THE STORY
ジャック・マーの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01上場まであと2日だった
上海と香港で消えた取引開始日
2020年11月3日、Ant Groupの上場が止まった。上海と香港で株の取引が始まる予定は5日。残りは2日だった。Alipayから育った金融の会社は、世界の投資家へ株を売る目前で、出発できなくなった。[1]
その10日前、ジャック・マーは上海の金融会議で銀行や規制のあり方を批判していた。すでにAlibaba Groupの会長は退いていたが、Ant Groupの支配に関わる人物だった。ネットの買い物で知らない人へ代金を払えるようにした仕組みが、今度は金融のルールを決める側と向き合っていた。[2][3]
当局が示した停止理由には、監督当局との面談や規制環境の変化によって、上場資格や情報開示の要件を満たさない可能性が挙げられた。会社の成長を市場がどれほど期待していても、最後に扉を開く権限は別の場所にあった。[4][1]
6年前、Alibaba Groupはニューヨークで250億ドル(約3兆9400億円)規模の上場を果たしていた。杭州の自宅で始まった会社に、世界中から資金が集まった。その中心で笑い、話し、舞台へ上がってきた男が、今度は上場できない会社の創業者として見られる。彼が最初に世界へ通じる扉を見つけたのは、株式市場でも銀行でもなかった。故郷の湖へ来る外国人観光客だった。[5][6]
02西湖で外国人を待つ少年
杭州から外をのぞく
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。
ジャック・マー、本名は馬雲。1964年、中国東部・浙江省の景勝地、西湖を抱える杭州に生まれた。両親は伝統的な語り芸を演じていた。馬少年が夢中になったのは英語だった。[7][8]
西湖へは外国人観光客が来る。馬少年は自転車で出かけ、案内の代わりに英語で話す機会をもらった。料金を取るガイドではない。道を教え、話しかけ、相手の返事を聞く。わからない言葉があっても、その相手と話す時間は自分でつくらなければならなかった。[9][10]
1980年、オーストラリアから来たモーリー一家と出会った。旅行が終わっても手紙のやりとりが続いた。父親のケン・モーリーは、若い馬雲と価値観や理想について議論を交わす存在になった。外国語を練習する相手が、人生を通じて付き合う大人へ変わった。[6]

写真:Evan Hemingway/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
オーストラリアでもう1つの家族を得る
1985年、モーリー家に招かれ、馬雲はオーストラリアへ渡った。行き先は東海岸の港湾都市ニューカッスルだった。杭州で旅行者を案内していた青年が、今度は相手の暮らす国へ行く。本人は後に、その滞在で、それまで教えられてきた世界の姿と実際の暮らしの違いに驚いたと話した。[6][11]
この家族との関係は、海外旅行の記念写真で終わらなかった。ケンは助言を与え、若い時期の生活も支えた。馬雲が世界へ出る前から、世界の側に、自分の成長を気にかける人がいた。後年、彼はこの友情を記念し、ニューカッスル大学の学生を支えるため、2000万米ドル(約31億円)の拠出を約束する。[11][6]
03試験に落ちてから教壇に立つ
3度目の入試
大学入試には2度失敗した。3度目で杭州師範学院へ入り、英語教育を学ぶ。大学では学生の活動にも関わり、1988年に卒業すると、杭州で英語教師になった。[9][12]
英語を話せるようになっても、どの採用の扉でも開くわけではなかった。馬雲は2015年にスイス東部の国際会議で知られるダボスで開かれた対談で、地元にKFCが来た時の採用に応募した話を披露している。集まった24人のうち23人が採用され、自分だけが落ちたという。警察への応募でも採用されなかったと話した。後に中国で最も顔を知られる起業家になる男は、自分が選ばれなかった話を、人前で繰り返し語るようになった。[13]
彼がその壇上で好きな映画として挙げたのは『フォレスト・ガンプ/1期一会』だった。複雑な理屈で人を圧倒する主人公ではない。走り、失敗し、やめない人物だ。馬雲は自分の履歴から不合格や不採用を消さず、むしろ、名門校も資産家の親も持たない若者へ話す時の材料にした。[13]
教職を続けながら、翻訳の仕事も始めた。中国企業が海外へ商品を売りたい時、商談の言葉や資料を訳す人が要る。外国語を使えることを、その場で必要とする企業へ売る。案内して英語を教わっていた少年は、自分の英語で他人の商売を手伝う側になった。[9][8]
04検索しても中国がない
シアトルでビールを調べる
1995年、米国へ行った馬雲は、インターネットを初めて体験した。場所は米国北西部・ワシントン州の港湾都市シアトル。友人側の紹介で、インターネット接続事業を営む協力者に会った。画面でビールを検索すると、外国の情報は出るのに中国の情報が見当たらなかった。[8][14]
中国には工場も商品もある。それなのに、画面の中では見つからない。翻訳を頼みに来る会社は、外国へ売りたがっている。海外で商品を探す人もいる。その間に企業の情報を置けば、訪ねてきてもらえる。帰国した馬雲はChina Pagesを始めた。中国企業を海外へ紹介する、インターネット上の企業案内だった。[12][8]
会社へ出向き、写真を撮り、商品や連絡先を集め、英語へ訳す。掲載作業にはシアトルの協力者を使った。まだ地元の人々がインターネットをよく知らない頃に、その知らない場所へ会社の情報を載せる仕事を売っていた。説明して納得してもらうところから、1件ずつ始めなければならなかった。[8]
会社を始めても決定権が残らない
China Pagesは、杭州の通信会社との合弁へ進む。馬雲の回想では、相手が提示した投資額は18万5000ドル(約2915万6000円)だった。小さな会社にとっては巨大な金額だったが、取締役の席は相手が5、自分の側が2。提案をしても通らない。資金と通信の基盤を得る代わりに、自分が始めた事業を動かす力が細っていった。彼は辞任した。[15][8]
次は首都北京で、外国貿易に関わる政府系のインターネット事業へ移った。仕事は続いたが、そこでも自分の会社を動かしたいという考えが残る。1999年、杭州へ戻った。世界の企業をつなぐ仕事を、もう1度、顔を知った仲間と始めるためだった。[8][16]
