NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

孫正義

Masayoshi Son

ソフトバンクグループ創業者。学生時代の翻訳機ビジネスからソフトの卸売りを始め、Yahoo、携帯通信、Armへ進出。アリババ投資の大成功も、WeWorkの巨額損失も経験した。2026年3月期のグループ売上は約7.8兆円。いまはAIへ、兆円単位の資金を投じる。

1957年生まれ / 日本出身 / テクノロジー・投資

物語を読む
孫正義の顔写真(2025年)
ソフトバンクグループ本社での孫正義(2025年5月)。
写真の出典写真:European Communities, 2025 / EC - Audiovisual Service/© European Union, 2026/Wikimedia Commons/CC BY 4.0。配布元の切り抜き版を使用。

志高く。

Aim High.

孫正義が繰り返し掲げてきた言葉。ソフトバンク公式の本人メッセージより。 原文 · 英語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定個人資産

800億ドル

約12兆6,080億円

主な保有資産

  • ソフトバンクグループ株

主な取得・売却の記録

  • カリフォルニア州の住宅

ソフトバンクグループ

創業者・代表取締役 会長兼社長執行役員

AI・半導体・通信などへの投資と、傘下企業を通じた事業を展開する。スマートフォンの通信会社とは別の上場会社。

年間売上

7兆7,986億円

ソフトバンク

創業者・取締役/ソフトバンクグループの子会社

SoftBank・Y!mobile・LINEMOの携帯通信、固定回線、法人向けサービスなど。LINEヤフーを含むグループ事業も連結する。

年間売上

7兆386億円

Arm(アーム)

取締役会議長/2016年にグループが買収

スマートフォンやサーバー向け半導体の設計技術を開発。設計ライセンスや、技術を使ったチップの出荷に応じたロイヤルティーなどを得る。

年間売上

49億ドル

約7,753億円

SoftBank Vision Fund

ソフトバンクグループ創業者として投資事業を主導

テクノロジー企業へ投資する大型ファンド。ソフトバンクグループの資金運用・企業投資の中核を担う。

第1号ファンドの出資約束額

986億ドル

約15兆5,393億円

出典・詳しい補足

下の2社はソフトバンクグループの連結対象。親会社の売上と重複するため、3社の金額は合計しない。

ソフトバンクグループの売上実額は7兆7,986億5,000万円。通信会社ソフトバンクは7兆386億8,000万円。個人資産は日々変わるため、基準日を固定した年間ランキングを掲載。OpenAIなどへの投資額を、会社の売上や本人の資産に加算していない。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • ソフトバンクグループ — 年間売上 / 2026年3月期・連結売上高 / 会社公表(決算表)
  • ソフトバンク — 年間売上 / 2026年3月期・連結売上高 / 会社公表(決算表)
  • Arm(アーム) — 年間売上 / 2026年3月期・連結売上高 / 会社公表(決算表)
  • SoftBank Vision Fund — 第1号ファンドの出資約束額 / 2025年12月31日時点・SVF1 / 会社公表・ファンドの出資約束総額。第1号ファンドだけの総出資約束額。現在の現金残高・年間売上や、他のファンドを含む合計ではない。

主な保有資産・持分の出典

掲載する割合は、会社の株式に対する各開示基準での保有比率です。本人の資産全体に占める割合ではなく、議決権比率とも異なります。家族・信託・報酬株・オプションなどの算入範囲は各出典に記載しています。生前の持分は当時の時点を示し、現在の遺族・財団の財産とは区別します。

関連事業の確認日:2026-10-31。財務数値の確認日:2026-10-30。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +82 / 100

1957年の日本で生まれ、青年期には米国の西海岸で学んだ。日本の学校・医療・交通が改善していく時期に育ち、バークレーでは大学と新しい技術産業へ接近できた。戦争下で教育や移動が途切れる環境に比べ、利用できる制度と市場は広かった。一方、生まれた時点の日本の衛生・医療を現在と同水準には置かず、幼少期から青年期までの変化を含めて評価している。

在日韓国人としての差別や、通名を使い出自を隠すことへの葛藤は、本人の公の発言に残る。日本の平均的な豊かさだけで、この社会的な制約を消さない。外国人登録制度にも日本国民とは異なる義務があった。家族の所得や家庭内の支援はもう一つの評価へ分け、この項目では本人が接した制度と社会の条件を見る。

25歳以降は、日本の大きな消費市場、通信・金融の基盤、米国や英国などへ事業を広げられる市場への接近が有利だった。企業買収には規制もあり、自由に何でもできたわけではないが、長期に紛争や移動制限へ置かれた環境より機会は広い。本人が後に得た成功を社会環境の満点理由にはせず、青年期まで80%、成人後20%の共通配点で計算した。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +88 / 100

線路脇の家で暮らし、祖母が豚の餌を集め、父の入院時には兄が学業を中断した幼少・少年期の制約を含めた。家族が最初から潤沢な資産と安定した生活を持っていたとは評価しない。その一方、父は事業を広げ、青年期には海外で学べる資金的な土台ができた。幼いころの貧しさだけを固定して、生涯無支援だったとするのも適切ではない。

小学生のころから父は店名やメニューの意見を求め、両親は将来への自信を育てた。家庭教師から本を勧められ、米国の高校・大学で学ぶ時間を確保できた。同時代の世界では、早くから家計を担うために学業を断念したり、海外で専門家に会う道を持てなかったりする境遇も多い。その比較を80%とし、養育の安定や教育資源そのものの共通水準20%を合わせるため、支えの大きかった青年期を上位に置いた。

成人後には、シャープの佐々木正が助言を続け、創業期の銀行融資では個人保証を申し出たとする当事者取材がある。青年期の教育と信頼関係が、その後も使える土台になった効果を含める。研究者が報酬を得て開発した仕事や、投資家が利益を期待して出資した通常の取引を、そのまま無償の身内支援として加点していない。本人が築いたソフトバンクの巨額資産も、親から受け継いだ資産には数えない。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

孫正義の物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

01売上を豆腐のように数える

聞いていた2人がいなくなる

木のみかん箱を演台にして、24歳の孫正義が朝礼を始めた。場所は福岡の小さな事務所。聴衆は雇ったばかりのアルバイト2人だった。

この会社の売上を、いつか1兆、2兆と数える。豆腐を1丁、2丁と数えるように。

孫が後に語った創業時の朝礼だ。まだ会社には、その未来を裏付ける売上も組織もない。眼前の2人はほどなく辞め、若い社長と途方もない数字が残った。[1]

それから40年以上後、ソフトバンクグループの2026年3月期の売上は7兆7986億5000万円になった。だが、みかん箱の言葉からそこへは、まっすぐな線を引けない。ソフトを卸す会社が雑誌を作り、通信会社を買い、投資先の値上がりで利益を膨らませる。別の年には3か月で3兆円を超える赤字を出す。同じ経営者が、その両側にいた。[2][3]

その間には、20代で余命を告げられた病床がある。まだ存在しない電話を求めてジョブズへ会いに行った日がある。信じた起業家の欠点に目をつぶったと、投資家の前で認めた決算説明会がある。[4][5][6]

大きな金を動かす前から、孫は人へ会いに行く男だった。最初にその周囲にいたのは、世界の投資家ではない。鳥栖の家族だった。

02祖母に顔を向けられなかった

リヤカーの荷物のそばで

鳥栖の少年から、福岡での創業へ。全体図と、海・湖・主な河川・市街地を示す拡大図
鳥栖の少年から、福岡での創業へ。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。

1957年8月11日、孫正義は九州北部・佐賀県の交通の要衝、鳥栖市に生まれた。在日韓国人の家族だった。[7]

