒業後は別の経営者の下で働く道へ移った。[7]

6人目の社員

1992年、雷はソフトウェア会社Kingsoftへ入った。6人目の社員だった。会社を率いていた求伯君は、中国語ワープロソフトWPSを作ったプログラマー。雷にとっては、自分が進もうとしている道の先にいる人物だった。[6][5]

中国でソフトウェアを作って売る。それだけでも困難な時代だった。正規品を開発しても海賊版が出回り、海外の大企業とも競わなければならない。KingsoftはWindows向けの統合ソフトPanguに力を注いだ。開発には3年をかけた。雷もこの仕事に深く関わった。[8]

1995年4月、ようやく発売へこぎ着ける。ところが販売は期待の10分の1にも届かなかった。3年かけて作ったものが、買ってもらえない。会社へ戻るはずだった開発資金を、思うように回収できなかった。[8]

03売場で3日間立ち尽くす

機能を知っていても売れない

1996年、雷はソフトウェアの売場に立った。今度は作った製品を客へ手渡す側だった。最初の3日間、売れなかった。中身は知っている。何が優れているかも説明できる。それでも客は財布を開かなかった。[8]

雷は売れる店員の接客を見た。店員は一方的に機能を並べない。何をしたいのか、何に困っているのかを先に聞く。技術者が誇りたいところと、客が知りたいところは同じではなかった。初心者には、すごい機能の多さより使い始められることが大事だった。[8]

何年も作る側にいた雷が、売場では売れない人になった。Panguの失敗は開発の終わりでは終わらない。客がいる場所まで降りて、買われない理由を知るところからやり直す必要があった。

半年間の離脱

1996年4月、雷は辞表を出した。求伯君はすぐ退職を受け入れる代わりに、半年休むよう引き留めた。会社との糸を切らず、いったん離れることになった。[8]

休んでいる間、雷が向かったのはBBSだった。インターネット上の掲示板を運営し、人とやり取りする。完成品のソフトを箱へ入れて売る仕事とは違い、画面の向こうから反応が返ってくる。人が集まり、話し、また戻ってくる。ネットは製品を置く棚だけではなかった。[8][9]

同年11月、雷はKingsoftへ戻った。半年の休みを認めた求伯君のところへ帰り、再びソフトウェアを売る仕事を引き受けた。Panguで回収できなかった時間と資金を、新しい製品で取り戻していく。[8]

04ゲーム好きの社長が選んだ道

売れた20万本

Kingsoftが作ったのは仕事用のソフトだけではない。武侠の世界を舞台にしたゲーム『剑侠情缘』にも挑んだ。雷自身がゲーム好きで、作品を遊び、競合の動きを追った。[10][11]

2000年の作品は20万本を売った。それでも十分な利益にはならなかった。海賊版の存在が大きい。人気が出れば正規品が同じだけ売れるとは限らず、作る側へ戻るお金が足りなかった。雷は後の対談で、参入の早さも振り返った。ゲームへの関心を先に持っていても、稼げる仕組みが育つまで会社を持たせなければならない。[10]

やがて舞台はオンラインゲームへ移っていく。ソフトを複製して配るだけでは、サーバーにつながる体験までは手に入らない。Kingsoftもこの市場へ踏み込んだ。雷は『传奇』や『World of Warcraft』を遊び、社内でもゲームに触れることを重視した。自分が好きなだけでは足りないが、何が客を引きつけるのかを知らずに経営するつもりもなかった。[10][11]

2006年のテレビ取材では、ゲームが売上の半分以上を占めるようになっていた。一方で雷は、遊びすぎを防ぐ時間制限への支持も語った。熱中させる製品を作る仕事には、その熱中が生活を壊す問題もついて回った。[11]

残り4000万元(約9億円)で書き直す

WPSもまた、存続を懸ける判断に直面していた。Microsoft Officeと競い続けるには、部分的な手直しでは追いつけない。2002年、Kingsoftは手元に残った4000万元(約9億円)を使ってWPSを作り直す方へ進んだ。完成まで3年を要し、新しい製品が出たのは2005年だった。[6]

古い製品を売りながら、新しい土台を作る。やり直しの間にも給料は出ていく。ゲームやほかの仕事で会社を支え、次のソフトが完成するまでつなぐ必要があった。雷の経歴には、ひらめいた新事業を始める場面だけでなく、すでに抱えた会社を手放さず作り直す時間が長く横たわっている。[6][11]

05Amazonへ渡した会社

本とCDがネットで動く

2000年5月、Joyo.comが始まった。本やCD、DVDを扱うネット通販の会社だ。雷はKingsoftに関わりながら、ネットで商品を売る仕事にも踏み込んだ。製品を自分たちで開発しなくても、品揃えと注文、配送をつなげば商売になる。扱うものは違っても、客が何を欲しがるかを読む必要は同じだった。[9][12]

2004年、JoyoはAmazonに買われる。Amazonが中国市場へ入るための足場になった。8月の発表では7500万ドル(約118億円)の取引として報じられたが、9月7日の取得完了後にAmazonが開示した買収価格は7400万ドル(約116億円)だった。現金7200万ドル(約113億円)に、引き受けた従業員のストックオプションや取引費用などを含む。[12][13]

学生時代の会社は残らず、Kingsoftでは辞表まで出した。それから十数年。今度は自分が関わった会社が、世界的なネット通販企業へ渡った。

ただし、Amazonへの売却が雷の長い停滞感をすべて消したわけではなかった。Kingsoftの上場はまだ実現していなかった。会社を伸ばし、社員へ将来を約束しても、その約束を形にする日が来ない。別の事業が大きな取引を終える横で、長く抱えた宿題が残っていた。[14]

068年越しの鐘

親まで信じなくなった約束

Kingsoftの上場準備は何度も行き詰まった。香港の新興企業向け市場、中国本土、米国。選択肢を探りながら、準備しては方向を変える。上場を目指し始めてから実現まで8年が過ぎた。[14]

2003年には中国本土での準備を続けるより、オンラインゲームへ投資する判断をした。会社を上場へ近づけるための作業が、目の前の事業を強くする時間を奪ってしまう。資金と人をどちらへ振り向けるか。上場は大切でも、そのために会社の勝負どころを逃すわけにはいかなかった。[14]