0518人が自宅へ集まる
湖畔花園の創業
1999年、杭州の住宅地・湖畔花園にある馬雲の自宅へ、同僚や教え子たちが集まった。本人を含め18人。妻の張瑛も、その仲間にいた。ここでAlibabaを始めた。まだ世界中から客を呼べるオフィスはなく、集まった人々が働く部屋そのものが会社だった。[16][17]
残された当時の映像には、馬雲が仲間の前で構想を語る姿がある。目指したのは、中国の小さな会社を世界の買い手につなぐことだった。自分がすべてのプログラムを書くのではない。何をつくるのか、誰の商売を変えるのかを、つくる人たちへ伝えていた。[18]
部品の工場が海外から注文を取る。米国の店が中国の製造業者を探す。大企業のような海外営業所や販売網を持たない会社にも、画面の上なら商品を紹介できる。Alibaba.comは、一般客が服や日用品を買う前に、企業同士が商談の相手を見つける場として出発した。[19][20]
月給50ドル(約7,880円)で加わった蔡崇信
創業したばかりの事業へ加わったのが、ジョセフ・ツァイ、蔡崇信だった。台湾生まれで米国で法律を学び、香港で投資の仕事をしていた。報酬の高い仕事を離れ、まだ先の読めない杭州の会社へ移った。創業時の月給は50米ドル(約7,880円)だった。[21][22]
馬雲は人へ将来の商売を語る。蔡崇信は、その事業へ投資家が資金を入れられるよう、会社の形や契約を整える。言葉に引かれて仲間が集まることと、外の投資家が株を買えることの間を、法律と金融を知る共同創業者がつないだ。[22][17]
1999年、Goldman Sachsなどから500万ドル(約7億円)が入った。[19]
2000年には、孫正義のSoftBankが主導する投資家グループから2000万ドル(約31億円)を調達した。自分たちの財布から出していた会社へ、外国の投資家が桁の違う資金を置いた。馬雲たちは人を雇い、拠点を増やせるようになった。[19][23]
06金が入った会社で金を使いすぎる
2000万ドル(約31億円)の後の縮小
インターネットの会社なら大きくなる。そうした熱気に乗って、Alibabaも海外へ人と拠点を広げた。だがネット企業の株価が崩れ、増やした会社を養う収入をつくらなければならなくなる。馬雲は後のインタビューで、拡大を急ぎすぎたため、人員を減らしたと話している。[14]

写真:St. Gallen Symposium/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
登録している企業はいる。無料で使っている人もいる。それでも社員の給与と開発費は出ていく。2002年には、手元の資金で続けられる期間は18カ月だったと本人は説明した。無料会員が増えたという報告だけでは、残る時間は延びなかった。[14]
中国の輸出業者が米国の買い手を見つけるための有料サービスへ力を絞った。無料で見に来る企業をただ増やすのではなく、海外へ売るためにお金を払う客へ何を渡すかを詰める。会社を縮めながら、本業の代金で会社を支える道を探した。[14]
馬雲は2002年末の黒字を、1ドル(約157円)の利益が出たと振り返っている。2000万ドル(約31億円)を集めた会社が、ようやく話す1ドル(約157円)。資金を使ってサイトを広げる時期を経て、有料の仕事で出費を取り戻す段階へ移った。次に始める無料のTaobaoは、輸出業者向けの本業が稼ぎ始めた会社の中で育つ。[14]
07やっと稼ぎ始めて次の戦いへ出る
eBayを相手にするTaobao
企業向けの取引を育てていた会社で、馬雲は別の市場へ入ろうとした。一般の人や小さな店が商品を売り、消費者が買う市場だ。そこには、米国のネット売買大手eBayがいた。資金も利用者も持つ海外企業を相手に、新しいサイトを立ち上げることになる。[24]
準備は秘密で進んだ。開発の拠点に使ったのは、創業時の湖畔花園の自宅だった。会社が大きくなってから、新しい事業の小さなチームを、また最初の部屋へ戻す。2003年5月、Taobao(淘宝網)が始まった。中国語で商品を出し、中国の消費者と直接やりとりできる場だった。[16][20]
出品者から先に料金を集めるより、無料で使う人を増やす。品物を並べる店が増えれば、買い手が来る。買い手が来れば、店も残る。ただし、無料で続ける間の費用は会社が持たなければならない。Alibabaは本業の企業間取引を育てながら、新しい売り場を無料で広げる競争へ入った。[24][25]
社員400人が自宅へ戻る
同じ2003年春、中国でSARSの感染が広がった。Alibabaでも社員の感染が疑われ、約400人が自宅隔離の対象になった。大きな会社へ挑む新サービスを用意している間に、社員が同じ職場へ集まれなくなった。[26]
社員たちは家から仕事を続けた。海外の買い手と会い、展示会で商品を見せる客の側も、移動を止められていた。直接訪ねられない時、画面で企業や商品を探す需要が増す。感染の危険に対応する日々の中で、AlibabaはTaobaoを立ち上げ、既存のサービスも動かし続けた。[26][27]
08先に払うか先に送るか
Alipayで止まった商談を動かす
画面で欲しい物が見つかっても、その先に問題が残る。見知らぬ相手へ先に代金を送ってよいのか。届かなかったら取り戻せるのか。売り手にも、送った後で代金が来なければ困るという事情がある。顔を合わせずに成立する売り場へ、人を集めるだけでは注文は終わらなかった。[28]
Alipayは、その途中へ入った。購入者の代金をいったん預かり、商品が届き、確認されてから売り手へ渡す。買い手が先に相手を信じて全額を渡すのでも、売り手が先に商品を手放して待つのでもない。順番を変えて取引を成立させた。[28]
ただ、代金を預かる会社そのものを信用してもらう必要が残った。見知らぬ売り手へ送金するのが怖い人に、今度は、まだ小さなTaobaoへお金を預けてくださいと頼む。最初の取引から、仕組みの説明だけで安心してもらえたわけではなかった。[29]
110ドル(約1万7336円)のカメラで止まった最初の取引