幼いころの暮らしをたどると、祖母のリヤカーが出てくる。食堂で集めた残飯を持ち帰り、飼っている豚の餌にする。3〜4歳の正義は、そのリヤカーに乗った。家族は、集め、運び、育てる仕事で生活をつないでいた。孫は後に、大勢の人の前でこの光景を語っている。[8]

しかし成長すると、外で祖母と一緒にいるのが嫌になった。服装や言葉から、自分の出自を知られるのを恐れた。祖母を嫌いになったのではない。周囲の目を気にして、その祖母から顔をそむけたのだ。[8]

韓国へ向かった2人

渡米する前、正義は祖母と韓国を旅した。知られたくなかった家族の歴史へ、今度は自分から近づく旅だった。[8]

父の商売が大きくなるにつれ、一家の暮らしは変わった。正義が海外で学べた背景には、その変化がある。線路脇の貧しさから始まり、留学する息子を支えられる家へ。家族の中でも、仕事とお金の流れは動いていた。

03小学生が店の名前を決める

本当に採用する父

父の三憲は福岡でパチンコ店やレストランを経営した。新しいレストランを開くとなれば、小学生の正義にも相談する。店の名前をどうするか。何を食べてもらうか。

正義が答えると、父はその案を本当に採用した。若い日のインタビューで、孫はそう話している。子どもに一応尋ねるだけではない。自分が考えた名前やメニューが、家の外で客を迎えるものになった。[9]

成績が良い時には褒められた。悪い時も、やれば日本一になれると言われた。孫は大人になって、父の教育だったのだと気づいたという。子どものころは、その言葉をそのまま信じていた。[9]

会社はどこかの偉い大人だけが作るものではなかった。父は作っている。そして、その父が自分の意見を聞く。正義の暮らしの中には、商売を始める側の席があった。

父が倒れる

その父が病気で倒れた。吐血し、入院する。家族を支えていた人が、病床へ移った。兄は高校を辞め、働き始めた。[8][10]

正義には、米国へ行きたいという望みがあった。15歳で家庭教師に勧められた司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、生まれた土地の外へ出る坂本龍馬の生き方に引かれていた。短期の米国研修も経験した。そこから本格的な留学へ進みたい。だが、そのためには父のいる家を離れなければならない。[11]

兄が学校を去って家を支えている時に、自分は海を渡る。親族からも反対を受けた。10代の決断は、自分の将来を選ぶだけでは済まなかった。家族の中で自分が何を引き受け、何を置いていくかが問われた。[11][10]

1974年、16歳の正義は渡米した。日本の高校へ籍を残しての長い旅行ではなく、学校を辞め、新しい土地で学び直す選択だった。[11][12]

04高校生が社長へ電話をかける

藤田田に会うまで

海を渡る前、正義は日本マクドナルドを率いる藤田田に会おうとした。米国生まれのハンバーガーを、日本の街の商売へ変えている経営者だった。

事務所へ電話をかける。何度もかける。東京まで出向き、ついには面会した。相手にとっては、まだ何も成し遂げていない高校生だ。それでも孫は、自分の進む先について話を聞いてもらうところまでたどり着いた。[13]

のちの孫が、研究者を口説き、銀行や投資家へ大きな構想を持ち込む時と比べれば、使える資金も肩書もない。あるのは、会いたい相手へ連絡を取り続ける行動だった。

家を離れても家族の金で学ぶ

米国へ渡り、ベイエリアで学ぶ。全体図と、海・湖・主な河川・市街地を示す拡大図
米国へ渡り、ベイエリアで学ぶ。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。

米国での学業は、父の支援を受けて続いた。家の事業が息子の留学を支えた。[14]

セラモンテ高校を経て、1975年にHoly Names Collegeへ。1977年には、サンフランシスコ湾の東岸にあるUniversity of California, Berkeleyへ編入した。専攻は経済学。1980年に卒業する。[15][12]

湾の向こうと南には、コンピューターを巡る新しい会社や技術者がいた。アメリカ西部・カリフォルニア州の、世界のテクノロジー企業が集まるシリコンバレーだ。その近くで、正義は学生として暮らし、まだ広く使われていない技術へ近づいていく。

05チップの写真から商売を考える

19歳の衝撃

19歳の孫は、科学雑誌に載ったマイクロチップの写真に目を留めた。小さな部品の中へ、複雑な回路が押し込まれている。孫はその写真に涙が出るほどの衝撃を受けたと語る。[16]

1974年に登場したIntel 8080の実物。孫が学生だった時代のマイクロプロセッサ(撮影年不詳)。
1974年に登場したIntel 8080の実物。孫が学生だった時代のマイクロプロセッサ(撮影年不詳)。
写真:Christian Bassow © Christian Bassow / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons)/出典/CC BY-SA 4.0。表示用にサイズと圧縮を調整。内容の改変・合成なし。

それまでの商売では、店を増やすなら場所が要り、商品を増やすなら置き場が要った。コンピューターの中では、小さな部品が膨大な仕事を引き受ける。性能が上がり、安くなれば、人ができることも変わる。孫は自分の進む方向を、その変化に結び付けた。

だが、雑誌を読んで感動しても、企業が代金を払ってくれるわけではない。何に使い、誰が欲しがり、どの技術なら実現できるか。学業のかたわら、発明の案を考え始めた。[14]

自分で全部作らない

動いた案の1つが電子翻訳機だった。言葉を別の言語へ置き換え、音声を出す機械である。

孫は、音声の技術を持つ物理学者フォレスト・モーザーらに協力を求めた。技術者を集め、必要な技術を組み合わせ、製品にまとめようとする。1人の学生の手元だけでは足りないものを、人へ会いに行くことでそろえていった。[17][18]

買い手を求めて持ち込んだ先がSharpだった。そこで会った佐々木正は、半導体や電子機器の事業を育ててきた経営者だ。孫の提案を受け止め、契約へつながる窓口になった。研究者が持つ技術と、日本の大企業の資金。その間で、学生が商売を組み立てた。[19]

170万ドル(約2億円)の向こう側

孫は後年、この翻訳機の取引で170万ドル(約2億円)を得たと話している。学生が次の会社へ進むための資金としては、大きな金額だった。[17]

孫の評伝を書いたライオネル・バーバーがモーザーに取材すると、報酬への不満が出てきた。孫側は時給で働くという非公式の合意があったと説明し、モーザーもその合意自体は認めている。[17][18]

契約を取った孫には、次を始める大金ができた。技術を提供したモーザーには、取り分への不満が残った。若い起業家の最初の成功からすでに、仕事を集める人と、実際に技術を作る人の関係が見える。

学生時代には、日本の中古ゲーム機を米国へ運ぶ商売もした。調達には、父のパチンコ事業につながる資源も役立った。新技術を製品へまとめる一方、日本にある機械を別の市場へ持ち込む。どちらも試していた。[20]

06最初の1000万円を使い切る

帰国しても仕事を決められない

1980年に大学を卒業すると、孫は日本へ戻った。母との帰国の約束があった。米国で作った会社は売ったが、代金は後から入るため、そのまま好きなだけ現金を使える状態ではなかった。[1]

帰国後、約1年半を事業選びに使う。候補は約40。会社を始めることは決めていても、何を一生の仕事にするかは、すぐには決まらなかった。[1]

最後に選んだのが、パソコン用ソフトの流通だった。

メーカーごとに機種が違い、それぞれに使えるソフトがある。小さな開発会社が良い製品を作っても、全国の店へ営業して回るのは難しい。販売店には、客へ売るソフトが欲しい。その間へ入れば、パソコンが広がるほど仕事も増える。[21]

1981年9月、日本ソフトバンクを設立した。名前にバンクとあっても、扱うのは預金ではない。ソフトを集めて届ける会社だ。[21]

展示会で待っても売れない

資本金は1000万円。孫は大阪のエレクトロニクスショーへの出展に800万円を使い、扱うソフトを紹介するカタログ雑誌へ、さらに200万円以上をかけた。会社を知ってもらうため、創業直後に資本金を使い切る。[1]