社員には何度も上場の見通しを伝えていた。雷の回想には、社員の親たちまでその話を信じなくなったというくだりがある。社内の期待だけではない。家族に話した約束まで、繰り返すたび軽くなっていく。[14]

午前6時の手紙

2007年10月9日、香港上場の日。雷はホテルで午前6時に起き、社員へ送る手紙を書き直した。ようやく来た朝に、何を伝えるかを整えていた。初日の株価は公開価格を上回り、終値は39%高となった。[14]

会社へ入ったのは1992年。そこから15年が経っていた。Kingsoftを最初から作った創業者ではない。それでも、売れないソフトも、辞表も、ゲームへの転換も、上場のやり直しも抱えてきた会社だった。

同年12月、雷はCEOを退いた。その後は投資家として若い企業に関わり、モバイルブラウザーのUCWebなどを支える。経営の最前線から距離を取りながら、次の大きな市場を見ていた。2005年には携帯電話でネットを使う生活を自分でも試していた。次のコンピュータが机の上から手のひらへ移る。その変化を、投資先の数字だけで追っていたわけではない。[5][15][9]

0740歳からもう1度

集まらなかった技術者

2010年4月、雷はXiaomiを創業した。40歳だった。すでに上場企業を率いた経験があり、投資家としても知られている。それでもスマートフォンを作ると言い出すと、人は簡単には集まらなかった。[5][16]

Googleにいた技術者たちにも声をかけた。雷の回想では、十数人へ働きかけてもほとんど断られた。工場はあるのか。販売の仕組みはどうするのか。通信会社との関係は。ソフトウェアの経験と資金があっても、端末を量産して届ける仕組みは別に用意しなければならない。[16][9]

共同創業者にはGoogle出身の林斌、Motorolaで端末開発に関わった周光平らが加わった。雷1人が部品も製造も全部知っていたわけではない。自分にない経験を持つ人を集め、携帯電話の会社を形にし始めた。[17]

創業直後の約1年半、雷は自分の関与を大きく表へ出さなかった。後には成功したら認め、失敗したら知らないことにするつもりだったと冗談にした。Kingsoftで築いた名声が、新会社の成功を保証するわけではない。Xiaomiは評判より、動くものを先に出す必要があった。[18]

海底撈へ行く

雷は従業員を火鍋店の海底撈へ連れていった。店のサービスを体験させるためだった。端末の仕様だけでなく、客がどう扱われるかまで商品に含まれる。食事をしながら、その差を実物で知ってもらおうとした。[17][19]

Xiaomiには巨大メーカーのような販売網がない。客が戻ってきて、ほかの人へ話したくなる関係を作ることが重要だった。ソフトの売場で3日売れなかった経験を持つ雷は、すぐれた製品なら黙っていても伝わるという前提から始めなかった。

08端末より先に仲間を集める

最初の100人

2010年8月16日、XiaomiはMIUIを公開した。Androidを土台に、使い勝手や見た目を独自に作り替えたソフトだ。Xiaomi製の電話はまだ発売されていない。ほかのメーカーの端末を持つ利用者に使ってもらい、反応を集めるところから始めた。[20][17]

利用者が不満を書けば直す。新しい版を出し、また意見をもらう。最初の100人の名前は起動画面へ入れられた。完成したものを大勢へ一斉に売る前に、まだ小さな製品を一緒に育てる人たちを作った。[20]

MiTalkという無料メッセージアプリも、この時期の仕事だった。小さな開発チームが利用者の要望へ応じて改善を重ねる。スマートフォン本体、そこに載るソフト、日々使うサービス。Xiaomiはまだ端末を売っていない段階から、複数の場所で利用者とつながろうとしていた。[18][17]

56人が出した1100万ドル(約17億円)

2011年、56人の社員が合計1100万ドル(約17億円)をXiaomiへ投資していたことが明らかになった。新会社へ移っただけでなく、自分のお金も入れた人たちだった。雷が作ろうとしていた電話は、創業者の次の挑戦であると同時に、彼らの生活にもつながっていた。[17]

この年、雷はKingsoft会長へ戻る。Xiaomiの社員から見れば、古い会社へ軸足を戻したのかと受け取られかねない。雷は事情を説明した。すでにある会社の責任と、新しい会社へ託した人たちへの責任。その両方を持ったまま進むことになった。[18][6]

091999元(約4万7336円)の衝撃と品切れ

最初の予定は1499元(約3万5496円)

最初のXiaomiスマートフォン、Mi 1。2011年撮影。
最初のXiaomiスマートフォン、Mi 1。2011年撮影。
写真:Krisflyer777/画像整理:Bololabich/出典/CC BY-SA 3.0。Commons公開画像をそのまま使用。

2011年8月16日、初代スマートフォンXiaomi Phoneを発表した。価格は1999元(約4万7336円)。高い性能の端末を手の届きやすい価格で売る。その後のXiaomiを印象づける数字になった。[17][16]

当初は1499元(約3万5496円)を考えていた。しかし実際に必要な部品や費用を積み上げると、その価格には収まらない。1999元(約4万7336円)は最初から動かなかった宣伝上の数字ではなく、理想と原価の間で決まった価格だった。[16]

ネットで売れば、店舗や流通にかかる費用を抑えられる。だが、注文の入口を作ることと、注文の数だけ端末を用意することは違う。売り出すと品薄が続いた。欲しい客が買えない。発売のたび待たされる。話題になればなるほど、不満も大きくなった。[17][21]

欲しいのに買えない会社

限定的な供給は、品薄をあえて演出する「飢餓マーケティング」だと批判された。一方で会社には、部品の調達、資金繰り、工場の生産能力という制約があった。人気が出た瞬間、必要な数まで自動的に作れるわけではなかった。[21][19]

雷は売れない製品を経験していた。今度は逆だった。買いたい人が目の前にいるのに、渡すものが足りない。客との距離の近さを武器にした会社ほど、その怒りも直接受け取ることになった。

電話を売り切っても仕事は終わらない。故障すれば直す場所が要る。2012年の取材では、問い合わせ対応の席、Xiaomi Home、修理拠点を広げる取り組みが紹介された。ネットで注文を受ける会社にも、画面の外で客を支える人員と場所が必要だった。[22]