2003年秋、中国内陸部・陝西省の古都、西安にいた大学生の焦振中は、Taobaoで中古のFujifilmのカメラを見つけた。価格は110ドル(約1万7336円)。出品したのは、日本の横浜で学んでいた大学生だった。2人は互いを知らず、商品と代金をどちらが先に送るかも決まらない。[29]
10月18日、買い手は代金をTaobaoの財務部門へ送り、受け取りを確認した後で売り手へ渡す方法を選んだ。だが送金した直後に取り消し、返金を求めた。スタッフが電話をかけ、取引がうまくいかなければ自分の給料で補償すると申し出る。買い手は取り消しを思いとどまり、取引は成立した。後にAnt Groupが最初の利用者を探し出して紹介したのは、この1件だった。[29]
小さなカメラの代金を動かすために、社員が電話をし、自分の給与まで持ち出して安心させる。後に画面を1度触れば終わる支払いは、こうして、人が1件ずつ取引をつなぐところから始まった。Taobao内の預かり決済は2003年に始まり、Alipayが独立した会社として正式に設立されたのは2004年12月だった。[29][30]
09Yahooの10億ドル(約1576億円)で戦いを続ける
中国事業と40%の持分
2005年、YahooがAlibabaへ10億ドル(約1576億円)を投資し、中国事業も渡す提携を発表した。検索やニュースで世界的に知られる会社が、中国での仕事を杭州の企業へ任せる。Yahooが持つ経済的持分は約40%、議決権は35%。4人の取締役のうち2席をAlibabaの経営側が持ち、Yahoo共同創業者ジェリー・ヤンとSoftBank側も加わる形だった。[31]
Taobaoを無料で広げるには、その間の開発と運営を続ける金が要る。提携で資金と事業を得たAlibabaは、eBayとの競争を続ける。2006年、eBayは中国の事業を別の提携へ移し、従来の形での直接競争から退いた。小さな会社が世界の大手へ挑むという馬雲の構想は、中国の買い物の市場で現実になった。[24]
だが10億ドル(約1576億円)を渡した側は、応援だけをする観客ではない。成長する事業の価値を持つ大株主だった。無料で市場を広げる時間を手に入れた時、馬雲は同時に、その会社の価値を外の株主と分ける関係も持った。後に最も激しく争うのは、この味方との間になる。[31][32]
1050香港ドル(約1,004円)で市場へ出る
最初は企業向け事業の上場だった
2007年11月、Alibaba.comが香港へ上場した。企業同士の取引を扱う会社だ。公開価格は1株13.50香港ドル(約271円)、当初の募集規模は15億ドル(約2364億円)。創業時に自宅で企業情報を集めていた事業が、多くの投資家へ株を売るところまで来た。[33]

写真:Rico Shen/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
この時の上場会社に、TaobaoやAlipayまで丸ごと入っていたわけではない。消費者向けの売り場も決済も、グループの別の事業として大きくなっていく。その後、Alibaba.comは2012年に非公開化へ進み、少数株主への提示価格は再び13.50香港ドル(約271円)となった。[34]
市場へ出して資金を集めた事業を、今度は買い戻す。Alibabaの事業が増えるほど、最初につくった会社の境界や株主の構成も組み替える必要があった。2007年の上場は、後にニューヨークで売られるグループ全体の株とは、違う取引だった。[34][25]
1127ブランドで買い物の日をつくる
11月11日が売り場になる
2009年、Taobaoのブランド店向け事業で、11月11日のセールが始まった。1が4つ並ぶ、中国で独身の日と呼ばれていた日だった。参加したのは27ブランド。大幅な割引と全国への送料無料を組み合わせて商品を並べた。[35]
その日の取引総額は5200万元(約12億円)。店で買われた商品の総額であり、Alibaba自身の売上ではない。出店する側にとっては、いつもと同じ画面の中へ、一斉に注文が来る経験だった。企画を育てた中心には、後にグループを継ぐダニエル・チャンがいた。[35][36]
翌年も、その次も、11月11日に店と客を集める。やがてファッションショーや有名人の出演を重ね、その場で見た商品を買えるようにした。欲しい物を探しに来るだけでなく、買い物の時間そのものを見に来てもらう。通販の会社は、カレンダーの1日を自分たちの大きな行事へ変えていった。[37]
売れすぎる日の裏側
2011年、接続、注文、決済が集中した。裏では技術者たちが昼夜を問わず対応した。画面で取引額が増えるたび、その取引を処理する計算機と、お金の通り道と、荷物を届ける現場も持ちこたえなければならない。[35]
割引する商品を増やすだけでは、次の年の成功を受け止められない。Alibabaは大量の処理に耐えるクラウドと物流の仕組みを強めた。買う人を興奮させる企画が、そのまま会社の裏側へ、普段とは違う大きさの設備投資を要求した。[35][38]
12技術者ではない男が王堅を支える
売り場の裏へ計算機をつくる
2009年に始まったAlibaba Cloudは、取引の規模に見合う計算の基盤をつくる仕事だった。商品情報、検索、注文、決済。利用者が増えるたびに処理する情報も増える。自分たちで大きな仕組みを育て、後には他社へも使ってもらう事業を目指した。[38]
開発を進める王堅の側には、すぐ売上になる仕事とは違う時間が要った。社内には反対や疑念が出た。馬雲は、短期の利益だけでは切らず、資金を投じ続ける方針を支えた。プログラムを書かない創業者が、結果の出ていない技術の仕事を会社に残す判断をしていた。[38]
2013年、米国西部・カリフォルニア州のスタンフォード大学で開かれた講演では、王堅が技術を説明し、馬雲が事業や人の話をした。同じ会社の先を、別の側から説明する2人だった。人を集める売り場ができても、その人数を受け止められる機械は、また別に開発しなければならなかった。[39]
13信用の認定から不正な売り手が出る
売上を増やした社内のほころび
2011年2月21日、Alibaba.comはCEOのデイビッド・ウェイとCOOのエルビス・リーの辞任を発表した。海外の買い手へ詐欺を働いたChina Gold Supplierの会員は、2009年登録の1219件と、2010年登録の1107件。計2326件に上った。工場を訪ねずに仕入れる人が信用の目印にした会員表示を、相手がだますために利用していた。[40]