大きな展示を作った。紹介するソフトのカタログもある。ところが、期待した客は来なかった。孫自身、後の講演でそう話している。

資本金の大半を使い、さらにカタログへ金を入れた後だ。展示を片づけたからといって、その支払いを取り消せない。

約1週間後、電話が来た。上新電機からだった。展示を見て、取引を持ちかけてきたのだ。会場でそのまま売上が積み上がる展開にはならなかったが、展示は売り場を持つ会社の目に届いていた。創業者が先に使った金は、この電話からようやく、店へソフトを届ける仕事につながり始めた。[1][22]

みかん箱の上で兆を語った社長が、最初に確保しなければならなかったのは、ソフトを置いてもらえる棚だった。

07六本木の交渉は夜まで続く

まだ小さな会社へ独占で渡す

上新電機の中嶋克彦は、若い孫が売り場へ通ってきたころを振り返っている。店にあるパソコンは、NECのPC-8001やApple IIなど限られた機種だった。PC-8001は日本で個人向けパソコンの市場を開いた初期の機種、Apple IIはAppleを成長させたパソコンだ。客が店でソフトを選ぶ時代に、孫はその売り場へ入り込もうとした。[22]

NEC PC-8001のキーボード(2024年、京都のKCG資料館)。孫が開発した翻訳機ではない。
NEC PC-8001のキーボード(2024年、京都のKCG資料館)。孫が開発した翻訳機ではない。
写真:Darklanlan/出典/CC0。表示用に幅1280pxへ縮小。追加トリミングなし。

売る場所ができれば、次は売る商品が要る。

1981年秋、孫は東京・港区の繁華街、六本木の近くにあるHudsonの事務所で工藤浩に会った。Hudsonはゲームやパソコン用ソフトを作る会社だった。孫が求めたのは、商品を少し回してもらう話ではない。ソフトバンクへ独占で供給してほしいという提案だった。[23]

相手には、それまでの取引先がいる。孫の会社には、長年の実績がない。それでも話は昼から夜8時まで続いた。工藤はその若い会社に賭け、商品を託すことになる。[23]

自分がソフトを作る会社でなくても、商品を集め、売り場へ届けられれば仕事になる。その道を開くためには、先に、商品を作ってきた人に商売の一部を預けてもらわなければならなかった。

1億円に自分の名前を添えた恩人

資金を借りる時にも、まだ孫1人の信用では足りなかった。

Sharpで出会った佐々木正が、1億円の融資のために個人保証を申し出た。銀行が評価しにくい若いソフト会社の後ろに、電子産業を歩いてきた経営者が立った。[23]

佐々木との関係は、翻訳機を売った時だけで終わらない。孫はその後も食事を重ね、相談に行った。最初の取引の窓口だった相手が、事業を続けるために頼れる恩人になった。[19]

孫がメーカーや銀行を動かした場面の外側には、その孫に自分の信用を差し出した人がいた。

08余命を告げられた20代

社長の席を空ける

ソフトの卸売りが動き出した翌1982年、会社は『Oh! PC』『Oh! MZ』を創刊した。パソコンの使い方やソフトを紹介する専門誌だ。売り場の棚に続き、買う人へ情報を届ける場所も作り始めた。[21]

その会社が伸び始めた時、孫の体が持たなくなった。重い肝臓の病気だった。医師から、あと5年ほどの命かもしれないと告げられた。20代の社長は、みかん箱で語った30年先の前に、自分があと数年を越えられるかという現実へぶつかった。[4]

入退院を繰り返し、会社へ通う時間が病院で過ごす時間に置き換わった。大森康彦へ社長を任せ、孫は会長へ退く。病気で仕事を止めても、会社の支払いも社員の生活も止まらない。創業して間もない組織で、経営を急に別の人へ渡す必要が生じた。[24]

今度は父が治療を探した

1983年の暮れ、父の三憲が新聞記事に目を留めた。肝臓の病気の新しい治療についての記事だった。虎の門病院の医師、熊田博光の名前が載っていた。父は息子へ連絡し、診察を受けるよう勧めた。孫はその勧めに従った。[25]

父が病床へ倒れた時、息子は米国へ行った。その息子が病気になると、父は新聞から医師を探した。留学の金を出すこととも、事業の相談をすることとも違う形で、息子の人生を支えた。

孫は病床で、家族や社員が笑顔で暮らすことを、仕事の意味として考えたと語っている。後に掲げる「情報革命で、人々を幸せに。」という言葉の背景には、この闘病があった。[4][26]

本を閉じて会社へ戻る

入院中、孫は本を読んだ。本人の連載では、その数を約4000冊と振り返っている。孫子の兵法も読み、自分なりに整理して、後に使う「孫の二乗の兵法」を考えた。営業へ出られず、社長の席にも座れない時間を、読書へ振り向けた。[27]

1984年に熊田の治療を受けた。本人の回想では、治療後、ウイルスの数値が大きく下がったという。[27]

1986年5月、仕事の第1線へ戻った。だが、病気を越えて会社へ戻れば、すべて元通りになるわけでもなかった。本人は、復帰した先に10億円の負債と役員との葛藤が待っていたと書いている。体の次には、会社を立て直す仕事が残っていた。[27][24]

ソフトを届け、雑誌を作る会社は残っている。今度は、その中へ自分が戻る。30年後を語った20代の社長が、まず越えなければならなかった数年間だった。

09米国の情報の入口を買う

雑誌から展示会へ

1994年、ソフトバンクは株式を店頭公開した。銀行や恩人の信用に加え、市場からも資金を集められる会社になった。[21]

孫がその先に買ったのは、米国のコンピューター業界で人が集まる場所だった。巨大展示会COMDEX。コンピューター雑誌を持つZiff Davis。新製品を作る人、売る人、買いたい人が、情報を求めて集まっていた。[21]

創業時に800万円を払って自社を知ってもらおうとした青年が、今度は、世界の会社が出展する場を持つ側へ回る。自分の製品だけを目立たせるためではない。次にどこへ人と資金が集まるかを、業界のすぐそばで見られる位置だった。

しかし、孫が大金を払って紙と会場を買っている時、その外側では、人が情報を探す方法が変わり始めていた。会社の説明を読むために雑誌の発売を待たなくてもいい。展示会まで出向かなくても、画面から世界へ行ける。その画面の入口にいたのが、Yahooだった。[21]

冷たいピザと1億500万ドル(約165億円)

Yahooを始めたのはジェリー・ヤンとデビッド・ファイロ。増え続けるウェブページを案内するサービスだった。

1995年、ソフトバンクなどは米Yahooへ出資した。[28]

1996年1月、日本法人設立の合意を発表する。資本金2億円。ソフトバンクが60%、米Yahooが40%を出す計画だった。[28]

同年3月、孫はYahooの新しいオフィスで、ヤンと冷たいピザを食べながら話していた。そこで33%の株に1億500万ドル(約165億円)を出すと提案した。ヤンが後年の取材で振り返った場面だ。若いチームの前に、まだ小さな会社の規模とは釣り合わないような金額が置かれた。[13]

コンピューターの展示会と雑誌を買った男が、今度は、その会社の画面へ資金を入れる。情報が動く先が変わるなら、そちらも持つ。日本のYahooは検索からニュース、買い物へと広がり、人が毎日開く場所になっていった。[29]

102000万ドル(約31億円)の出資と100分の1の株価

中国で始まった関係

中国には、企業同士をネットで結び付けようとする別の起業家がいた。馬雲、ジャック・マーだ。彼が育てていたAlibabaは、中国の売り手と世界の買い手が商売をする場所を作ろうとしていた。

2000年、ソフトバンク主導の投資家グループは、合計2000万ドル(約31億円)を出資した。孫は、すでに完成した巨大企業の利益を買ったのではない。顧客を増やし、市場を作っていく経営者へ金を渡した。[30]