104万5000点を全部やり直す

壁紙まで目を通す

Xiaomiは壁紙のコンテストに10万元(約236万8000円)の賞金を用意した。集まった作品は4万5000点。社員が夜を徹して絞り込み、最後に10点を雷へ見せた。雷はその10点を採用しなかった。[21]

単独の絵としてきれいかどうかでは足りない。ロック画面やアイコンを重ねたとき、電話全体としてどう見えるのか。雷が見ていたのは、壁紙だけを鑑賞する画面ではなく、利用者が毎日触る画面だった。[21]

機能や仕様を大きく掲げる会社の中で、壁紙1枚にも創業者が口を出す。製品への細かな介入はXiaomiらしさを作った。同時に、利用者と事業が増えるにつれ、あらゆる判断をその方法で回す難しさも大きくなっていく。

10億元(約236億円)の賭け

2013年、雷は家電メーカーGreeを率いる董明珠と、5年後の売上をめぐって賭けをした。賭け金は10億元(約236億円)。ネットから生まれた若い会社と、工場や販売網を築いてきた大手メーカー。対立のわかりやすさもあって話題を呼んだ。[23][16]

結果は雷の負けだった。後に雷は当時の自信過剰を認めている。急成長しているからといって、製造業を長く続けてきた会社を簡単に追い越せるわけではなかった。[16]

雷の名言として広まった、風に乗れば豚も飛べるという表現も、この時期の彼を象徴するようになる。市場の大きな変化をつかむ重要性を語った言葉だが、実際の会社では飛ぶための部品も、製造も、修理の仕組みも、自分たちで用意しなければならなかった。[23]

11インドで売れた電話が止まる

国境を越える壁

2014年7月、Xiaomiはインドへ進出した。中国から安い電話を送れば終わり、という市場ではない。通信の認証や言語への対応、代金の受け取り方まで変わる。現金払いを前提にする客もいれば、クレジットカードを持たない客もいる。[24][25]

海外展開を担ったヒューゴ・バラは、国ごとの違いを具体的に説明していた。テレビまで広げようとすれば映像コンテンツの権利も絡む。同じ製品をそのまま置くだけでは、国内で作った成功を再現できなかった。[25]

そしてインドでは、売り方以前の問題が起きた。

2014年12月、Ericssonが特許侵害を訴え、デリー高裁がXiaomi端末の販売や輸入を止める仮処分を出した。ネット販売を担うFlipkartも対象に含まれた。進出してまだ半年もたたない市場で、商品を売り続けられるかが法廷へ持ち込まれた。[24]

1台ごとに100ルピー(約165円)

同月16日、裁判所はQualcomm製チップを使う端末について条件付きの販売再開を認めた。Xiaomiには販売台数に応じ、1台100ルピー(約165円)を預託する条件が課された。安く作り、効率よく売る事業に、特許を使う権利のコストが加わった。[26]

国を増やすほど売上の入口は増える。同時に、権利を確かめ、交渉し、必要なら争う仕事も増える。部品を仕入れられることと、その部品を使った完成品を世界中で自由に売れることは同じではなかった。

12英語が歌になった

Are you OK?

2015年、雷はインドでMi 4iを発表した。英語で会場へ呼びかける姿がネットに広まり、その音声を使ったリミックス動画が人気になった。なかでも「Are you OK?」のフレーズは雷の名前と結びついていく。[27]

世界へ売りに出た経営者の英語が、製品と違うかたちで注目を集めた。なめらかに国際展開を語るだけの舞台ではない。自分で出て話し、聞かれ、切り取られる。中国で知られた社長が海外で見つかる入口は、本人が最初に用意した筋書きどおりにはならなかった。[27]

半年で動いた工場

同年8月、Xiaomiはインド南東部・Andhra Pradesh州の工業都市Sri Cityで、Foxconnと進めた現地生産を発表した。最初の機種はRedmi 2 Prime、価格は6999ルピー(約1万1590円)。工場の話し合いを始めたのは2月で、約半年で製造へ進んだ。[28]

当初は部品の多くを輸入したが、完成品を中国から送るだけの形から変わり始めた。梱包材や電池、充電器などの現地調達も課題になった。販売でもネットだけでなく、Redingtonと組んだ店頭の流通を広げた。[28]

海外進出は発表会の1日で完結しない。裁判所の条件を守り、工場を立ち上げ、店へ商品を運ぶ。売れた後に必要になる仕事を、次々と抱える段階へ入っていた。

13売れすぎた会社の失速

1日に20以上の会議

2015年から2016年にかけて、Xiaomiは成長の壁にぶつかった。端末の供給が乱れ、販売の勢いも落ちる。ネットで利用者とつながる方法だけでは、製造と流通の問題を処理し切れなくなった。[15][20]

2016年5月、雷はスマートフォン事業を直接率いる立場になった。本人の回想では、1日に20以上の会議を重ねた。何がどこで詰まっているのか。部品、開発、生産の間に入り、増えた組織を自分でつなぎ直す時間が続いた。[6]

生産が整ってきても、販売は別の壁に当たった。ネットで買う人には届いても、実店舗で電話を選ぶ人へ十分に届いていない。雷は後に、店舗を2014年から本格的に増やすべきだったと振り返った。国内市場そのものが変わっている間、Xiaomiの売り方は追いついていなかった。[20][15]

安さでひと括りにされる

RedmiとXiaomiの違いもはっきりしなかった。低価格の製品を売る力がつくほど、高い価格の製品を買ってもらう難しさが増す。品質やデザインへお金をかけても、同じ安い電話の会社として見られれば価格を上げにくい。[20]

雷は製品だけでなくブランドの見せ方にも手を入れた。俳優のトニー・レオンを起用するなど、それまでとは異なる伝え方も試した。若い熱心な利用者へネットで訴えるだけでは、次の客に届かなくなっていた。[15]

急成長した会社を元へ戻す仕事は、最初の成功を繰り返すことではなかった。得意だった方法が足りなくなったところを見つけ、別の方法を持ち込む必要があった。

14売るための特許を買う

Microsoftとの交渉

2016年、XiaomiはMicrosoftから約1500件の特許を取得し、相互に特許を使える契約も結んだ。端末へOfficeやSkypeを載せる提携も含まれた。交渉には何か月もかかり、Xiaomi側では王翔らが関わった。[29]