人気の電子製品を安く並べ、最低注文数も小さくして、信頼性の低い方法で送金させる。社内調査はそうした手口を示した。営業担当約5000人のうち約100人と一部の管理職が、意図的に、あるいは注意を怠って審査をすり抜けさせたとされた。買い手の苦情は2009年末から増え、2010年も続いていた。会員を集める営業の中へ、短期的な数字を求める姿勢が入り込んでいた。[40]
会社は不正な全店を閉鎖した。調査はウェイとリー本人の詐欺への関与を認めず、問題への対応にも誠実に取り組んだとした。それでも2人は組織の責任を負い、ジョナサン・ルーへ経営を渡した。馬雲は2人の貢献に感謝しながら、会社の文化や価値観を損なう行為は認められないと公にした。[40]
売り手を増やせば会社の数字は伸びる。その認定を頼って商品代を送った客が裏切られれば、次に来る客は認定そのものを信じなくなる。馬雲の会社は、外の詐欺師を追い出すとともに、誰を会員として通すかという自分たちの営業の仕方へ手を入れた。売り手と買い手を結ぶ役割を掲げた会社で、仲介する側の信用をつくり直す必要があった。[41][42]
14Alipayが大株主の会社から外れる
Yahooと食い違った説明
2011年春、Yahooとの間でAlipayの所有をめぐる対立が表面化した。決済事業がAlibabaの外にある中国国内企業へ移されていた。その企業を馬雲らが支配していた。Alibabaへ資金を入れた株主の側から見ると、自分たちが投資した会社から、有力な事業が外へ出たことになる。[43][32]
Yahooは、移転について取締役会の認識や承認がなかったと説明した。所有の移転は2010年8月、連結からの除外は2011年第1四半期で、それを知らされたのは3月31日だったとする。馬雲側は、中国で決済の許可を得るには国内所有へ変える必要があり、以前から大株主へ伝えていたと主張した。会社を成長させるために迎えた相手と、その成長を支える決済を誰が持つかで争った。[43][44]
合意しても元の所有には戻らない
2011年7月、YahooやSoftBankなどを含む関係者が枠組みで合意した。Alipayの所有は外に残す。その代わり、Alibabaには技術や知的財産の対価として、当初はAlipayの税引き前利益の49.9%に相当する支払いを行う。さらに将来の上場など一定の出来事が起きれば、価値の37.5%を基準に、20億〜60億ドル(約3152億円〜9456億円)の範囲で支払う約束を置いた。将来の価値と利益を、元の株主へ返す契約で折り合った。[45]
育った決済事業を誰が動かし、その利益をどこへ返すかを、新しい契約で結び直した。10億ドル(約1576億円)と中国事業を渡して味方になったYahooは、馬雲が次々につくる会社の価値を持つ一方、その会社を彼がどう扱うかでは、強く対立する相手になった。[31][46]
15小さな店が小さな店の味方へ抗議する
年6000元(約14万2080円)から3万〜6万元(約71万400円〜142万800円)へ
2011年秋、Taobao Mallが次の年の出店条件を変えると発表した。ブランド店などが消費者へ商品を売る売り場で、後のTmallにつながる事業だった。技術サービスの年会費は6000元(約14万2080円)から、種類に応じて3万〜6万元(約71万400円〜142万800円)へ。保証金も増額する。新しい条件には返品や発送時間、偽物対策の強化も含まれた。[47]
会社は商品とサービスの質を高めるためだと説明した。だが小さな店は、年会費や保証金に回す現金を用意しなければならない。店を続ける場所を失うかもしれない人々が、変更へ反発した。無料で売り始められる仕組みをつくった会社が、より条件の厳しい売り場も持つようになっていた。[47][48]
一部の抗議者は、大手出店者へ大量に注文し、取り消しや返金要求を重ね、低い評価を付けた。狙われた店にはUNIQLOもあった。運営会社へ向けた怒りが、同じ売り場で商売する別の会社を攻撃する形になった。馬雲はこうした行為を非難した。[49]
変えた条件を一部延ばす
会社側は、一定の条件を満たす既存店について、新料金の適用を遅らせるなどの措置を出した。保証金や融資保証、買い手保護に関わる支援も加えた。料金の変更をすべて取り消すのではなく、新しい条件へ移る時間と資金を用意する対応だった。[50]
抗議はネットだけでは終わらず、香港での申し入れや会社拠点での行動にも広がった。以前なら海外の大企業へ挑む側だったAlibabaが、いまは店の商売を左右する大きな相手だった。会社が定める金額ひとつで、同じサイトへ集まった小さな事業者たちの立場が変わる。その争いが、公然と表へ出た。[51]
16Yahooの持分を76億ドル(約1兆1977億円)で買い戻す
入ってきた金より大きな対価
2012年、AlibabaはYahooが持つ株の半分を買い戻す取引を完了した。Yahooが受け取ったのは、技術や知的財産に関する契約への支払いを含めて76億ドル(約1兆1977億円)。現金と優先株を組み合わせた巨額の取引だった。[52]
2005年に10億ドル(約1576億円)を投資した相手へ、その何倍もの対価を渡す。馬雲にとっては、成長のために集めた資金を、成長して大きくなった価値で買い戻す仕事だった。Yahoo側にも利益を残して、Alibabaにおける持分を減らす。共同で育てた会社を続けるために、共同で持つ割合を変えた。[52]
会社を立ち上げる時には、外から金が入ることが目の前の前進になる。だが事業が育った後には、最初の契約がその先の経営にかかる。決済の所有を分け、株主への対価を払い、経営を動かす余地を取り直す。馬雲は新しい売り場をつくる横で、会社の資本も何度も組み直していた。[32][52]
17発表会の前で止まったスマートフォン
Googleとの衝突
2012年9月、台湾のパソコンメーカーAcerは、AlibabaのAliyun OSを搭載したスマートフォンを上海で発表する予定だった。OSはスマホの画面やアプリを動かす基本ソフト。ネットの売り場を持つAlibabaは、その売り場へ入る端末の仕組みにも進もうとしていた。ところが発表会は中止になった。[53][54]