関係は、初回の送金だけで終わらなかった。2003年には、消費者向けの売買サービスTaobaoへつながる事業にも資金が入る。追加投資や転換社債、組織の再編を重ねた。小さな出資が勝手に巨大な株へ育ったというより、会社が成長する途中にも、資金と関係を積み上げた投資だった。[30]

だが、その成果が誰の目にも分かる大きさになるまで、ソフトバンク自身が生き残る必要があった。

未来を信じても株価は戻らない

インターネット株の熱狂が崩れた。ソフトバンクの株価も下がり、孫は後に、株式価値が高値から約100分の1になったと語っている。[31]

Yahooを開く人が、株価に合わせて100分の1になったわけではない。ネットは使われ続ける。それでも市場は、未来の期待へ昨日と同じ値段を払わなくなった。保有株の値上がりで膨らんだ資産は、逆向きにも激しく動いた。

孫が次に入ったのは、日本の家庭へネットを届ける回線だった。画面の中へ投資するだけでなく、その画面へ速くつなぐ仕事を自分たちで始める。株式市場から疑われている会社が、今度は各家庭の客を集めに行った。[32]

11街角でモデムを配る

月2280円でつなぐ

2001年、ソフトバンクとヤフーはYahoo! BBを発表した。最大8MbpsのADSL接続を月2280円から提供する。電話回線の利用料やモデム関連費用などは別に必要だったが、当時の料金競争を揺さぶる価格だった。[33]

ADSLは、家まで来ている電話回線を使って、高速でネットにつなぐ方式だ。動画も画像も今ほど滑らかに流れなかった時代に、速く、接続時間を気にせず使える回線を広げる。Yahooを開いてもらうまでの壁を、回線の側から下げた。

9月1日に商用サービスを開始した。街角ではモデムを配る。パソコン専門店へ自分から来る客を待つだけでなく、通りを歩く人の手元へ機器を渡し、契約を集めた。[34][32]

機器を渡せば、その後には開通作業がある。家でつながらなければ問い合わせが来る。ソフトを卸す会社が相手にしていたのは、開発会社と店だった。今は、毎日ネットを使いたい家庭が、そのまま客になった。[34]

顧客451万7039件を守れなかった

2004年2月、その顧客の情報が外へ出た。

警察の資料と照合して確認した流出情報は451万7039件。氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどが含まれていた。クレジットカード番号やパスワードは当初確認したデータに含まれなかったが、契約のため預けた個人情報が流出した事実は変わらない。[35]

孫は6か月間、報酬を50%減らす処分を受けた。会社は会員などへ500円相当の金券を配る方針を示した。だが、そこで事件の説明は終わらなかった。6月には、一部の通話発信記録の流出も公表した。音声ではなく、いつ、どこへ電話をかけたかといった記録だった。[35][36]

2006年の一審判決では、BBテクノロジーへ、原告1人当たり6000円を払うよう命じられた。500円の金券を配った会社の対応とは別に、裁判で情報管理の責任が問われた。[37]

安く速いという宣伝で集まった何百万人もの客は、守るべき情報を会社へ渡していた。市場を広げる勢いの裏で、その情報を預かる仕組みが破れた事件だった。

12まだない電話に会社を用意する

ジョブズへ持っていった絵

2005年ごろ、孫はスティーブ・ジョブズに会い、電話もできるiPodの絵を見せた。iPodは音楽を持ち歩くAppleの人気製品だった。電話とネットが加われば、ポケットの中の機械の使い方は変わる。孫は、その製品を日本で扱う権利が欲しかった。後年の本人取材に出てくる場面だ。[5]

Appleは、まだ製品を発表していなかった。孫は正式な名前も知らない。価格も数量も決まっていない。それでも、日本向けに売る話を求めた。ジョブズとの間にできたのは、細かな条件のある契約書ではなく、孫が通信会社を持つことを前提にした口約束だった。[5]

製品が売れるか以前に、孫には、それを携帯電話として客へ届ける会社が要る。

翌2006年、Vodafoneの日本事業を買う契約へ進んだ。Vodafoneは英国を本拠とする通信グループで、日本にも顧客と携帯電話網を持っていた。[38]

孫は柳井正から背中を押された経験も語っている。UNIQLOを育てた経営者と相談する一方、社内で一緒に資金と経営を担ったのが笠井和彦だった。笠井は元銀行家で、ソフトバンクへ来てから、ネット事業の赤字も見てきた人物だ。[4][39]

看板を替えた先に何を置くか

2006年4月、買収を進めた。Vodafoneには1500万人を超える契約者がいて、すでに全国の店と通信設備がある。買収発表で示した株式価値は1兆7500億円だったが、ソフトバンクがその全額を自分の現金で払う計画ではなかった。[40][38]

東京汐留ビルディングのソフトバンク(2006年)。
東京汐留ビルディングのソフトバンク(2006年)。
写真:っ っ/出典/CC BY-SA 3.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

発表時の資金計画では、ソフトバンクの普通株への出資は2000億円、Yahoo! JAPANは優先株へ1200億円。買う事業の収益を見込む借入金を1兆1000億〜1兆2000億円とし、売り手のVodafone側からも優先株や融資などで4000億円を調達する構造だった。売って去る相手にまで、取引を支える資金を入れてもらう。孫は会社を買うと決めただけでなく、違う立場の金を同じ契約へ集めた。[38]

秋には携帯ブランドがSoftBankへ変わった。次に待つのは、携帯電話を替える客へ、何を約束するかだった。ジョブズが準備している端末は、まだ店に置けない。まずは、受け継いだ機種と回線で、毎月の契約を選んでもらわなければならなかった。[41]

池袋のボーダフォンショップ(2006年9月)。買収後、ソフトバンクへのブランド変更前の写真。
池袋のボーダフォンショップ(2006年9月)。買収後、ソフトバンクへのブランド変更前の写真。
写真:No machine-readable author provided. Kici assumed (based on copyright claims)./出典/Public domain。配布元の幅330px版を取得。追加トリミングなし。

2007年1月、孫は月額基本料980円の「ホワイトプラン」を発表した。1時から21時まではSoftBankの携帯同士の国内通話が無料。それ以外の時間や他社向けは30秒21円だった。いくら安いのかを細かい割引の組み合わせで説明する代わりに、まず980円という数字を前へ出した。[42]

相手が同じ携帯会社か、電話する時刻はいつかで、請求額は変わる。客が家族や友人と話す生活の中へ、SoftBankを一緒に選ぶ理由を置いた料金だった。1月16日から新プランの販売が始まる。買った会社を、新しい名と新しい値段で日本の客へ提示した。[42]

そして2008年7月11日、料金だけでは呼べなかった客も振り向く商品が、表参道の店に並ぶ。

13表参道の朝7時

1500人が待っていた

AppleとSoftBankが日本で売り出したのは、iPhone 3Gだった。指で触る画面でウェブを見て、音楽を聴き、電話をかける。日本ではそれまで買えなかったiPhoneを求め、東京のSoftBank表参道に1500人以上が並んだ。[43][44]

iPhone 3G発売日の孫正義(2008年7月11日)。
iPhone 3G発売日の孫正義(2008年7月11日)。
写真:Masaru Kamikura from Japan/出典/CC BY 2.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

孫も店頭にいた。朝7時へ向けてカウントダウンが進み、販売が始まると白いスモークが上がり、歓声が起こった。絵を持ってジョブズへ会いに行った話が、誰でも買える商品の売り場へつながった瞬間だった。[44]

かつて孫は、ソフトを店へ並べてもらおうと通っていた。今は、自分たちの携帯会社を選ぶ理由になる端末がある。携帯電話網を持つだけでなく、その網につないで使いたい製品を手にした。