かつてKingsoftでは、Microsoftの製品と競いながらWPSを作り続けた。今度はXiaomiの経営者として同じ相手と権利を交渉する。競争する部分があっても、海外で製品を売るために必要な契約は結ぶ。立場は単純な敵か味方かでは収まらなかった。[29][6]

2017年にはNokiaとも特許の相互利用で合意し、一部の特許を取得した。通信機器に関する協力も進めた。インドで販売が止まった経験の後、Xiaomiは売る国を増やすだけでなく、そこで事業を続けるための権利を積み上げていった。[30]

15電話の正面を作り替える

Mi MIXが現れた日

2016年10月、XiaomiはMi MIXを発表した。デザインを手がけたのは、フランスの著名デザイナー、フィリップ・スタルク。画面の周囲にあった余白を大きく減らし、正面のほとんどを画面にする端末だった。[31][32]

余白を削ると、そこにあった部品の居場所がなくなる。前面カメラは右下へ移り、音を伝える仕組みも変えた。筐体にはセラミックを使った。見た目を新しくするには、内部の仕組みも動かす必要があった。[31]

Mi MIXは展示用の模型で終わらず、11月4日に販売へ進んだ。供給できる数は限られていても、実際に買って使う電話として世に出した。安い価格で高い性能を届ける会社から、次の電話の姿を提案する会社へ。Mi MIXはその転換を、言葉より先に見せる製品になった。[32]

10億元(約236億円)をチップへ

2017年には、自社開発の半導体Surge S1を発表した。中国語名は澎湃S1。開発には10億元(約236億円)を投じた。搭載した端末Mi 5cの価格は1499元(約3万5496円)だった。[33]

電話を何台売れるかは、開発費の負担を左右する。同じ10億元(約236億円)でも100万台なら1台あたり1000元(約2万3680円)、1000万台なら100元(約2,368円)になる。自社チップを持つことは、外から買う部品を置き換えるだけではない。先に巨額のお金を出し、それを回収できるだけの製品を売る勝負だった。[33]

発表にたどり着いたからといって、その先が一直線に進むわけでもなかった。チップ開発は後に足踏みし、雷は長い立て直しを経て再び挑むことになる。[34]

165%の約束と上場の現実

利益を取りすぎない宣言

2018年、雷はハードウェア事業の純利益率を5%以内に抑えると約束した。会社全体の利益を5%にするという宣言ではない。端末などを売る事業では取りすぎず、利用者を増やし、サービスにもつなげる構想だった。[4]

Xiaomiをどういう会社と見るかは、上場時にも大きな問題になった。雷はネットサービスまで含めた会社として説明する。投資家は大量の電話を売るメーカーとしても評価する。その見方の差は、いくらの会社として値段がつくかへ直結した。[35]

17香港ドル(約341円)の値札

2018年7月9日の香港上場で、Xiaomiの公開価格は1株17香港ドル(約341円)となった。募集時の想定範囲の下限だった。調達額は47億2000万ドル(約7438億円)、評価額は約540億ドル(約8兆5104億円)。期待されていた1000億ドル(約15兆7600億円)には届かなかった。[35]

取引が始まると、株価は一時16香港ドル(約321円)をつけた。上場を成し遂げても、株式市場が創業者の描いた将来へそのまま値段をつけるわけではない。Kingsoftで8年越しの上場を終えた雷は、今度は自分が始めた会社で、別の厳しさを味わうことになった。[35]

利用者が製品を欲しがること、売上が増えること、株主が望む価値をつけること。似ているようで、同じ成果ではなかった。

17透明な背面の下にあったもの

本物らしさを作った部品

2018年に発表されたMi 8 Explorer Editionは、透明な背面から内部の部品が見えるようにした端末だった。中の精密さまで商品として見せる。写真だけでも目を引く工夫だった。[36]

ところが、背面から見える基板状の部分は、端末を動かしている基板そのものではなかった。実際の回路の上へ、見せるための装飾的な層を置いていた。2019年の分解記事でも、その構造が確かめられた。[37]

Xiaomi側は2018年の段階で、見えている部分が装飾用であることを説明している。それでも、透明な背面なら本当の内部が見えると思った人には、期待とのずれが生まれた。新しさを演出する技術と、何が見えているのかを正確に伝える仕事は、分けられなかった。[36][37]

1万9999元(約47万3576円)の未発売機

2019年9月、さらに大胆なMi MIX Alphaを発表した。画面が正面から側面を回り込み、背面の大部分まで覆う。価格は1万9999元(約47万3576円)。12月からの小規模生産を計画していた。[38]

ただ、発売予定を掲げたことと、客へ届けられたことは違う。2020年8月、雷は量産へ進めなかったことを明らかにした。次のMIXを待ってほしいと伝えた。見せた未来を、そのまま売る電話へ変えることはできなかった。[39]

Mi MIXで余白を削った会社は、今度は画面を背中まで回した。しかし発表会で成立する製品を、安定して作り、使い続けられる製品へ仕上げる壁は残った。

18Redmiを分けて高級機へ進む

1つの名前で抱えない

2019年、XiaomiはRedmiを独立したブランドとして打ち出した。低価格で価値を届ける仕事と、Xiaomiの名で高級機へ進む仕事を分ける。かつて曖昧だった役割を、組織と名前の両方で整理し始めた。[40]

1月にはGionee出身の盧偉冰が加わった。スマートフォン市場が成熟するほど、新しい端末を出すだけでは勝ちにくくなる。価格、販売網、製品の位置づけを揃え、買い替え先として選んでもらう必要があった。[40]

人より機械が多い工場

2020年には、3年ほどかけて構想してきた自動化工場も姿を現した。取材で紹介された現場では、100人ほどの従業員の多くが技術者で、製造を機械へ任せる仕組みを作っていた。人が製品を運び、組み立て続ける工場とは違う形を目指していた。[41]

一方で、すべての製品を1か所で作るわけではない。インドやインドネシアなどでは現地での組み立ても進めた。自動化の実験と、国ごとの販売に合わせた製造網を同時に動かす。Xiaomiはネットだけで動く身軽な会社という姿から、工場や権利、人員を各地へ持つ企業へ変わっていた。[41]