Alibaba側は、GoogleがAcerへ、発売すればAndroidに関する協力と技術ライセンスを打ち切ると伝えたためだと説明した。Android搭載の端末も売っているAcerにとって、1機種の発売のために、別の主力製品を動かす相手との関係が危うくなる争いだった。[53][54]
Googleは、Acerが参加するOpen Handset Allianceには、互換性のないAndroid端末を出さないという取り決めがあると反論した。AlibabaはAliyunがAndroidとは別の仕組みだと主張し、Google側はAndroidの実行環境を組み込んでいると指摘した。開かれた仕組みだという言葉の下で、誰が端末を出せるかが、企業間の契約に左右された。[53][54]
eBayとの戦いでは、馬雲たちは自分たちのサイトを無料にして客を集められた。スマホの世界では、製造する相手がすでに別の陣営と契約している。使ってもらいたい基本ソフトをつくっても、そのソフトを載せた製品の発表そのものが止まる。Alibabaのモバイル進出には、通販の客数だけでは越えられない壁があった。[53][54]
18商品の画面から配送の現場へ
Cainiaoで荷物の情報をつなぐ
2013年5月、AlibabaなどがCainiao(菜鳥)を立ち上げた。配送会社や倉庫、店をデータとサービスでつなぐ事業だった。通販の注文が全国へ増えても、すべての荷物を自社の配達員で運ぶ会社を、最初からつくる方針ではなかった。[55]
注文を受けた店から倉庫へ、倉庫から配送会社へ。荷物と一緒に動く情報をつなぐ。翌年には電子送り状も始めた。紙へ書いた内容を別の場所で入力し直す手間を減らし、多数の会社が関わる配送を動かしていく。[55]
取引額は画面の数字で増えるが、商品は倉庫から出て道路を走らなければ届かない。11月11日に一斉に買われた商品も、1件ずつ発送される。売り場をつくった会社は、その後に起きる現場の混雑へも手を伸ばしていた。[37][55]
1948歳でCEOを降りる
会長として残す仕事
2013年、馬雲はCEOを退くと発表した。48歳だった。後任は、信用問題の立て直しにもあたったジョナサン・ルー。日々の経営を任せ、自分は会長として戦略や人材の仕事を担う。創業者がいなくなるのではなく、役割を分ける交代だった。[56]

写真:Thomas LOMBARD, designed by HASSELL (architects)[1]/出典/CC BY-SA 3.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
社内で経営を引き継いでも、世界から見ればAlibabaの顔は馬雲だった。海外へ出て話し、投資家へ会社を伝える。その立場で、グループ全体の上場へ向かう。2011年に決済の所有をめぐって争い、2012年に株主の構成を変えた後で、今度は新しい株主を世界中から迎えることになる。[56][57]
20パソコンの売り場をスマホへ運ぶ
100人連れてくるよう社員へ求める
モバイルの入口を自分たちで持つために、馬雲が前へ出た場面もあった。AlibabaのメッセージアプリLaiwangだった。文字や音声を送り、知人とつながるサービスで、相手はTencentのWeChat。すでに人々の連絡先が集まっている場所から、自分たちの新しいアプリへ移ってもらわなければならない。[58]
2013年10月、馬雲は社員へ、11月末までに社外の連絡相手を少なくとも100人ずつLaiwangへ集めるよう求めたと報じられた。Caijingが伝えた社内文書では、達しなければ賞与を自ら諦めたものとみなすという強い言い方まで使った。会長が販促の先頭へ立ち、社員個人の交友関係まで新アプリのために動かすよう求める指示だった。[58]
UCWebを傘下へ入れる
同じ頃、買い物へ来る人の入口が変わっていた。パソコンでサイトを開く代わりに、スマートフォンのアプリを使う。通販に強くても、客が最初に開く画面を他社へ任せたままでは、そこから先の人の流れを握れない。Alibabaは2013年、モバイルへ力を集中させた。[59]
2014年、ブラウザーなどを手がけるUCWebを完全子会社にした。すでに持っていた持分に加え、残りを株と現金で取得し、約3000人がグループへ入る。ブラウザー、ゲーム、アプリなど、商品を探す前から利用者が使う場所を増やした。[60]
UCWebとの合弁ではモバイル検索のShenma(神馬)も始めた。中国の検索にはBaidu(百度)がいる。Taobaoの客がどこで商品を探し始めるかまで、競争は続く。eBayが退いた後も、Alibabaの売り場の外には、別の会社が持つ大きな入口があった。[61]
Alipayの残高が運用へ移る
2013年にはYu’e Bao(余額宝)が始まった。Alipayで使う残高などを、少額から金融商品へ回せるサービスだった。買い物のために使っていた画面の先で、お金を置いて運用することもできる。支払いでつながった利用者が、そのまま金融へ入る道ができた。[62]

写真:BreakdownDiode/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
預かった代金を売り手へ渡す仕組みから、お金の移動や運用、さらに融資へ広がる。銀行の店へ足を運ばなくても、スマートフォンで金融サービスを使う人が増えていく。Alipayを必要とした通販の成長が、今度は通販より広い金融の利用を支えるようになった。[63]
21香港で折れなかった取締役の選び方
株を売っても会社の針路を残す
グループ全体の上場を前に、Alibabaは香港市場と折り合えなかった。争点は、株式をどの値段で売るかより、その後の会社を誰が動かすかにあった。創業者や経営幹部のパートナー集団に、取締役の過半数を指名する権利を持たせたい。外の株主が大きな持分を買っても、会社の針路を決める人選は経営側へ残す構造だった。[64]
香港側には株主の平等な取り扱いという原則があった。少数の持分しか持たない集団に特別な指名権を与えれば、買った株の数と経営へ及ぼす力が離れる。2013年の協議はまとまらず、Alibabaは米国へ上場の場を移していった。[64]
馬雲たちが守ろうとしたのは、短期の相場や株主の交代で会社の方向を変えられない仕組みだった。一方で、新しく株を買う人には、持分を集めても経営者を入れ替えにくいという条件になる。YahooやSoftBankとの協力で資金を得た会社は、さらに多くの株主を迎える前に、自分たちの決定権を契約へ刻んだ。2014年の目論見書の冒頭にも、パートナー集団による過半数指名の権利が記載された。[64][25]