その年、もう1つの大きな波が、会社へ押し寄せた。世界的な金融危機だった。

上場をやめようかと相談する

借り入れを使って買収した会社にとって、市場の不安は、自社株の値下がりだけでは済まない。返済へ回す金と、事業を動かす金を、切らさず用意する必要がある。

孫は後に、金融危機の少し後、非公開化を笠井へ相談したと語った。株価に振り回され、投資家や市場へ説明を重ねるより、自分で会社を背負おうか。そこでは、拡大を何度も支えた笠井が、強く反対した。構想は実行されなかった。[39]

孫の周りにいたのは、賛成して金を集める人だけではない。進もうとする社長を止める人もいた。2000年に入社した笠井は、ネットバブル崩壊から通信事業まで孫を支え、2013年に亡くなった。孫はその別れに際しても、自分が支えられた年月を語っている。[39]

14信じた相手と決済の所有権を争う

Alibabaの外へ出たAlipay

2011年、長く持ってきたAlibabaへの投資も、静かに成長を待つだけでは済まなくなった。買い物代金をネットでやり取りする決済サービスAlipayが、ジャック・マーらの持つ中国企業へ移されていた。買い手が支払い、売り手が代金を受け取る。その重要な仕事が、投資していた会社の外へ出る。[45]

5月、米Yahooは、自分たちとソフトバンクが3月31日に取引を知らされたと発表した。所有権移転と連結からの除外は、Alibabaの取締役会や株主の認識、承認なしに行われたという主張だった。信頼して株を持っていた側から、自分たちの承認はどこへ行ったのかと、表立って疑問が出た。[46]

一方、マーは、取締役と株主は移転を把握していたと反論した。Alibaba側は、中国で決済事業の免許を得て、サービスを止めずに続けるための措置だったと説明する。誰がいつ何を知っていたかについて、両側の言い分は重ならなかった。[47]

孫が出資した2000年の小さな会社は、世界の企業が株を持つ大きな事業へ変わっていた。だが、中国の規制へ応じる判断と、外国の株主が持つ承認権がぶつかる。創業者に任せたからといって、その創業者の選ぶすべての形を、株主がそのまま受け入れるわけにはいかなかった。

株の代わりに利益を受け取る

7月29日、Alibaba、Yahoo、ソフトバンクは合意を発表した。AlipayはTaobaoへ決済を提供し続け、Alibabaは技術や知的財産を提供する。その対価は、当初Alipay側の連結税引き前利益の49.9%相当とした。さらに将来の上場や売却の際には、企業価値の37.5%を基に、最低20億ドル(約3152億円)、最高60億ドル(約9456億円)を受け取る条件を設けた。この先の事業から価値を受け取るための、2011年の契約条件だった。[45]

孫は発表で、合意に至れたのはトップ同士の長い信頼関係があったからだと述べた。関係を断ち切るのではなく、移った事業が生む価値を、元の投資先へ戻す契約を結ぶ。ネットの未来を見込んで渡した金は、国をまたぐ所有と利益の交渉まで、孫を連れてきていた。[45]

15自分が渡った海を高校生にも

個人の100億円

2011年、東日本大震災が起きた。孫は個人として100億円を寄付した。日本赤十字社、被災地の自治体、支援団体などへ分けて拠出した。企業の買収代金とは別に、自分の資金を被災地へ向けた。[48]

翌2012年には、東北の高校生300人が米国へ渡るTOMODACHIの留学支援プログラムにも関わった。行き先は、自分が学んだバークレーだった。[15][10]

16歳の時、病気の父がいる家から出て、家族の支援で米国へ渡った。今は、若い人が知らない世界を見に行くため、費用を出せる側にいる。

会社の株価だけを見れば、その100億円は孫の資産から出た金になる。留学へ出た高校生にとっては、初めて海を渡る機会だった。孫の金の使い道には、企業を持つことの外側にも、こうした仕事が加わった。

16米国の通信会社へ216億ドル(約3兆4041億円)

日本の次に選んだ市場

2013年7月、ソフトバンクはSprintへの投資を完了した。216億ドル(約3兆4041億円)を投じ、新しいSprintの約78%を持った。米国の携帯電話事業へ、支配権を持つ側として入った。[49]

米国カンザス州オーバーランドパークのSprint本社キャンパス(2009年)。ソフトバンクによる買収前の写真。
米国カンザス州オーバーランドパークのSprint本社キャンパス(2009年)。ソフトバンクによる買収前の写真。
写真:Americasroof/出典/CC BY-SA 3.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

Vodafoneの日本事業を買った時には、iPhoneを迎え、料金や端末で客を呼ぶ道があった。米国では、競合の強さも国土の広さも違う。ネットワークを更新する資金を入れ続けながら、すでに大きな顧客基盤を持つ相手と競うことになった。

14年前に置いた金が姿を現す

一方で、別の投資先からは、まったく違う結果が現れた。

中国・杭州のアリババ西渓園区(2014年)。孫と馬雲が初めて会った場所ではない。
中国・杭州のアリババ西渓園区(2014年)。孫と馬雲が初めて会った場所ではない。
写真:Danielinblue/出典/CC BY-SA 4.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

2014年9月19日、Alibabaがニューヨーク証券取引所へ上場した。中国の小さな会社へ投資した2000年から約14年。その間に、企業間の取引から消費者の買い物まで、事業は大きくなっていた。[50]

上場に伴う新株発行や優先株の転換などを受け、ソフトバンクは5631億円の持分変動利益を計上した。株を売ってその全額が現金で入った利益ではない。長く持ち、追加で資金を入れてきた関係が、連結決算に巨大な数字として表れた。[50]

Sprintを自分たちの子会社として動かす仕事と、Alibabaを育てる経営者へ任せ、株主として成長を持つ仕事。孫は両方を進めていた。うまくいった投資が大きいほど、次に選べる買収や出資も大きくなる。

17ロボットを店に立たせる

Pepperの胸にある画面

2014年6月、SoftBank MobileとフランスのAldebaranは、人型ロボットPepperを発表した。胸に画面があり、客の前で身ぶりを交えて会話する。発表翌日から、一部のSoftBankの店で来店客と接した。[51]

2014年に登場したPepper。写真は同年8月、日本で撮影。
2014年に登場したPepper。写真は同年8月、日本で撮影。
写真:nesnad/出典/CC BY 3.0。表示用にサイズと圧縮を調整。内容の改変・合成なし。

人の声や表情を手掛かりに反応する機能を、会社は感情認識と呼んだ。研究所の中で技術を示すだけでなく、店へ入ってきた人の前に機械を立たせる。孫は、計算する力に体を与え、人が触れる場所へ出した。

売るソフト、読む雑誌、開くウェブサイト、使う回線。その先に、目の前で人へ応じる機械を置いた。孫の事業は次へ進むが、自分の後を誰へ渡すかという話も、同時に動いていた。

後継候補を招く

2014年、Googleで事業を率いてきたニケシュ・アローラが加わった。翌年には代表取締役となり、孫の後継候補とされた。世界のテクノロジー企業を経験した経営者が、自分の次に座る位置へ来た。[52]

だが、孫は経営を続けたくなった。2016年6月、アローラの退任を発表する。会社は、孫が当面続投する意向を持つ一方、アローラは数年内の継承を望み、時期が折り合わなかったと説明した。[52]

18240億ポンド(約5兆640億円)で半導体の奥へ入る

製品の裏で働く会社

2016年9月5日、Armの買収を完了した。代金は約240億ポンド(約5兆640億円)。英国の半導体設計会社の全株を現金で取得し、翌日にはロンドン市場の上場を廃止した。[53]

英国ケンブリッジのArm本社(2007年)。2016年の買収当時の写真ではない。
英国ケンブリッジのArm本社(2007年)。2016年の買収当時の写真ではない。
写真:Keith Edkins Keith Edkins/出典/CC BY-SA 2.0。サイズ変更・追加トリミングなし。