19自動車の前に来た米国の指定

投資家が株を持てなくなる

2021年1月、米国防総省はXiaomiを中国軍と関係する企業のリストへ加えた。米国の投資家による証券投資の禁止へつながる指定だった。Xiaomiは提訴し、裁判所へ差し止めを求めた。[42]

スマートフォンで使う部品の輸出を止める措置とは別だ。それでも上場企業にとって、米国の投資家が株を持てなくなる影響は重い。製品が売れていても、会社を取り巻く国際政治で資金の市場が変わる。[42]

3月12日、米連邦地裁は指定の効力を暫定的に止めた。5月25日には指定を取り消す最終命令が出た。Xiaomiはこの法廷で指定の撤回を得た。[42][43]

10年続いたアプリの終わり

同じ年、創業初期から続いたMiTalkが旧サービスを終えた。1月に告知し、2月には登録やメッセージ機能を順次停止していった。端末が世に出る前から育てたアプリも、ずっと主役で居続けるわけではなかった。[44]

電話の発売より先に利用者を集め、少人数で要望へ応えていたサービスだった。その旧サービスを閉じる頃、会社が利用者とつながる場所は、電話から家の中へと広がっていた。[44][45]

20最後の起業へ100億ドル(約1兆5760億円)

70日間考えた車

2021年3月30日、Xiaomiは電気自動車事業への参入を発表した。今後10年間で100億ドル(約1兆5760億円)を投じる計画だった。雷が責任者となり、人生最後の大きな起業として挑む。スマートフォンで築いた会社のお金と、自分の名前を、まだ1台も売っていない車へ注ぎ込む決断だった。[46][16]

発端は1月の米国による指定だった。雷が後に明かした経緯では、その日の取締役会で車への参入が話題になった。すぐ賛成するのでなく、6人の調査チームを組む。70日余りで10を超える都市を回り、85回の面談で200人以上の話を聞いた。調査の結論を取締役会へ持ち帰ると、支持とともに条件がついた。巨額を投じる以上、雷自身が率いること。参入するかを調べる仕事が、自分がもう1度起業する話へ変わった。[47]

この日、新しいXiaomiのロゴも披露した。手がけたのは日本のデザイナー原研哉。輪郭に丸みを持たせ、橙色に加えて黒や銀も使う設計だった。ロゴへの反応と自動車参入への注目が同時に集まった。会社の名前を残したまま、扱う製品は人を乗せて走る機械へ変わろうとしていた。[48]

社内の駐車場から決める

最初の車を何にするか。雷たちは社員300人以上と話し、駐車場へ出て車種を数えた。社内にはセダンもSUVもほぼ同じくらいある。最初に選んだのはセダンだった。ところが開発が進むと方針が割れ、2022年の春節明けに中核メンバーが集まった会議は21日間に及んだ。創業者の宣言だけでは、異なる自動車会社から集まった人たちの判断は揃わなかった。[47]

続いて上海の感染対策による封鎖が開発を直撃した。技術者が機材を家へ持ち帰り、居間でモーターの制御ソフトを動かす。遠隔の会議を重ね、試作を続けた。2023年8月16日、量産へ向けた最初の試作車がラインから出る。雷は後の講演で、人が去った後にも車の周囲を何周か歩き、車内へ1人で座っていたと振り返った。発表の日から2年余り。会社のお金を使う計画が、ようやく乗り込める車になった。[47]

スマートフォンを捨てるわけにはいかない

車へ進んでも、既存事業からお金を稼ぐ必要は続く。2022年のXiaomiの売上は2800億4401万6000元(約6兆6314億円)で、前年から14.7%減った。スマートフォンの出荷は1億9030万台から1億5050万台へ落ちた。[49]

売上が減る一方で、研究開発費は増えた。2022年は160億2813万2000元(約3795億円)。自動車などの新規事業にも31億元(約734億円)の費用をかけた。目の前の電話を売る厳しさと、数年先の車へ支出する重さを同時に抱えていた。[49]

21カメラとOSを作り直す

Leicaと組む

2022年5月、XiaomiはカメラメーカーLeicaとの協力を発表した。7月にはXiaomi 12S Ultraなどを披露する。写真の魅力を画素数だけで競うのではなく、色や表現の作り方まで組み込む提携だった。[50][51]

Leica AuthenticとLeica Vibrant。撮影する人が描写を選べるようにした。高級機へ進む会社にとって、有名な名前を背面へ載せるだけでは足りない。撮った写真の違いとして伝わらなければ、次の買い替えにも結びつかない。[51]

電話と家と車をつなぐ

2023年10月、XiaomiはHyperOSを発表した。創業期から育てたMIUIを引き継ぎ、電話だけでなく家電や車までつなぐための仕組みへ広げる。2023年末、XiaomiのIoTプラットフォームにつながる機器は7億3970万台に達した。スマートフォン、タブレット、ノートパソコンを除いた数だった。[45]

電話の画面を毎週直していた会社は、家庭の中にある機器のつながり方まで扱うようになった。車へ乗る前と後で、電話も家の機器も同じまま使える。その構想を完成させるには、自動車という最後の大きな製品を実際に売り出す必要があった。

222000元(約4万7360円)を受け取った学生の寄付

武漢大学へ13億元(約307億円)

2023年11月29日、雷は母校の武漢大学へ13億元(約307億円)を寄付した。現金による個人寄付だった。数学や物理、化学をはじめとする基礎研究、コンピュータ分野の技術革新、学生の育成などを支えるためのお金だった。[52]

在学中、雷は2000元(約4万7360円)の奨学金を受け取っていた。将来は何倍にもして返そうと考えた。大学への寄付は1997年から続けていたが、今回はその規模が一段と大きくなった。紙のキーボードで練習し、機械を使う時間を求めていた学生が、次の学生へ研究資金を渡す側になった。[52]

以前に建物へ寄付した際は、金額を9999万9999元(約23億円)にした。同窓の陳東升が寄付した1億元(約23億円)を超えないよう、1元(約23円)だけ下げた数字だった。今回は陳とも話し合い、13億元(約307億円)を贈った。富を見せる数字であると同時に、学生時代から続く人間関係の中で決まった数字でもあった。[52]