221株68ドル(約1万716円)で世界へ売り出す
ニューヨークで始まった取引
2014年9月、Alibaba Groupがニューヨーク証券取引所へ上場した。公開価格は1株68ドル(約1万716円)。追加販売前の売出規模だけで217億7000万ドル(約3兆4309億円)だった。取引初日の終値は93.89ドル(約1万4797円)。杭州の自宅で働く18人から始まった会社へ、世界の市場が桁違いの値段を付けた。[57][65]
追加販売を含めると、上場の規模は250億ドル(約3兆9400億円)へ広がった。2007年の企業間取引会社の上場から7年。今度は消費者の買い物やクラウドも持つグループ全体の株を、会社と既存株主が売り出した。[5][25]
その日の開始を告げる鐘を鳴らしたのは、馬雲たち経営陣ではなく、Alibabaで商売をしている顧客たちだった。世界の市場へ会社を披露する瞬間に、自分の顔だけを中央へ置かない。小さな会社を世界へつなぐという創業時の構想を、実際にその売り場を使う人々に見せてもらった。[66]
上場の書類に付けた手紙で、馬雲は、顧客が第1、従業員が第2、株主が第3という順番を掲げた。まさに株を買おうとする人へ、株主が最後だと示す。顧客へ価値を渡し続けることで、長期的には株主にも価値を返すという考えだった。[25]
上場の翌年に採用を止める
2015年4月、馬雲は社員へ、年内はグループの人員を増やさないと伝えた。辞めた人の補充はするが、全体の人数は増やさない。2014年末の社員数は3万4081人で、前年末から63%増えていた。上場して金が集まった後にも、拡大の速さへブレーキをかけた。[67][68]
画面の中の取引が増えるほど、同じだけ人を増やせばよいという判断ではなかった。馬雲は、取引総額が10兆元(約236兆8000億円)に達するまでは社員を5万人未満にすべきだという目安も示した。人を採る前に、すでにいる3万人余りで何を変えられるかを問う。かつて海外の拠点を増やしすぎて会社を縮めた創業者が、今度は巨額上場の直後に採用の蛇口を閉めた。[67]
23偽物を並べる人まで集まる
品物を増やした売り場の責任
商品が増えれば、偽ブランド品や模倣品も入り込む。買い手は偽物をつかまされ、正規の商品を持つ企業の商売も傷つく。Alibabaは商品情報を技術で監視し、取り締まりを強める方針を出した。2016年、馬雲も、模倣品が会社だけでなく社会や次世代を傷つけるとして、対策を担当する社員へ力を注ぐよう求めた。[69]
認定を悪用した売り手が問題になった2011年には、信用を示す表示が問われた。今度は実際に並ぶ商品の中身を調べ、取り除かなければならない。利用者が増えることを歓迎するだけでは、店も買い手も残せない。世界へ売る入口を広げた会社は、その入口から入る不正を止める側にもなった。[42][69]
24東南アジアへ40億ドル(約6304億円)を投じる
Lazadaを買う
2016年、Alibabaは東南アジアの通販会社Lazadaの経営権を取得する取引を発表した。新株への出資と既存株主からの取得を合わせ、10億ドル(約1576億円)。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムで展開する会社だった。[70]
中国で集めた店を、同じサイトへ呼ぶだけの拡大ではない。すでに現地の利用者と仕事をしている会社を傘下へ迎える。それぞれの言葉、支払い、配送へ対応する売り場が必要だった。東南アジアでは現地の競争も続いていた。[71]
2017年にさらに10億ドル(約1576億円)、2018年には20億ドル(約3152億円)を投じる。3回を合わせて40億ドル(約6304億円)。最初に経営権を取った後も、事業を育てるための資金が続いた。杭州で海外の買い手へ中国企業を紹介していた仕事は、海外の消費者が日常で使う売り場を持つところまで広がった。[72]
25不採用を語ったKFCと事業でつながる
店頭の支払いへ5000万ドル(約78億円)を出す
2016年11月1日、Ant FinancialはYum Chinaへの出資を完了した。中国でKFCやPizza Hutなどを運営する会社だ。Primavera Capitalが4億1000万ドル(約646億円)、Ant側が5000万ドル(約78億円)を投じ、合計4億6000万ドル(約724億円)。2社で株式と新株予約権を受け取る取引だった。[73]
馬雲は前年のダボスで、KFCの採用では自分だけ落とされたと語っていた。その男が育てた金融会社が、今度は中国のKFCを運営する企業へ資金を入れた。出資時にAntの経営者が示した狙いは、Alipayによる店頭決済や会員向けサービスを広げることだった。[74][13]
レジの列で支払いを済ませ、会員へ販売促進を届ける。ネット通販の決済を育てた会社にとって、実店舗の飲食チェーンは、その仕組みを日常へ広げる場所になる。知らない相手へカメラ代を送るために生まれたAlipayは、街で食事を買う人の手元へ入っていた。かつて自分を選ばなかった店の名前が、事業の契約の中で、まったく別の意味を持つようになった。[74]
26トランプへ100万の仕事を語る
米国から中国へ売る約束
2017年、馬雲は米国の次期大統領ドナルド・トランプと会った。掲げたのは米国の小さな企業が中国へ商品を売り、仕事を増やす構想だった。100万という数字は、Alibabaが米国でその人数を直接雇う計画ではない。小さな事業者の輸出を支え、地域の雇用を増やすという約束だった。[75]

写真:PAS China/出典/Public domain。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
中国の工場が米国の買い手へ届くようにつくった仕組みを、今度は逆向きに使う。米国の店に中国の客を紹介する。馬雲は、会社同士をつなぐ市場を、国家間の商売を広げる提案として話すようになっていた。[75]
しかし2018年、米中の貿易摩擦が激化した。馬雲は、良好な米中関係を前提とした雇用創出の約束を果たせないと説明した。売りたい企業と買いたい客がいても、国家間で条件が変われば、その間の商売も変わる。100万の仕事という約束は、会社だけでは維持できなかった。[76]