Armは、自分で半導体を大量生産して店へ売る会社ではない。多くのメーカーが利用する設計技術を作る。スマートフォンやサーバーの中で計算するチップに、その技術が入る。Appleや通信会社の名前は知っていても、利用者が気づかないところでArmの仕事が使われていた。[54]

孫が持つ会社は、携帯電話を使う契約を売っている。買ったArmは、その電話の内部で計算する技術を支えている。さらに機械がネットにつながれば、必要になるチップも増える。孫は、完成品を届ける側から、その内部の設計へ資金を向けた。

全部を1社で作らない

ソフトの卸売り会社だけを見ていれば、世界のチップ設計会社は遠い。だが孫は、情報の技術が変わるたび、その中心にある会社を買い、あるいは一部の株を持った。

彼が群戦略と呼んだのは、違う会社と違う経営者を束ねる構想だった。全ての製品を同じ名前で売るのではなく、それぞれが自分の事業を育てる。完全子会社も、少数の持分だけを保有する会社も、その中に置く。[55]

次には、その群へ資金を届ける器そのものを巨大にした。自社の資金だけで買うより、はるかに多くの金を動かすためだった。

19930億ドル(約14兆6568億円)の約束を集める

未来に賭ける金を集める

2017年5月、SoftBank Vision Fundは最初の募集で、930億ドル(約14兆6568億円)を超える出資の約束を集めた。サウジアラビアの政府系ファンドPIF、アブダビのMubadala、Appleなどが参加した。ソフトバンクグループ自身も、現物出資を含め最大280億ドル(約4兆4128億円)を拠出する計画だった。[56]

自分の会社が稼いだ金だけでなく、外部の出資者から預かる金も投資する。まだ上場していない企業へ、採用や海外展開を一気に進められる資金を渡せる仕組みになった。

若いころ、孫は佐々木正に保証をしてもらい、メーカーに商品を託してもらった。今度は、起業家が孫の前で事業の構想を語る。孫がその相手を信じれば、大きな資金が会社へ入る。その規模で、どの夢を信じ、どの問題を見逃さないかが問われた。

その判断が大きくつまずいた先の1つが、WeWorkだった。

20大きな夢の悪い部分を見なかった

机を貸す会社に見た未来

WeWorkは、ビルを長期間借り、内装を整え、席や部屋を短い単位で利用者へ提供する会社だった。共用スペースと人が交流する雰囲気を作り、普通の賃貸オフィスとは違う使い方を売りにした。[57]

米国サンフランシスコのWeWork内(2015年)。ソフトバンク出資前の写真。
米国サンフランシスコのWeWork内(2015年)。ソフトバンク出資前の写真。
写真:Eugene Kim from San Francisco, USA/出典/CC BY 2.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

創業者アダム・ニューマンは働く場所を変える構想を語り、ソフトバンクはその拡大へ資金を入れた。[57]

WeWork創業者アダム・ニューマン。拡大期の2015年5月、ニューヨークで登壇。
WeWork創業者アダム・ニューマン。拡大期の2015年5月、ニューヨークで登壇。
写真:Noam Galai / Getty Images for TechCrunch TechCrunch / Noam Galai (CC BY 2.0)/出典/CC BY 2.0。表示用にサイズと圧縮を調整。内容の改変・合成なし。

拠点を増やすごとに、先に契約する家賃が積み上がる。2019年6月末、署名済み契約から今後支払う最低賃料の総額は、割引前で472億ドル(約7兆4387億円)。アメリカの賃貸契約の初期期間は平均約15年だった。会員が短い期間で出ていっても、借りる側の長い支払いは残る。[57]

上場申請の書類では、事業の伸びだけでなく、創業者と会社のお金の関係も見えるようになった。2019年7月には、ニューマンの関わるWE Holdingsが持っていた「we」関連商標の権利を会社へ移し、現金の代わりに約590万ドル(約9億円)相当の持分を受け取っていた。会社が使う名前の権利のために、創業者側へ対価を渡す。株を買おうとする人は、ニューマンの大きな構想と同時に、この取引も読むことになる。[57]

その後、ニューマンの指示で持分の発行は取り消され、会社へ返された。「we」の商標の権利は会社に残った。9月の修正書類には、その巻き戻しも加わった。創業者への支払いを取り消しても、投資家の前に出た経営への疑問まで、なかったことにはできない。[58]

2019年9月末、上場計画は撤回された。借り手を増やし、拠点を広げ、その成長を市場へ示して次の資金を集めるはずの道が、公開の直前で止まった。孫のグループは、すでに深く入っている会社を、そこからどう支えるか迫られた。[59]

決算会見で問われたAI

11月の決算説明会。質問者は、WeWorkのどこがAIの会社なのかと尋ねた。

孫は、まず赤字を減らす基礎の立て直しが必要で、その後にAIなどを応用するのだと答えた。将来何ができるかを語る前に、現在の支払いを減らさなければならなくなっていた。[6]

ニューマンについては、良い面を高く評価する一方、悪い面に目をつぶってしまったと認めた。議決権が強化されていくことなど、経営を監督する仕組みの問題を十分に止められなかった。創業者の勢いを信じる判断が、その人を抑える力を弱くした。[6]

資金を出した後で問題が見つかると、さらに資金を入れて会社を支える必要も生まれる。上場で投資を回収する話は、赤字を減らして生き残らせる話へ変わった。孫は再建に自信を示したが、これでWeWorkの苦境が終わったわけではなかった。

助ける金でも払い方が割れる

支援の枠組みは、決算会見の前から動いていた。2019年10月には、すでに約束していた15億ドル(約2364億円)の出資を前倒しで実行する。さらに債券の引き受けや、金融機関の支払保証枠を支える方法も用意した。新しい事業へ入るための資金ではなく、すでに入った会社を残すための資金だった。[60]

ところが、他の株主から最大30億ドル(約4728億円)で株を買う計画は、2020年4月に取りやめた。ソフトバンク側は、競争法の承認やアジアの合弁事業の整理など、必要な条件が満たされなかったと説明した。会社自身を支える資金と、既存の株主へ株の代金を払う取引を、切り分けたのである。[60]

この取りやめも、そのまま終わらなかった。訴訟の解決へ進み、2021年にはニューマン側の持株会社や他の一部株主から、総額15億ドル(約2364億円)で株を買い取った。勢いのある創業者へ金を渡す段階から、誰へ、どの条件で払うかを争い、合意する段階へ変わっていた。[61]

21買った会社の出口が変わる

SprintをT-Mobileへつなぐ

2020年4月、SprintとT-Mobileの合併が完了した。Sprintはソフトバンクグループの子会社ではなくなり、グループは合併後のT-Mobile株を持つ側へ回った。持分は約24%となる見込みだった。[62]

216億ドル(約3兆4041億円)を投じて入った米国市場で、単独の子会社を強くして競合へ勝つ道から、競合と一緒になった会社の株を持つ道へ変えた。保有する株は残るが、Sprintという子会社を直接動かす仕事は終わる。

同じ年、Armでも出口を変える計画が動いた。売却先はNVIDIA。AIの計算で力を増していた半導体企業だった。[63]

売りたい両社の前にある壁

Armの設計技術は、さまざまなメーカーが使う。そのArmを、顧客や競合ともなる半導体会社1社が持つと、他社が使う条件まで変わるのではないか。競争当局が強く懸念した。英国のCompetition and Markets Authorityも詳細な審査へ進んだ。[64]

買い手と売り手が決めても、取引は終えられなかった。2022年2月、NVIDIAとソフトバンクグループは契約解除を発表する。規制上の課題を解消できず、当事者が取引を断念した。[63][64]