2321万5900元(約511万2512円)の車が走り出す

SU7発売

2024年3月28日、Xiaomiは電気自動車SU7を発売した。標準モデルは21万5900元(約511万2512円)。上位のProは24万5900元(約582万2912円)、Maxは29万9900元(約710万1632円)。当時のTesla Model 3の最も安いモデルより、標準モデルは3万元(約71万400円)低く設定した。[53]

2024年4月に撮影されたXiaomi SU7。
2024年4月に撮影されたXiaomi SU7。
写真:JustAnotherCarDesigner/出典/CC0。表示用縮小。写り込む商標の権利は各権利者に帰属。

雷は性能や価格を示し、自ら車の前へ立った。電話の価格を1999元(約4万7336円)と発表してから約13年。今度は、客が何年も乗り、道路を走る車へ値段をつけた。[53]

会社の発表では、午後10時の受注開始から27分で5万件の注文が入った。ただし、その時点で客へ渡した車の数ではない。通常の予約金は5000元(約11万8400円)で、7日間は返金できた。創業記念版5000台は2万元(約47万3600円)の予約金を返金しない条件で、4月3日から納車する仕組みだった。[53]

家と電話を車内へ持ち込む

SU7では、Xiaomiの機器と車をつなぐ機能を前面に出した。家の機器を操作し、電話から車へ体験をつなげる。Xiaomi以外の電話を使う人へも間口を広げ、iPhoneとの対応も示した。[54]

自動車だけで何もかも新しく揃え直すのではなく、すでに使っているものへ車を加える。その作り方には、電話や家電を広げてきた会社の蓄積があった。一方、雷は標準モデルを売るたび損失が出るとも語った。売れた数が増えれば、すぐ利益が増えるという段階ではなかった。[54]

24社長の配信を3400万回見る

2時間の質問攻め

2024年4月18日、雷は北京の納車拠点からDouyinでライブ配信した。2時間にわたる配信は、3400万回の視聴を集めた。[55]

注文は想定の3倍から5倍。買った人からは、いつ届くのかという質問が来る。雷は標準モデルの納車を12日早める計画を伝えた。売れない不安から、待たせる責任へ。電話の時代に起きた問題が、今度は車の大きさで返ってきていた。[55]

次はSUVなのか、もっと違う車を作るのか。質問はまだ届いていない未来へ進む。雷はSU7へ集中する姿勢を示した。配信にはGreat Wall Motorの魏建軍も加わった。新しく車を作り始めた社長が、長く自動車を作ってきた経営者と同じ場所で見られるようになった。[55]

発表した後の仕事

宣伝が当たれば、生産の重さは消えないどころか増す。予約した人へ納期を説明し、作った車を運び、乗り始めた人の不満へ応じる。XiaomiがMIUIで覚えた利用者とのやり取りは残っていても、車では扱う安全と責任の大きさが違った。

納車拠点へ出て質問を受ける雷の後ろでは、次の車を組み立てる作業が続いていた。[54][55]

25工場へ招く側になる

24億元(約568億円)のスマートフォン工場

2024年7月、北京・昌平区の新しいスマートフォン工場が注目を集めた。投資額24億元(約568億円)、面積約8万1000平方メートル。年間1000万台を作る能力を掲げ、MIX Fold 4やMIX Flipなどを生産する工場だった。[56]

雷はXiaomi創業時、工場や製造の経験を問われて人材採用に苦しんだ。14年後には、自社の製造現場そのものを外へ見せる側になっていた。[56][16]

特許を携えた工場案内

2024年9月13日、世界知的所有権機関WIPOのダレン・タン事務局長が北京のXiaomi自動車工場を訪れた。雷が迎え、事業と技術について話した。[57]

2024年9月、小米のEV工場を訪れたWIPOのダレン・タン事務局長と雷軍(左)。
2024年9月、小米のEV工場を訪れたWIPOのダレン・タン事務局長と雷軍(左)。
写真:World Intellectual Property Organization (WIPO)/出典/CC BY 2.0。原画像をそのまま使用。

WIPOの報告によれば、同年半ばまでにXiaomiは4万件を超える特許と5万1000件の商標を取得していた。インドで特許を理由に販売を止められた会社は、他社と契約を結ぶだけでなく、自分たちの権利も積み重ねていた。雷は訪問の席で知的財産の重要性を強調した。[57]

ただ安く仕入れて売る会社ではないと説明するには、値段以外のものを見せなければならない。工場も、研究開発も、特許も、そのために積み上げてきた仕事だった。

26売れた車に突きつけられた責任

3人が亡くなった事故

2025年3月、SU7が関係する事故で3人が亡くなった。雷は遺族への哀悼と調査への協力を表明した。販売記録や次の車への期待が広がる一方で、すでに道路を走る製品で人の命が失われた。[58]

電話の発売では、客は仕様や価格を比べる。車の会社には、それに加えて安全の説明が求められる。運転支援をどこまで使え、どこで運転者が引き継がなければならないのか。雷は自分の名前を大きく出して車を売った経営者として、その問いにも向き合うことになった。[58][59]

27紙袋で届いたチップ

失敗した名前を引き継がない

Surge S1の後、次のスマートフォン向けチップは出なかった。2018年には開発をいったん止め、チームを縮小した。雷は2025年の講演で、独立した子会社と電話部門の足並みが揃わず、自分が調整に入っても解決できなかったと明かしている。チップを作る側は採用してほしい。電話を売る側には、完成度の確かな外部製品を使う選択がある。社内で作ったからといって、自社製の電話へ載せられるとは限らなかった。[34]

2021年初め、開発を再開した。以前と同じ松果という名前を使いたい雷に、チームは反対した。新しい名前は玄戒。英語ではXRINGとなった。古い看板で再挑戦するのでなく、新しい組織として立ち上がる。その開発に必要なお金は、電話の売上が落ちた2022年にも出ていった。[34][49]

2000万ドル(約31億円)を試作品へ

2024年初め、設計したチップを半導体工場へ渡し、実物を作る工程へ進んだ。雷の講演によれば、その費用だけで約2000万ドル(約31億円)。5月22日に戻った試作品を、社員たちは空港へ迎えに行き、紙袋に入れて実験室へ持ち帰った。その晩にシステムが動き、翌朝には担当者が新しいチップを使う電話から雷へ連絡を入れた。[34]