27会長が映画で武術の達人になる
映画の中心へ立つ
2017年、短編映画『功守道』の中心に馬雲が立った。製作を担ったのはジェット・リー。ドニー・イェンやトニー・ジャーら、アクション映画の俳優が加わる。その中で、ネット企業の会長自身が太極拳の達人を演じた。[77]
長く太極拳を続けてきた本人は、ジェット・リーと同名の競技も紹介した。武術の文化を広げる活動であり、陰と陽の均衡を重んじる考えを経営へ使うとも説明した。趣味を自分の時間だけで終わらせず、映画と競技という人に見てもらう場所へ持ち込んだ。[78]
創業者はいつも裏方にいるわけではない。馬雲は会社の行事でも、歌い、踊り、衣装を着て舞台へ上がった。事業を語る時と同じ顔で、自分が演じる側にも回る。その存在感は、会社の祭りを社員の記憶に残る行事へ変えていた。[79][77]
28地方で働く先生へ金を出す
教える側を支える財団
2014年、馬雲はJack Ma Foundationを設立した。自分が経験した教育を、支援の中心へ置く。2015年には地方で働く優れた教師を毎年100人選び、1人10万元(約236万8000円)と専門的な成長のための支援を用意する取り組みが始まった。[80]
2016年には校長へ、2017年にはこれから教師になる人へ範囲を広げた。校舎を寄付して終わりではなく、その学校で教え続ける人の条件を変える。地方の教室へ先生が残り、次の先生が入るための仕事だった。[80]
新卒教師向けの構想では、10年で少なくとも3億元(約71億円)を投じると発表した。選ばれた人が地方の学校で5年間働くことを支える。海外の投資家から資金を集めて会社を育てた男が、今度は長く教壇に立つ人へ資金を置いた。[81]
29教師の日に会長を降りると決める
1年かけて交代する
2018年9月10日、馬雲は翌年の同日に会長を退くと公表した。中国では教師の日であり、本人の誕生日でもあった。後任はダニエル・チャン。11月11日の買い物を大きな行事へ育て、すでにCEOになっていた経営者だった。[82]

写真:Foundations World Economic Forum/出典/CC BY 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
発表から1年の引き継ぎ期間を置いた。会社の使命や文化を、少数の個人へ依存させない。そうした考えを手紙で示した。2013年に日々の経営を渡した後で、今度は会社の代表として担っていた役割も移す。[82][56]
教育や慈善へ時間を使いたいという方針は、2020年の金融事業への規制より前に公にしていた。規制で突然会社を降ろされたという経緯ではない。一方で、会長を退いても、創業者と会社の関係が消えるわけではなかった。[83]
30朝9時から夜9時まで週6日
996を幸運と呼んだ発言
退任を控えた2019年、馬雲は働く時間をめぐって反発を受けた。中国のIT企業で問題となっていた「996」。朝9時から夜9時まで、週6日働くという働き方だった。馬雲は社員へ語る中で、それだけ働けることを非常に恵まれた機会だと表現した。[84]
本人と創業初期の社員が長く働いてきたことを挙げ、成功を望むなら他人より時間と力を注がなければならないという考えを示した。すでに技術者たちの間では、過剰な残業を問題にする抗議が広がっていた。その中で、大企業の創業者が996を称えた。[84]
創業者には会社の持分があり、働き方を決める立場もある。雇われた人には、同じ報酬も裁量もない。本人が夢中で使った時間を、社員へ向けて恵まれた機会だと呼べば、選べない人の負担まで正当化されかねない。従業員を株主より先に置くと話した経営者の言葉が、従業員の側から問われた。[85][25]
馬雲は、会社がその働き方を強いてはいけないという趣旨も説明した。それでも発言が与える圧力への批判は残った。若い頃に自分が選んだ働き方と、大きな会社の中で人に期待される働き方。その違いが、創業者への反発になって表れた。[85]
31かつらとギターで会長を降りる
かつらとギターの退任式
2019年9月、20周年の行事で、馬雲は長い髪のかつらと派手な上着を身につけた。ギターを持ち、舞台で歌う。後を継ぐチャンも加わった。株主への短い挨拶で消えるのではなく、会社の祭りの中で交代する姿を見せた。[79]
自宅で構想を話していた教師が、大勢の社員の前で演奏する創業者になっていた。舞台を降りた後にも、彼が話せばAlibabaの名が付いて回る。経営の肩書きから離れることと、会社の顔でなくなることは、同じ速さでは進まなかった。[79][82]
32決済事業の株が会社へ戻る
利益の契約から33%の持分へ
2019年9月、AlibabaはAnt Financialの新株を受け取り、33%の持分を得た。2011年に所有を外へ移した決済事業との関係が、8年後には、株を持つ関係へ組み直された。2014年に取り決めた取引が、条件を満たして完了したのだった。[86]
その時点でAntがAlibabaへ払っていたのは、税引き前利益の37.5%に相当する金額だった。この利益分配の契約を終了し、Alibabaは持分を通じてAntの価値を持つことになった。契約を更新しながら利益の一部を受け取る関係から、決済の会社の株そのものを持つ関係へ移った。[45][86]
馬雲がAlibabaの会長を降りた月に、Alipayから育った金融会社との関係がここまでつながり直した。その翌年に止まるAntの上場を、Alibabaは3分の1の持分を持つ株主として迎えることになった。[86]
33医療物資をアフリカへ運ぶ
病気で移動が止まる世界
2020年、新型コロナウイルスが広がった。Jack Ma FoundationとAlibaba Foundationは医療物資の支援へ動く。アフリカ向けの物資は、東アフリカ・エチオピアの首都アディスアベバを経由し、各国へ送った。国を越えて商品を動かしてきた会社の仕組みが、検査や治療に使う物を運ぶ仕事へ向いた。[87]
4月27日、Africa CDCが受け取った第3便の寄付には、マスク460万枚、検査に使う物資50万回分、人工呼吸器300台などが含まれた。支援の表明だけでなく、物が到着したことを受け取る機関が記録している。そこから、必要とする国や現場へ届ける仕事が続いた。[87]