契約に従い、NVIDIAが前払いしていた12億5000万ドル(約1970億円)はソフトバンクグループ側へ残り、NVIDIAには20年のArmライセンスが残った。両社が一体になる話は消えたが、半導体の技術を使う関係までは切れなかった。[63]

Arm自体は手元へ残った。孫は、それを市場へ戻す方へ切り替えた。2016年に全株を買って閉じた上場の扉を、今度は米国で開く準備に入る。

だが、その準備を進める間にも、別の投資先の価値は激しく下がっていた。

223か月で3兆円の赤字

しかめた肖像を映す

2022年4〜6月期、ソフトバンクグループの最終赤字は約3兆2000億円になった。1年ではない。3か月の損失だった。投資先の株価下落や、円安による為替差損などが響いた。[3][65]

決算説明会で孫が映したのは、徳川家康の「しかみ像」として知られる肖像だった。苦い顔をした絵を、自分の反省に重ねた。[65]

前年に大きな利益が出た時、有頂天になっていた。思い入れで投資を続けた案件があった。孫は市場の値下がりを説明するだけでなく、自分の判断をそう振り返った。[3]

早くから信じたAlibabaは巨大企業へ育った。早くから信じた他の会社が、同じ道をたどるとは限らない。今回は、その違いが、巨額の赤字として出ていた。

新たに買うより手元を守る

この会見で会社が示したのは、新規投資をさらに抑える方針だった。すでに投資している473社の価値を高める方へ力を使う。大きな金を出して成長を速める男が、新しく金を出す先を絞り、運営費用も減らす側へ回った。[65]

社債の返済に使う2年分の資金を手元に残すという財務方針も堅持した。株を持っていても、予定した日に借金を返せなければ困る。次の成長を語るより前に、返せる現金を確保する必要があった。[65]

一方、同じ日に、自社株を最大4000億円買う枠の設定も発表した。保有資産に比べて、自社の株が安く評価されていると会社は説明した。新しい投資先へ出す金は絞りながら、自分たちの会社の株には金を振り向ける。反省を示して会見を閉じるだけでなく、残る資金を何へ使うかも決めていた。[65]

Armの株に値段が付く

2023年9月、Armの米国での公開価格は1ADS当たり51ドル(約8,037円)に決まった。ADSは米国市場で売買される株式の証券だ。売り出した9550万ADSの売主は、ソフトバンクグループの100%子会社だった。[66]

NVIDIAへ全体を売る話は消えた。今度は、持分の大半を残したまま、市場へ一部を売る。Armは再び上場企業となり、ソフトバンクグループは大株主としてその価値を持ち続けた。[66]

19歳でチップの写真を見た男が、その設計技術を持つ会社の株を市場へ出した。しかも、最初に用意した出口が閉じた後の到達だった。

その2か月後、WeWorkからは別の知らせが届く。

23助けても破産手続きへ進む

投資先が裁判所へ入る

2023年11月、WeWorkと一部子会社は、米連邦破産法11条に基づく再建手続きを申請した。営業を続けながら、借金と賃貸契約を見直す段階へ入った。[67]

2019年に上場へ進もうとしていた会社は、裁判所の管理の下で存続を図る会社になった。孫が決算説明会で反省を述べ、再建策を示してからも、4年が過ぎていた。

資金を出せば、一時の支払いはできる。だが、空間を借りる長い契約と、そこへ来る客から入る短い収入の関係は、資金だけで消えない。WeWorkは、その契約そのものを組み直すところまで来た。

孫が信じた創業者たちの中には、世界的な会社を作った人も、監督が足りなかったと孫自身に認めさせた人もいる。同じように大胆に出資した結果が、Armの公開とWeWorkの再建申請という、まったく違う出来事になって続いた。

24AIに賭けるためNVIDIAを売る

計算する場所まで作る

孫が次に資金を集中させたのはAIだった。

2025年、ソフトバンクグループはOpenAIなどとStargateを発表する。OpenAIはChatGPTを提供する企業、Stargateは米国で大規模なAI基盤への投資を目指すプロジェクトだ。画面の向こうでAIを動かすための半導体、データセンター、電力。その土台へ進む構想だった。[68]

新しいサービスへ出資するだけでなく、それを動かす場所も作ろうとする。だが、その構想を引き受けると、次には払込日と現金が必要になる。

2025年10月、グループは保有するNVIDIA株3210万株をすべて売った。資産運用子会社の分も含め、売却額は58億3000万ドル(約9188億円)。AIの成長で大きく注目されている企業の株を手放し、次に投じる資金を作った。[2]

孫のグループは、AI半導体企業の株を現金へ変え、別の場所へ資金を置こうとしていた。Arm株を担保に借り入れるなど、保有資産を使った資金調達も進めた。[2][69]

持っている株が高く評価されることと、来月の支払いに使える金があることは違う。巨額の出資を発表する裏では、保有株を売り、借り、期限までに送金する仕事が動いた。

100億ドル(約1兆5760億円)ずつ払い込む

2026年2月、OpenAIへ追加で300億ドル(約4兆7280億円)を出資する契約を発表した。4月、7月、10月に100億ドル(約1兆5760億円)ずつ払う計画だった。[70]

東京ポートシティ竹芝(2023年)。ソフトバンクグループなどの本社が入る。
東京ポートシティ竹芝(2023年)。ソフトバンクグループなどの本社が入る。
写真:Akonnchiroll/出典/CC BY-SA 4.0。表示用に最大辺1400pxまで縮小。追加トリミングなし。

10月1日、最後の100億ドル(約1兆5760億円)を払い込んだ。これでソフトバンクグループの累計出資額は646億ドル(約10兆1809億円)、持分は約13%になった。さらに会社は、社債で調達した資金を充て、つなぎの借入枠の残りを解約し、利用分を完済したと説明した。[71]

発表した金額を、実際の払い込みに変える。そのために動かした資金には、売ったNVIDIA株も、株を使った借り入れも、社債もある。小さな会社へ1人で会いに行った孫の仕事は、世界の企業と金融機関が関わる支払いへ膨らんでいた。

25みかん箱を降りても未来を話す

利益5兆円の先へ

2026年3月期、ソフトバンクグループの親会社株主に帰属する利益は5兆22億7100万円になった。投資利益が大きく反映された決算だった。3か月で3兆円を超える赤字を報告した会社が、今度は1年で5兆円の利益を示した。[2]

ただし、この利益を全額、自由に使える現金が入った数字として見ることはできない。保有する投資の評価も損益へ入る。孫はその資産を使い、次の投資に必要な現金を作り続けていた。

本人が掲げる次の構想はASI、人間の能力を大きく超える人工知能だ。半導体、データセンター、サービス、ロボットをつなぎ、その実現を目指す。2026年のメッセージでも、その方向へ事業を集中させる考えを示している。完成済みの技術を買う話ではなく、これから実現したい世界へ資金を置く構想だった。[72]

目の前の相手を動かす

父は、小学生の息子に店の名前を聞き、本当に使った。孫はやがて研究者へ翻訳機を持ちかけ、Sharpへ売り込み、工藤へ独占供給を求めた。病気になると、今度は父が新聞から医師を探した。資金も技術も、自分の中だけから出たわけではなかった。

その後の孫は、ジョブズにまだない電話を求め、世界の出資者へ巨大なファンドを持ちかけた。相手が信じれば、現場が動き、金が動いた。だが、自分が相手を信じすぎれば、欠点を見過ごす。その反省も、自分の言葉で投資家へ伝えることになった。

みかん箱の前で聞いていた2人は辞めた。今、その話を聞く相手は、世界の起業家や金融機関へ変わった。使える資金は巨大になった。それでも、発表した未来を、契約へ、払い込みへ、誰かが使う事業へ変えなければならない。

2026年10月、646億ドル(約10兆1809億円)はOpenAIへ渡った。その先の成果を、孫はまだ待つだけの側へ回っていない。さらに計算する場所を作り、その計算で動く世界へ、自分の会社を進ませている。