2025年5月、XiaomiはXRING O1と、それを載せたXiaomi 15S Pro、タブレットXiaomi Pad 7 Ultraを発表した。設計図や発表用の見本だけでなく、客が選べる完成品へ載せて世に出した。初代Surge S1から8年。安い電話を大量に売る会社が、高級機の中心部品まで自分たちで設計するところへ戻ってきた。[60]

284万2000元(約99万4560円)のボンネットが招いた反発

格好よさだけでは納得しない

自動車では、華やかな高性能モデルにも説明のほころびが出た。2025年2月に発売したSU7 Ultraは52万9900元(約1254万8032円)から。オプションの炭素繊維製ボンネットには、さらに4万2000元(約99万4560円)かかった。2つの開口部を備え、レーシングカーを思わせる外観になる。ところが納車された車を調べた購入者たちが、冷却へつながるはずの構造について疑問を上げた。[61]

Yicaiが取材した購入者は、性能も向上するという販売時の説明を受けて追加料金を払ったと話した。見た目に満足できるかでは終わらない。高い部品を選んだ理由そのものが問題になった。雷もSNSで前輪の冷却に言及していたと報じられ、会社の宣伝と届いた製品の違いへ批判が集まった。[61]

Xiaomiは5月7日の説明で、情報の伝え方が不明瞭だったと謝罪した。会社の説明では、量産車の初期計画にはこのボンネットがなく、原型車の外観への反響を受けて採用したものだった。部分的な空気の排出や補助的な放熱機能はあるとする一方、未納車の客には通常のアルミ製へ戻す期間を設けた。選択を維持する客などには2万ポイントを付与する対応も示した。[62]

車の価格に4万2000元(約99万4560円)を足した客へ、ポイントで応じる。すでに届いた車と、まだ工場を出ていない注文とでも扱いが分かれる。Yicaiが取材した購入者らは対応に不満を示し、全額返金を求める動画も公表した。Xiaomi側の機能説明と、購入者が約束されたと受け止めた内容は、そこで一致しなかった。[61][62]

更新すると変わる車の性能

同じ5月の説明には、もう1つの謝罪があった。ソフトの更新で高性能な走行モードに解除条件を追加し、一部の客を困らせた件だった。Xiaomiは配信を止め、更新済みの車には次の版で対処するとした。安全を意図した変更でも、購入前に知っていた車と使える機能が変われば、所有者にとっては別の問題になる。会社も利用者との相談と説明が足りなかったことを認めた。[62]

2918時間で24万台の注文

次は家族を乗せるSUV

2025年6月、Xiaomiは初のSUV、YU7を発売した。低い車体のSU7に続き、室内の広さを打ち出す車へ進む。標準モデル25万3500元(約600万2880円)、Proが27万9900元(約662万8032円)、Maxが32万9900元(約781万2032円)から。会社の中間報告では、発売から18時間で24万件を超える確定注文が入った。受注の大きさに、生産と引き渡しを追いつかせる仕事がまた始まった。[60]

一方、Xiaomiの自動車全体では、2025年上半期に15万7171台を納車していた。この半年間、自動車の売上は387億元(約9164億円)へ達したが、AIなども含む新規事業部門は営業費用を差し引くと約8億元(約189億円)の損失を計上していた。車の注文表には大きな数字が並ぶ。その横では、売った車から得たお金と、工場や開発へ出すお金の両方が増えていた。[60]

Xiaomiが電話の1999元(約4万7336円)で注目された頃とは、1台の重さが違う。部品が足りなければ待つ客が増え、使い方の説明を誤れば運転する人へ影響する。ソフトを更新する能力も、利用者の意見を聞く近さも、自動車では大きな責任を伴って返ってきた。

3011万6887台を改修する

11万6887台のリコール

2025年9月19日、中国当局はSU7標準モデル11万6887台のリコールを公表した。対象は2024年2月6日から2025年8月30日までに生産された車両だった。[59]

高速道路の運転支援を使う際、特定の極端な状況ではシステムの認識や警告、対応が不十分となり、運転者が適切な時点で介入しなければ衝突の危険が高まる。会社は無線更新による改修を行う。これは当局が公表した改修理由であり、個別の死亡事故の原因や法的責任を確定した判断とは区別される。[59]

新しい車を発表しても、前に売った車を手放せるわけではなかった。引き渡した後にもソフトを書き換え、危険を減らし、所有者へ知らせる。そのためのお金と人員は、次の新製品を作る仕事と並んで必要になる。

31届けた後に続く修正

ボンネットを無償で改修する

ボンネットへの対応はポイントだけで終わらなかった。2025年10月に無償改修が発表され、2026年3月10日から予約を受け付けたと報じられている。開口部に空力用の部品を加える作業で、店舗で2〜3時間を要する。発表会で1度説明すれば済む仕事ではなく、届いた製品を持つ客に、改めて来店してもらう仕事になった。[63]

32大きな会社で続く起業

紙の鍵盤から車と半導体へ

その間にも事業は大きくなった。2025年、Xiaomiの売上は4572億8668万7000元(約10兆8285億円)に達した。電話、家電、ネットサービスに加え、自動車もお金を稼ぐ柱になった。雷はXiaomiを率いる一方、Kingsoftとの関わりも続けている。[5][64]

大学のコンピュータを少しでも使いたくて、仕事を請け負い、夜には窓から入り込んだ学生だった。会社を作ると失敗し、Kingsoftに入ると3年かけたソフトが売れず、辞表を出した。戻ってきてゲームで収益を作り、8年待った上場を終えた。それで経営者としての挑戦を閉じず、40歳で電話を始めた。

Xiaomiでも、売れたから次が簡単になったわけではない。注文を受けても工場が追いつかず、海外へ行けば特許で止められ、自社チップはいったん途切れた。透明な背面や車のボンネットでは、製品を魅力的に見せる説明そのものへ批判が向いた。雷の名前で期待を集める力は、失望した人の声も同じ名前へ集めた。

それでも、紙に描いた鍵盤から始まった仕事は、車内の画面や半導体まで伸びた。XRING O1で動く端末が売られ、SU7とYU7が道路へ出る。その1台1台には、いまから使い始める客がいる。発表会の拍手が止んだ後も、雷と会社の仕事はそこに残っている。[60][62][59]