次の起業家へ渡す舞台
Africa’s Business Heroesでは、アフリカで事業をつくる人々を支えた。助成金に加え、メンターや訓練、事業を伝える場を設ける。大きな会社になった後の経営者だけでなく、これから育つ事業へ外から注目を集める取り組みだった。[88]
2020年には年間の助成総額を150万ドル(約2億円)へ増やし、フランス語での応募も受け入れた。英語で話せる人だけに入口を限らない。外国人観光客へ話しかけていた少年が、投資家へ会社を説明するようになり、その先では、別の国の起業家が事業を説明する舞台を用意する側へ回った。[88]
34金融の会議で銀行を批判する
Ant Groupの巨大な上場直前
2020年10月24日、馬雲は上海の金融会議へ登壇した。銀行や規制に関わる人々が集まる場で、金融の仕組みが古い考え方に縛られていると批判した。Alibabaの会長は退いていたが、Ant Groupの支配に関わる人物の発言だった。[2]
Ant GroupはAlipayの支払いだけでなく、運用や融資にも広がっていた。スマートフォンで多くの利用者とお金をつなぎ、金融サービスの利用を増やしていく。一方、規制当局には、急成長する信用やリスクをどの制度の中で扱うかという問題があった。ネットの会社が使う速度と、金融を管理する側が求める条件がぶつかる事業になっていた。[63][89]
講演の後、監督当局は馬雲や会社幹部と面談した。11月3日には上海で上場停止が発表され、香港での計画も止まった。予定されていた5日の取引開始は実現しない。申込みや期待がどれほど膨らんでいても、必要な資格や開示を満たすと認められなければ、市場へ出ることはできなかった。[1]
35182億2800万元(約4316億円)の罰金
店に競合か自社かを選ばせる
2021年4月、中国の市場監督当局はAlibaba Groupへ182億2800万元(約4316億円)の罰金を科した。2019年の中国国内売上の4%に相当する額だった。問題となったのは、出店者へ競合サービスとの取引を制限する「二者択一」を求める行為など。市場で支配的な立場を使い、正当な理由なく取引先を排他的な関係へ縛ることが認定された。[90][91]
小さな工場や店へ、外へ売る場所を渡すために始めた会社だった。今度は、その店が別の売り場も使う自由を狭めたと判断された。会社は処分を受け入れ、是正に取り組むと公表する。規模が大きくなったというだけでなく、その規模を使って取引先へ何を求めたのかが、処分の対象だった。[91]
目立つ創業者が姿を減らす
馬雲が公の場へ出る機会も減った。罰金処分に先立つ2021年1月には、地方の教師を支える行事へオンラインで登場した。それまで頻繁に会議や舞台で話していた人が数カ月見えなくなり、さまざまな推測が広がっていた。以前から続けていた教師支援の場で、再び教育者たちへ語りかけた。[7]
会社へ人を集めるために、自分が前へ出て話してきた男だった。金融やネット企業を取り巻く条件が変わる時期には、その男がどこへ出て何を話すかまで、世界の関心になった。[92]
36支配権を分けて研究の場へ行く
Ant Groupを1人で動かせなくなる
2023年1月、Ant Groupは主要株主の議決権の仕組みを変更すると発表した。馬雲が支配していた契約を解消し、2つの主要株主を通じる権限を分散する。経済的な持分を変えずに、議決権の動かし方を改めるもので、誰か1人が会社を支配しない形となった。[3]
China Pagesでは、始めた会社の主導権を失った。Alibabaでは外の資金を入れ、Yahooの持分を買い戻し、Alipayの所有をめぐって争った。育てた事業をどこまで自分で動かせるかは、馬雲の仕事に繰り返し現れた。Ant Groupでは、その支配の枠組みを解く側になった。[8][46][3]
東京で食料と農業を研究する
2023年5月1日、東京大学の東京カレッジは、馬雲を客員教授として迎えた。研究への助言や共同研究、とくに持続可能な農業と食料生産、起業や経営の経験を伝えることを、役割として挙げた。会社の規模を語る場から、研究者や学生と仕事をする場へ移る。[93]
香港大学でも名誉教授として関わった。企業経営だけでなく、教育や環境への活動も人物紹介に並ぶ。英語を教えることから働き始めた人物が、会社をつくり、大きな経営の役割を降りた後、また大学で経験を伝える肩書きを持った。[94]
37北京の会合に姿を見せる
2025年の民間企業座談会
2025年2月、習近平国家主席が民間企業の経営者らと会う会合に、馬雲も出席した。場所は北京。CATLやBYD、Tencentなどの経営者とともに、その姿が報じられた。[92]
会合では民間企業を支える政策は変わらないとされる一方、違法行為は調査し処罰するという姿勢も示された。馬雲が姿を現した席でも、会社が活動する条件を決める側の言葉が並んだ。[92]
西湖で外国人へ話しかけていた頃、外国語は目の前にない世界へ入る道だった。やがて彼は、中国の工場と海外の買い手をつなぎ、見知らぬ客と店の代金をつないだ。成功した後には、株主や出店者、従業員、規制当局と、同じ事業をどう動かすかで争うようになった。[6][8][32][91]
湖畔花園の部屋に集まった18人が始めたのは、外へ売る道を持たない小さな会社の仕事だった。その道が巨大になるまでに、無料の売り場も、支払いの仕組みも、計算機も、配送の情報も必要になった。馬雲が世界へ話してきた会社は、1つのサイトで終わらなかった。そして、その会社から何を引き継ぎ、どこから離れるかも、本人が語る構想だけでは決まらなかった。[16][38][55][3]
参考文献・出典 94件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
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写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1香港ドル=20.09円、1人民元=23.68円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / HKD / CNY
本文更新:2026-11-02