参考文献・出典 72件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. Logmi/Revent:無人島で宝探し、必要なのは地図とコンパスだ ↩ 本文
  2. SoftBank Group Report 2026:Financial Section ↩ 本文
  3. ケータイWatch/松本和大:3兆円赤字のソフトバンクG、孫会長は決算説明会で何を語った? ↩ 本文
  4. SoftBank Group:ソフトバンク新卒LIVE2015 ↩ 本文
  5. WIRED/Lionel Barber:Softbank’s CEO Bet Billions on the iPhone—3 Years Before It Existed ↩ 本文
  6. ソフトバンクグループ公式:2020年3月期 第2四半期 決算発表 質疑応答 ↩ 本文
  7. ソフトバンクグループ公式:孫正義 略歴(2026年6月24日) ↩ 本文
  8. Logmi/Revent:生い立ちと韓国籍の祖母について語ったスピーチ ↩ 本文
  9. 致知出版社:若き日の孫正義が語った自らの原点 ↩ 本文
  10. TOMODACHI Initiative/米日カウンシル:Masayoshi Son — Remarks on the Launch of the TOMODACHI Softbank Leadership Program ↩ 本文
  11. Logmi/Revent:16歳、龍馬の脱藩のような志で渡米した ↩ 本文
  12. ソフトバンク年次報告書2013:孫正義の歩み ↩ 本文
  13. Forbes/Neil Weinberg:Master of the Internet ↩ 本文
  14. リクルートワークス研究所:近現代日本の「社会リーダー」たち 第IV期 稲盛和夫と孫正義 ↩ 本文
  15. UC Berkeley:UC Berkeley faculty, staff invited to host Japanese students ↩ 本文
  16. SoftBank Group:孫 正義 LIVE 2010 ↩ 本文
  17. WBUR On Point:The most powerful tech mogul you have never heard of ↩ 本文
  18. TIME:Masayoshi Son Is Betting Everything on American AI ↩ 本文
  19. SoftBankニュース:2018年3月期第3四半期決算説明会 後編・佐々木正への追悼 ↩ 本文
  20. San Francisco Examiner/Chronicle:Rising Son ↩ 本文
  21. ソフトバンクグループ公式:1981年創業・出版・1994年公開・米国買収 ↩ 本文
  22. PC Watch:上新電機・中嶋克彦が語る創業期の孫(2014年4月7日) ↩ 本文
  23. PRESIDENT/大塚常好:恩人が告白!なぜ私は「裸の孫正義」に賭ける気になったのか ↩ 本文
  24. ソフトバンク第30期有価証券報告書:会長・社長の就任年月 ↩ 本文
  25. 井上篤夫/ダイヤモンド・オンライン:草創期の闘病と父の支援(2024年10月30日) ↩ 本文
  26. ソフトバンクグループ公式:経営理念 ↩ 本文
  27. 孫正義本人一人称連載/中央日報:日本IT界の神話 孫正義「志高く」(16) ↩ 本文
  28. Yahoo Japan/LINEヤフーアーカイブ:米国ヤフーとソフトバンク合弁でヤフー株式会社を設立 ↩ 本文
  29. LINEヤフー公式:旧ヤフーの沿革 ↩ 本文
  30. Alibaba/SEC:Alibaba F-1/A Our History with SoftBank and Yahoo ↩ 本文
  31. 本人講演:孫正義 LIVE 2011(2010年3月29日) ↩ 本文
  32. ソフトバンク公式:ADSLのあゆみと街頭モデム配布 ↩ 本文
  33. ITmedia:Yahoo! BB発表会取材(2001年6月19日) ↩ 本文
  34. ソフトバンク:Yahoo! BB商用開始(2001年9月4日) ↩ 本文
  35. SoftBank BB:お客様情報流出問題の調査結果と今後の対策 ↩ 本文
  36. SoftBank BB:本日の一部報道に関するコメント(続報) ↩ 本文
  37. 裁判所:Yahoo!BB個人情報漏洩事件判決 ↩ 本文
  38. ソフトバンク:Vodafone日本法人買収の合意(2006年3月17日) ↩ 本文
  39. 井上篤夫/ITmedia:ボーダフォン、ホークス、スプリント 孫正義の買収決断を支えた“ある人物” ↩ 本文
  40. SoftBank Group:The results of the tender offer by BB Mobile and acquisition of subsidiary ↩ 本文
  41. ソフトバンク公式:通信事業の沿革 ↩ 本文
  42. 基本使用料980円/月のホワイトプラン、1月16日販売開始 ↩ 本文
  43. Apple:Softbank and Apple to Bring iPhone3G to Japan on July11 ↩ 本文
  44. SoftBankニュース:革新的な携帯電話 iPhone3G発売開始 ↩ 本文
  45. Alibaba、Yahoo!、SoftBankがAlipayについて合意、2011年7月29日 ↩ 本文
  46. Yahoo! Releases Statement Regarding Alipay — 2011-05-12 ↩ 本文
  47. Yahoo, Alibaba in talks over payment firm Alipay — AFP 2011-05-17 ↩ 本文
  48. ソフトバンク:孫正義個人の100億円寄付先(2011年5月16日) ↩ 本文
  49. SoftBank Group:スプリント買収完了のお知らせ ↩ 本文
  50. ソフトバンク:Alibaba上場の持分変動利益確定(2014年11月4日) ↩ 本文
  51. ソフトバンク・アルデバラン:Pepper共同発表(2014年6月5日) ↩ 本文
  52. SoftBank Group/適時開示:Change of Representative Director (Resignation) ↩ 本文
  53. SoftBank Group:ARM買収(子会社化)の完了に関するお知らせ ↩ 本文
  54. Arm:2026年3月期 Form 20-F(2026年5月26日) ↩ 本文
  55. SoftBank Group:社長メッセージ 300年成長し続けるための群戦略 ↩ 本文
  56. SoftBank Group:SoftBank Vision Fund First Major Closing ↩ 本文
  57. WeWork:上場申請書 Form S-1(2019年8月14日) ↩ 本文
  58. The We Company S-1/A, 2019-09-03 — unwinding we trademark partnership interests ↩ 本文
  59. SoftBank Group:関係会社株式評価損の計上について ↩ 本文
  60. クロージング条件不充足によるWeWork公開買付取りやめ、2020年4月2日 ↩ 本文
  61. SoftBank FY2020 investor presentation, May14 2021 — WeWork settlement transaction ↩ 本文
  62. ソフトバンクグループ公式:当社子会社スプリントのTモバイルとの合併完了のお知らせ ↩ 本文
  63. NVIDIA公式:NVIDIA and SoftBank Group Announce Termination of NVIDIA’s Acquisition of Arm Limited ↩ 本文
  64. 英国Competition and Markets Authority:NVIDIA abandons takeover of Arm during CMA investigation ↩ 本文
  65. ソフトバンクニュース:過去最大の赤字を真摯に反省。新規投資を厳選し守りに徹する ↩ 本文
  66. Arm公式:Arm Announces Pricing of Initial Public Offering ↩ 本文
  67. WeWork/SEC:WeWork 2023 Q3 Financial Report/Chapter11注記 ↩ 本文
  68. ソフトバンクグループ:Stargate Project(2025年1月22日) ↩ 本文
  69. SoftBank Group:CFOメッセージ ソフトバンクグループレポート2026 ↩ 本文
  70. SoftBank Group:OpenAIへの追加出資に関するお知らせ ↩ 本文
  71. ソフトバンクグループ:OpenAI出資完了(2026年10月1日) ↩ 本文
  72. SoftBank Group:トップメッセージ ソフトバンクグループレポート2026 ↩ 本文

写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。

※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / GBP

本文更新:2026-11-02

人物一覧を見る ↗