参考文献・出典 64件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. 雷军在清华附小演讲:我如何培养我的女儿 ↩ 本文
  2. Lei Jun realtime profile ↩ 本文
  3. 雷军:成长的经历和感悟 ↩ 本文
  4. Lei Jun Wants to Be Chinas Answer to Steve Jobs.But Trumps Trade War Is Getting In His Way ↩ 本文
  5. Xiaomi 2025 Annual Report ↩ 本文
  6. 雷军:我的科技探索之路 ↩ 本文
  7. 雷军“小米加步枪”征服世界 ↩ 本文
  8. 2022年度演讲全文 穿越人生低谷 ↩ 本文
  9. 我对互联网思维的理解 / 小米创业思考 ↩ 本文
  10. 雷軍・Sohu利用者対話の記録(2003年10月17日) ↩ 本文
  11. 大連テレビ「第一訪談」雷軍インタビュー(2006年5月29日) ↩ 本文
  12. Amazon.com to Acquire Joyo.com Limited ↩ 本文
  13. Amazon Q3 2004 results / Joyo completion ↩ 本文
  14. 雷軍口述・中国企業家「我和金山的五次上市」(2007年10月16日) ↩ 本文
  15. 雷军:小米要补课,但不会学习OPPO、vivo,他们成功靠信息不对称 ↩ 本文
  16. 2024年度演讲 勇气 ↩ 本文
  17. 雷军:无雷军系和TABLE之说 小米想做靠谱的事 ↩ 本文
  18. 雷军做客微访谈:为实现18岁理想创办小米科技 ↩ 本文
  19. 雷军:奇迹般的这三年 ↩ 本文
  20. 小米十周年雷军演讲全文 ↩ 本文
  21. 雷军想做“小”,你信吗? ↩ 本文
  22. 雷军:互联网企业做手机要敢于面对放大镜经营 ↩ 本文
  23. 雷軍寄稿 — 小米成功不是因为站在风口而是进取之心, 2014-07-19 ↩ 本文
  24. Reuters・インド裁判所によるXiaomi販売停止命令(2014年12月11日) ↩ 本文
  25. Hugo Barra explains Xiaomis overseas expansion – Exclusive ↩ 本文
  26. Reuters・Qualcomm搭載機の暫定輸入販売許可(2014年12月16日) ↩ 本文
  27. GeekWire・インドでのLei Junの英語発表と動画(2015年5月4日) ↩ 本文
  28. The Indian Express・Sri City工場とRedmi 2 Prime発表取材(2015年8月11日) ↩ 本文
  29. 新京報取材・XiaomiのMicrosoft特許取得と王翔の説明(2016年6月2日) ↩ 本文
  30. Nokia・Xiaomiとの事業協力・特許契約(2017年7月5日) ↩ 本文
  31. Xiaomi’s $45bn formula for success (and no, it’s not copy Apple) ↩ 本文
  32. Notebookcheck・Xiaomi MIX発表(2016年10月26日) ↩ 本文
  33. 人物 | 对话雷军:小米10亿造芯背后 ↩ 本文
  34. 2025年度演讲 改变 ↩ 本文
  35. Reuters・Xiaomi香港上場初日の取材(2018年7月9日) ↩ 本文
  36. Ubergizmo・Mi 8 Explorerの装飾基板と会社担当者の説明(2018年7月30日) ↩ 本文
  37. ABI Research・Mi 8 Explorerの分解調査(2019年1月23日) ↩ 本文
  38. Xiaomi発表・Mi MIX Alpha(2019年9月24日) ↩ 本文
  39. Gizmochina・Lei JunのMi MIX Alpha量産見送り説明(2020年8月9日) ↩ 本文
  40. Xiaomi 2019 Annual Report・ブランド戦略とLu Weibing経歴 ↩ 本文
  41. 小米如何进行产业链重构?雷军提出这三点策略 ↩ 本文
  42. Xiaomi v DOD preliminary injunction ↩ 本文
  43. Xiaomi 2021年第1四半期資料・5月25日の最終取消命令 ↩ 本文
  44. Yicai・MiTalk従来サービス停止告知(2021年1月20日) ↩ 本文
  45. Xiaomi・2023年通期決算説明資料(2024年3月19日) ↩ 本文
  46. 2021年度演讲 股市风云高端之路飞来横祸 ↩ 本文
  47. 雷軍2024年度講演 勇气 — EET転載 ↩ 本文
  48. Gadget Pilipinas・原研哉によるXiaomi新ロゴ(2021年3月31日) ↩ 本文
  49. Xiaomi・2022年通期決算(2023年3月24日) ↩ 本文
  50. Leica・Xiaomiとの長期戦略協力(2022年5月23日) ↩ 本文
  51. Leica・Xiaomi 12Sシリーズ共同開発製品(2022年7月4日) ↩ 本文
  52. 雷军校友个人捐赠13亿元现金 ↩ 本文
  53. CnEVPost・SU7発売と価格・予約条件(2024年3月28日) ↩ 本文
  54. AP・SU7発表会取材(2024年3月28日) ↩ 本文
  55. Reuters・Lei Junの納車拠点ライブ配信(2024年4月18日) ↩ 本文
  56. Yicai・昌平スマート工場稼働(2024年7月9日) ↩ 本文
  57. WIPO・Daren Tang訪中報告とXiaomi工場訪問(2024年9月) ↩ 本文
  58. Xiaomi will cooperate with investigation into fatal EV crash ↩ 本文
  59. 小米SU7标准版召回公告 ↩ 本文
  60. Xiaomi Corporation Interim Report 2025 ↩ 本文
  61. Yicai / Wu Ziye — SU7 Ultra hood customer dispute,12May2025 ↩ 本文
  62. Xiaomi回答全文 IT之家転載,7May2025 ↩ 本文
  63. IT之家 — SU7 Ultra hood free upgrade,10Mar2026 ↩ 本文
  64. Xiaomi Management ↩ 本文

写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。

※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1インドルピー=1.656円、1香港ドル=20.09円、1人民元=23.68円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / INR / HKD / CNY

本文更新:2026-11-02

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